プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

ミョンフンのベートーヴェン第3番

 東フィルの定期公演、いつもオペラシティで聴くのだが、今月は所用があって、オーチャードに取り替えてもらいました。これが電話一本で出来て、しかも、元々の席と同等の席に替えてくれるのが、とても便利です。

 タイトルに「ベートーヴェンの第3番」と書きましたが、この日は「ピアノ協奏曲第3番」と「交響曲第3番」の2本立て。ピアノは、韓国人の若手、なんと16歳の女性ピアニスト、イム・ジュヒ。9歳でデビュー。10歳で、ゲルギエフと共演。ミョンフンとは過去なんども一緒に演奏しているようで、マエストロが指揮中に一度もピアニストのほうに首を振らなかったのは、信頼の証でしょう。第一楽章の劇的なピアノの登場から、明るく伸びやかな音、正確なタッチ、若いのに余裕さえ見える弾きっぷり。楽しそうに弾いていましたね。同じ、もうちょっと陰影があっても良いかなとは思いましたが、この曲を素直に味わうにはぴったりな素晴らしい演奏でした。ソロアンコールのヨハン・シュトラウスⅡ世作曲、ジョルジュ・シラフ編曲の「トリッチトラッチポルカ」の超絶技巧にもびっくり。こういう曲のほうが、若さと情熱でこなせるので合っているのかもしれませんね。韓国からは東フィルにゲストとして、同じ若手のチョ・ソンジン(華やかなピアノでした)も来ましたが、いつも新しい音を聴かせてくれるコンサートには大満足です。

 後半の「交響曲第3番変ホ長調作品55英雄」は元々はナポレオンをイメージして作曲されたもの。ミョンフンらしい、壮大で情熱的、しかし知的な指揮が素晴らしいですね。一楽章からだんだんに盛り上がり、第2楽章のフーガを抜けると、3,4楽章で頂点に達する。その中で、第3楽章のオーボエの主題と第4楽章のフルートの独奏はとても美しかったです。同じ、「情熱的」でも、バッティストーニの第5番のように、新しい解釈の抑揚や強弱を付けたりせずに、あくまで王道の中でオケを操っていました。

 さて、来週はいよいよ、ペトレンコのタンホイザー。ミュンヘンで6月に聴いた時よりは余裕を持って聴けると思います。楽しみです。

 
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オテロ@オーチャードホール

 いやいや、本当に久しぶりのブログになってしまいました。オペラは7月の“ノルマ”以来2ヶ月ぶり、コンサートも東フィルのミョンフンのマーラーから1ヶ月以上夏休みを取っていました。いつもなら、夏はバレエがあるのですが、今年はいまひとつ食指が動くものがありませんでした。その間、今年はオペラ仲間が多数ザルツブルグに行っていたので、クルレンツィスの”皇帝ティートの慈悲”やら、マリオッティ指揮の“二人のフォスカリ”(ドミンゴです。)そして、チケットの時価が定価の10倍まで上がったというムーティ、ネトレプコのアイーダを見たという生々しいフェイスブックが送られてくるのを、よだれを垂らしながら過ごしていました。どれも素晴らしいと思うのですが、やはりマリオッティのフォスカリ、聴きたかったです。夏休みはオペラには行かなかったのですが、そういう悪い(?)刺激があったため、11月と来年2月にまた海外での公演に行く予定を立ててしまいました。

 さて、9月10日のバッティストーニの“オテロ”。個人的なオペラシーズンがヴェルディで始まるのは素晴らしいことです。しかもバッティストーニ!“ナブッコ”、“リゴレット”、“イリス”と来て、次は欧州では良く振っている“ラ・トラヴィアータ”かな、と思っていましたが、オテロに来ましたね。彼は、ヴェルディの初期物はあまり好きでないようですから、この選択になったのでしょう。

 僕が初めて生で聴いたオテロは2003年のムーティ率いるスカラ座でした。指揮台に立つとほぼ同時に雷鳴の序奏が斬りかかってくるのに、圧倒されました。以来、指揮台に立ってオケの顔を見てからおもむろに棒を振るオテロの指揮者は嫌いです。バッティは、まさに指揮台に立つか立たないか、まだ拍手が鳴っている時に棒を振りました。かっこいいなぁ。舞台に出てくる時からオテロが始まっているんですね。一幕目、あっという間に引き込まれました。プログラムで加藤浩子さんが、「一瞬のうちに襟首を掴まれてドラマの中に投げ込まれる快感」とありますが、まさにそうでした。一幕目は大音量のオケと合唱で嵐の中、帰還するオテロがいきなりヒーローとして登場する派手な場面なのですが、この日のバッティは、その中で、テンポ感をくずさずに、くっきりオケの音を出していました。ともすれば合唱にかき消されてしまうような音もきちんと聴かせて心臓の鼓動のようにテンポを保つ。これが、素晴らしかったです。その後、ロデリーゴを説き伏せる場面で、有名な“Se un fragil voto di femmina (その女の誓いが解きほぐせるのであれば) のところ(だと思うんですよね。イタリア語に堪能な訳では無いので、間違っていたらすみません。)で、バロックの舞曲のようになるテンポ感のところまで、最初の雷鳴からつながっているんです。この一幕目、本当に素晴らしい指揮だったと思います。

 2幕目以降、3幕、4幕と行くに従って、指揮もだんだん歌手に合わせるような場面が多くなりましたが、そこがまた、実に緻密で強弱、緩急をつけるところが、素晴らしい“オテロ”の音楽を作り出していました。本当に聴き応えがありました。オテロの音楽は指揮者によって、本当に表情が変わります。2013年のミョンフンのオテロも素晴らしかったです。スピーディで軽みがあって、躍動感がありました。バッティは、テンポ感とコントロールされた重厚さでしょうか?

 歌手陣では、エレーナ・モシュクのデズデモーナが素晴らしかったです。柳の歌に拍手が集中していて、これももちろん素晴らしかったのですが、僕としては、豊かな中低音部、特に弱音からボリュームを上げていくところが、ぞくっとするほど美しいと感じました。モシュクというと、何かジルダの印象が強いですが、デズデモーナ、良かったですね。ちなみに、柳の歌のところの、クラリネットが素晴らしかったです。これは、最近東フィルに加入して、今年の東京音楽コンクール木管部門で優勝したアレッサンドロ・ベヴェラリですね。まだ若い奏者ですが、東フィルも充実しています。

 さてモシュク以外の歌い手では、オテロとイアーゴは、“悪くはない”、英語でいうと”not too bad”という感じでしょうか?ま、英国人がこういうと、結構良いというニュアンスになるんですが。。イアーゴのインヴェラルディは、声は良いのですが、毒が無い。4月の新国立で同役を歌ったウラディミール・ストヤノフほど、「細い」感じはないのですが、動作や体型も含めて、どうもイアーゴというよりは人の良いファルスタッフという感じでした。このイアーゴは、設定では28歳ですから、ヌッチをベストと考えてはいけないとは思うのですが、奸計をめぐらし裏表のある役、今回の公演のポスターの白と黒が表すような役ですから、もう少しオテロというオペラを掴みきってほしいです。アンダーの上江さんで聴いてみたいと思いました。そして、オテロのフランチェスコ・アニーレ、各所で高音まできれいにあがる良いテノールだということはわかりましたが、情感の表し方にムラがありすぎて、ト書きを歌っているような感じを覚えました。8日に聴いた方は「良かった」と言っていたので、この日は調子が悪かったのかもしれません。4月のカルロ・ヴェントレの2幕目以降が素晴らしかったので、ちょっと比較してしまいました。

 エミーリアは新国立と同じ、清水華澄さん。うーん、素晴らしい!幕が締まりましたね。

 演出は、僕の友人たちには不評のようでした。プロジェクトマッピングを多用したものでしたが、ヨーロッパとアフリカの地図を写し出し、キプロスにフォーカスしていくところなど、僕自身は、なかなか新鮮で良かったと思います。4幕目のキャンドルの影などは音楽とマッチして美しかったです。

 今回の公演の立役者、やはりバッティストーニですね。歌手の多少の粗を充分に補っていました。

ヴェルディ「オテロ」演奏会形式

指揮・演出:アンドレア・バッティストーニ
映像演出:ライゾマティクスリサーチ

オテロ:フランチェスコ・アニーレ
デズデモーナ:エレーナ・モシュク
イアーゴ:イヴァン・インヴェラルディ
ロドヴィーコ:ジョン・ハオ
カッシオ:高橋達也
エミーリア:清水華澄
ロデリーゴ:与儀 巧
モンターノ:斉木健詞
伝令:タン・ジュンポ
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団



チョン・ミョンフンのマーラー「復活」

 オペラシティでの、東フィルの定期演奏会に行ってきました。ここの会員も2年目に入り、ずっと同じ席(前から6列目やや右)で聴けるので、なんだかアットホームな感じがあります。また、平日の夜の公演ですが、オペラと違って、最長でも2時間程度で終わるので、車で1時間のドライブで10時頃には帰宅できるのも気が楽です。

 この日の演目はマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」でした。マーラー自身がこの曲に関して「こん棒で床に叩きつけられたかと思うと、次の瞬間には天使の翼の高さにまで引き上げられる。」と言っているだけあり、聴く方にも体力を要求されるものです。ミョンフンは2001年に東フィルで「復活」を指揮しており、その時の評判がとても良かったようで、この日はその再現、とプログラムに書かれていました。

 第1楽章のソナタは、「葬送行進曲」になっており、不安を恐怖をあおるように始まり、その後金管や打楽器で激しく高まります。ミョンフンらしく、激しくなっても雑にならない、聴く者の心をわしづかみにするような指揮です。

 第2楽章は特にワルツでアンダンテ、美しい調べです。舞曲のようなメロディとテンポは「英雄の幸福だった時の回想」を表しているのだそうです。この楽章は激しいところはなく、ピアニシモの弱音の美しさが際立ちます。なお、「第1楽章と第2楽章の間に、少なくとも5分の休みを置く。」というマーラーがスコアに書き込んだノートは、守られずに1分ほどの感覚で第2楽章に移りました。

 第3楽章から第5楽章にかけては、途切れることなく50分の演奏がラストまで続きました。ここで、ようやく第4楽章「原光」でアルトの独唱が、第5楽章で合唱が入ります。アルトの山下牧子、何度もオペラでは聴いていますが、この日は最高の歌唱を聴かせてくれました。まろやかで、伸びのある、まさに「永遠の祝福」という感じの声。そして、新国立合唱団の合唱、素晴らしかったです。これほど素晴らしい合唱はめったに聴けない。演奏が終わってからの拍手は10分以上続きました。
 今月はジョナサン・ノットと東京交響楽団もマーラーの「復活」をやっています。両方聴かれた方は比較ができてうらやましいですね。こちらはアルトは藤村実穂子です。

 ミョンフンの指揮を聴くたびに思いますが、大胆で緻密、そして知的な音。これはいつでも彼の指揮の根底に流れています。また、観客の拍手に対して、いつも控えめに対応し、歌手や伴奏者を讃え、自分は指揮台にも上らないという姿勢は、とても好感が持てます。

 とは言え、久しく彼のオペラは聴いていない。来年2月にスカラ座で、“シモン・ボッカネグラ”を振ります。タイトルロールはレオ・ヌッチ。聴きに行きたくなりました。
2017年7月21日
東京オペラシティ コンサートホール
指揮:チョン・ミョンフン
ソプラノ:安井陽子
メゾ・ソプラノ:山下牧子
合唱:新国立劇場合唱団


 

音楽教室 vs/ JASRACの問題に思う

昨今、音楽教室へのJASRACによる著作権料の課金の問題がニュースになっています。この件、僕のもうひとつのブログ、「湘南人草間文彦のライセンシング日記」でとりあげました。ご興味のあるかたは、どうぞ下記を覗いてみて下さい。

http://brandog.exblog.jp/26824652/

樫本大進&アレッシオ・バックス リサイタル

 7月12日水曜日、平日の19時からの公演です。家内がプロモーターのジャパン・アーツの会員(夢倶楽部)なので、年に一回、一人分のチケットがただになります。これを利用しての鑑賞。このシステムはとても良いです。今まで、希望した公演のチケットを取れなかったことはないし、今回のように僕も一緒に行く時は、座席を隣同士に取ってくれます。

 樫本大進は、昨年の11月、横浜で、パーヴォ・ヤルヴィが指揮するドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団と共演した際に、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 を聴きました。その時の印象はとても良かったのですが、一曲だけしか聴けなかったので、今回はもっと堪能しようと、、、、どちらかと言うと、家内のほうが張り切ってオペラシティまで出かけました。

 1曲目のモーツァルトのヴァイオリンソナタ ト長調は、公演前に他の奏者でも聴いて予習をしていたのですが、樫本のヴァイオリンの実に柔らかく抱擁されるような音色と、バックスの繊細なピアノタッチが、ヴァイオリンとピアノの一体感を醸し出していました。樫本の音色の柔らかさは、彼が使用しているガルネリの音質もあるのでしょうか?ガルネリの裏板はストラディバリよりも多少厚く、その分音が丸くなるとも言われています。

 続くブラームスのヴァイオリンソナタ第一番「雨の歌」は、とにかく品格がありました。曲が進むにつれて緊張が増すのですが、気品のある演奏に感動しました。

 休憩後の曲は、「神話/3つの詩」。ポーランドの作曲家シマノフスキの印象主義の作品。神話をもとにしているということで、非常に感性を研ぎ澄ました音で構成されます。ともすれば、神経質になりそうなこの曲も、樫本とバックスは上品で、柔らかく奏でます。第1曲の「アレトゥーサの泉」のピアニシモで高音に消えて行くヴァイオリンの音色は、5月にミュンヘンの美術館、“ノイエ・ピナコテーク”の印象派の部屋で見つけた、オディロン・ルドンの神々しい芥子の花の絵を思い出しました。続く第2曲「ナルキッソス」、第3曲「ドリュアスとパン」も、絵画的な曲で、最後、ピチカートで終わるところは芥子の花が散ったようでした。満足。。。。

 この日は、2つあるプログラムのうちの「2」のほうだったので、最後の曲は聴きたかった、ラヴェルのヴァイオリンソナタではなく、グリーグのヴァイオリンソナタ ハ短調でしたが、グリーグらしいメロディの美しい曲でリサイタルの最後を飾るのにふさわしい曲でした。アンコールではグルックの「メロディ」という素敵な“おまけ”がつきました。

 樫本やバックスの世代より若い天才たちのきらびやかな演奏を聴くのも、オペラシティでは楽しみですが、今日のような熟成した大人の音の演奏を聴くのも良いものです。素晴らしい体験でした。

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 K. 301

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 Op. 78「雨の歌」

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シマノフスキ:神話 Op. 30

グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調 Op. 45

ノルマ2回目観劇

 今年唯一、同じ公演のチケットを2回分取ったのが、この「ノルマ」です。デヴィーアのノルマは絶対良いだろうと思いましたし、これが日本で最後の彼女のオペラ出演になるかもと思ったのがその理由ですが、やはり正解でした。(最後のオペラは10月に再来日しての「ノルマ」になりましたが)

 今日の公演、全体に土曜日よりも良かったです。ただ、今日はS席、1階の10列目くらいの真ん中という席で聴いたのですが、2階と音が全然違う。知り合いで、今回アンダーを努めている歌手の人から、「日生は一階と上とで音が全然違う」と聞いていたのを思い出しました。2階が16cmの2wayスピーカーなら、1階は38cmの3wayという感じ。息づかいまで聞こえます。新国立でも1階、2階、3階で、時々によって違う場所で聴きますが、ここまでの違いはありません。今日のデヴィーアのコロラトゥーラの、玉が転がるような美しさも、高音のきらめきも、土曜よりも一段アップでしたが、席のせいもあるかもしれません。視界的には2階のほうが全然良いです。今日は前に座高の高い方がいらして、だいぶ舞台が隠れました。日生のS席は音響料なんですね。

 デヴィーア以外の歌手は、これははっきりと土曜より良かったと言えます。特にポリオーネの笛田さん、1幕目から安定した歌唱で、中高音が輝く響きを持っていました。これから期待しています。第二幕で、祭壇につながれた場面での、デヴィーアとの2重唱“In Mia Man Alfin Tu Sei(あなたはついに私の手に)”がものすごく良かったです。この曲、短いんですが、ベッリーニの美しい曲作りの才能が結晶のようになっています。なんて高貴な響きの曲でしょうか!しびれます。You Tubeにノルマ・ファンティーニの動画がありましたので、載せておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=LWg3MFS6VDg

 そして、アダルジーザを歌ったラウラ・ポルヴェレッリも、特にデヴィーアとの2重唱の時のアジリタが素晴らしく決まっていました。土曜日はちょっと抑えめだったかなと今日のを聴いて思いました。先日のブログにも書いた” Mira, O Norma”の2重唱もワンランクアップだったのですが、その後にカバレッタのように続く” Si, Fino All’Ore Estreme(最後の時まで)”が素晴らしかったですね。この曲って、ラクメの“花の二重唱”にならぶ、美しい女声二重唱だと思います。めったに“Brave!”というかけ声をかけられる時ってないですね。ちょっと古いですが、サザーランドとマリリン・ホーンの素晴らしいのを載せます。

https://www.youtube.com/watch?v=iUxI726OKvo

 今日の休憩にも、オペラ愛好家の仲間に何人か会いましたが、僕と同じくらいの歳のIさんは、生のデヴィーアを初めて聴くとのことで、「ノックアウトされました!」と言っていました。彼はフランス歌曲のことがすごく詳しいので良く話しを聴きます。そして、彼の意見ではノルマでの最高音は、僕が前のブログに書いた3点ハ(Hi-C)ではなくてEではないかとのこと。たしかにHi-Cでは男声の最高音ですものね。ちょっと調べて見ます。

 指揮とオケも、土曜より締まった感じで良くなっていたと思います。ピリオド楽器風にしている序曲は、バルトリのノルマを指揮しているアントニーニのピリオド楽器オーケストラを聴きこんでいる僕なんかはイタリアっぽくて大好きですが、それ以前のノルマのバイブルになっている、カラスの様々なバージョン、セラフィンの指揮とかを聞き慣れているひとには、ちょっと異質に聞こえるのではないかと、思ったりしました。今日は1階席で、指揮者の優雅な手の動きが見られなくて残念。。。。

 先週は、チェドリンスもリサイタルで、Casta Divaを歌ったとのこと、また、フランスのソプラノ、ナサリー・マンフィーノも武蔵野のリサイタルで同曲を歌ったとのこと、1週間にこれだけCasta Divaが日本で歌われた週はかってなかったのでは?と思ってしまいます。

 さて、来週は樫本大進のリサイタルです。

デヴィーアの“ノルマ”

 7月1日の日生劇場のマチネ、藤原歌劇団の「ノルマ」の公演に行ってきました。今年、国内ではとても楽しみな公演のひとつで、マリエッラ・デヴィーアが主演する1日と4日の2日間のチケットを取りました。ノルマは日本ではなかなか聴けない公演です。僕もまともに聴いたのは、2013年のザルツブルグ音楽祭でのチェチリア・バルトリがタイトルロールの公演くらいです。昨年の11月に、グルベローヴァの来日公演で聴いてはいるのですが、このブログにも記したように、大変残念な出来で、「聴いた」うちには入りませんでした。あとは音源で、ジューン・アンダーソン、フィオレンツァ・チェドリンスというところです。

 デヴィーアもグルベローヴァより2歳だけ歳下の69歳。前に聴いたのは、2013年のラ・トラヴィアータで、これはとても素晴らしかったのですが、今回はどうか、正直ちょっと不安でした。

 第一幕目、オロヴェーゾとドルイド(ドロイドではないですね。)の歌に続き、ポリオーネとフラーヴィオのやりとりがあり、そしてノルマ登場。第一声の” Sediziose voci, voci di guerra , Avvi chi alzarsi attenta ,Presso all'ara del Dio? 「不穏な声が、戦いの声が沸き起こり、注意を引く。神の祭壇に立ち向かう。」“の部分が、素晴らしい!高音までスクッと、一気に立ち上がる声、そして音程がきっちりあって止まる。まさに巫女ノルマの声です。その後、約3分後に始まる難曲”Casta Diva「清らかな女神」)、グルベローヴァはここで破綻を来したのですが、デヴィーアは、弱音の中高音、そして天に昇っていくような3点ハ音も、本当に女神が歌っているような声です。この年齢になっても、ソプラノとして高音に全く衰えが見えません。声だけ聴いていたら20代ですね。興奮しました。

 先日のマッシモ劇場の「ラ・トラヴィアータ」の舞台をヌッチが引き締めていたように、この日の舞台はデヴィーアが締めます。いや、もうデヴィーアのマスタークラス(藤原で過去になんどもやっているのですが、すごく厳しいらしいです。)のようです。廻りの歌手が、幕が進むに連れてデヴィーアに引っ張り上げられるようにどんどん良くなってくるのです。特に一幕目ではやや節回しと音程に気を遣いすぎていた嫌いのあった、ポリオーネの笛田博昭が、2幕目最終場でのノルマとの二重唱では、情感の表現が素晴らしく、また中音部が輝くイタリア音(なんだ?)になり、「笛田さん、こんな凄いんだ!」と思ってしまいました。笛田は、持ち味の声量の豊かさが生きていました。

 デヴィーアは2幕目に入ると、母として、女としての迷いと悩みを託すように歌うのですが、ここがまた素晴らしい。歌唱技巧ではバルトリでしょうが、表現力ではデヴィーアかと思います。ノルマという女性は、ポリオーネの子供を産んだり、その子供を殺そうとしたり、最後に自分を生け贄にするところなど、巫女でありながら、けっこう煩悩の虜なんですね。ここらへんの台本がおもしろいです。カラスのノルマも何度もCDで聴きましたが、やはり技巧に走っている、、、もちろん、悪魔的な魅力のあるノルマなんですが、人間味を一番出してくれたのはデヴィーアかと思います。

 アダルジーザは、メゾソプラノのラウラ・ポルヴェレッリ。台本の想定では20代の若い娘ということになり、ソプラノで歌われることも多いのですが、この日は繊細でありながら、落ち着いたイメージで歌い上げていました。第2幕1場で、ノルマと理解し合い、若いと友情を歌う二重唱“Mira o Norma
「ご覧なさい、ノルマ」“は、聴き応えがありました。

 指揮のフランチェスコ・ランツィロッタはなかなかのイケメンのローマ人。初来日です。序曲は、びっくりするぐらいピリオド楽器風のエッジの効いた音で表現します。ここまでやらなくても、、という感じはしましたが、これで、彼の作りたいノルマの音楽の設計図が良くわかりました。最近、設計図の無い指揮者はあまり聴きたくないんです。歌手にうまく歌わせるという点では、まさにオペラの指揮者という感じですが、決して後ろに引いているわけではなく、出るところは出るという見切りの良さがあって、好感が持てました。日生劇場でこういう指揮者が振ると、イタリアの小劇場のようで幸せです。

 粟国淳の演出も素晴らしかったですね。限られた予算の中で最大の効果が出る舞台装置。円形劇場とも祭壇とも見える丸い台座を、森の木の集合のような壁と、宗教的なイメージの緻密な模様の壁をコンビネーションにして、覆ったり、はずしたり、一部だけを覗かせたり、、、結局、この舞台装置だけでずっと通すのですが、全く飽きません。藤原歌劇団は今、粟国さんとマルコ・ガンディーニというクレバーな演出家がいて舞台を見るのが楽しみです。

 この日は、C席\6,000-の天井桟敷でしたが、新国立のA席より条件が良いです。近くにはオペラ関係の知人がたくさんいて、同窓会みたいになりました。楽しかったです。

 さて、明後日の火曜日も聴きに行きます。今度は一階席です。

指揮:フランチェスコ・ランツィロッタ
演出:粟國 淳

ノルマ:マリエッラ・デヴィーア
アダルジーザ:ラウラ・ボルヴェレッリ
ポッリオーネ:笛田博昭
オロヴェーゾ:伊藤貴之
クロティルデ:牧野真由美
フラーヴィオ:及川尚志
合唱:藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホール声楽アンサンブル
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

今年後半の観劇プラン

今年も半分終わりましたので、後半半年に行こうと思っている公演を、ご参考までにリストアップ致します。

2017/7/1 ノルマ、マリエッラ・デヴィーア、ランツィロッタ指揮 日生劇場
2017/7/4 ノルマ、マリエッラ・デヴィーア、ランツィロッタ指揮 日生劇場
2017/7/12 樫本大進&アレッシオ・バックス、モーツァルトバイオリンソナタ他 オペラシティ
2017/7/21 東フィル、マーラー2番復活他、ミョンフン指揮 オペラシティ
2017/9/10 オテロ(演奏会形式、バッティストーニ指揮) オーチャード
2017/9/21 東フィル、ベートーヴェン英雄他、ミョンフン指揮 オペラシティ
2017/9/25 タンホイザー(バイエルン国立歌劇場) NHKホール
2017/10/1 ワルキューレ第一幕他、ペトレンコ、フォークト NHKホール
2017/10/14 神々の黄昏、グールド、ラング、マイヤー他 新国立
2017/10/18 東フィル、シューベルト未完成他、プレトニョフ指揮 オペラシティ
2017/11 真珠採り、ニーノ・マチャイゼ、ハビエル・カマレラ LAオペラ
2017/11 ナブッコ、ドミンゴ、モナスティルスカ、コンロン指揮 LAオペラ
2017/11/10 ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステ リサイタル サントリーホール
2017/11/12 ルサルカ、田崎尚美、樋口達也、山田和樹指揮 日生劇場
2017/11/19 ラ・トラヴィアータ、リング、ポーリ、フリッツァ指揮 新国立
2017/11/23 ポッペアの戴冠、森麻季、鈴木優人指揮 オペラシティ
2017/12/3 ばらの騎士、メルベート、リン、シルマー指揮 新国立
2017/12/9-10 ルチア(藤原歌劇団)菊池彦典指揮 オーチャード

 まず、期待しているのは、今週末の“ノルマ”。昨年のグルベローヴァの公演が残念な結果だったので、彼女よりは2歳若いとは言え、今年69歳になったソプラノ、マリエッラ・デヴィーアの出来がやや心配ではありますが、昨日のゲネプロも良かったようなので、期待大です。

 そして、9月10日のバッティストーニの「オテロ」、演奏会形式です。彼が主任指揮者を務める東京フィルハーモニーを率いて、デズモデーナになんと、エレーナ・モシュク!そして、10月は久々にロサンジェルスオペラに行ってきます。1週間の滞在で、マチャイゼと話題のカマレラの「真珠採り」と、ドミンゴ、モナスティルスカのナブッコが聴けます。

 何かと話題になっている、バイエルン国立歌劇場、キリル・ペトレンコ指揮の「タンホイザー」も、また日本で聴けますね。

 その他にも、とても良さそうな公演が多いです。国内の公演は、チケットの値段がリーズナブルなのも良いですね。日生劇場のノルマなど、劇場が小さいので、C席\6,000-でも充分楽しめるはずです。ただ、そのせいか、最近は「満員売り切れ!」の公演がとても多いので、皆さんお早めにチケットお取り下さい。

 
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マッシモ劇場”ラ・トラヴィアータ”

 こちらもブログアップが遅くなりましたが、6月18日日曜のマチネで、パレルモ・マッシモ劇場の「ラ・トラヴィアータ」を聴いていきました。プログラムでは「椿姫」になっていますが、ヴェルディ協会では「ラ・トラヴィアータ」の名称を取っていますので、そちらを使わせて頂きます。

 今回の公演では、日本では久々となる、レオ・ヌッチのオペラでの歌唱が聴けるのが何よりの目玉です。昨年、マドリッドで「ルイーザ・ミラー」、バルセロナで「シモン・ボッカネグラ」を聴き、ヌッチの凄さに改めて感嘆しました。しかし、何と言っても既に75歳。80歳まで歌えるとは思えないですし、レーナート・ブルゾンも75歳過ぎてから急速に衰えたことを考えても、聴ける時に聴いておこうと思いました。ヌッチを囲む歌手陣も超一流、タイトルロールにはデジレ・ランカトーレ。僕は2007年に「ラクメ」と「ランメルモールのルチア」で聴いていますが、10年ぶりになります。そして、新国立の「ラ・トラヴィアータ」ではおなじみのアントニオ・ポーリがアルフレードを歌います。その他の役もフローラのピエラ・ビヴォナを除いては、すべてイタリア人歌手で揃えた公演、本場でもなかなかないと思います。

 一幕目、チャンパの序曲は、彼が師事したジュリーニのそれに似て、ややゆっくり目。ズンパッパがはっきりと出て、イタリア感いっぱいです。この序曲を聴くと、「オペラっていいなぁ」といつも思いますね。序曲の間に舞台で動きが何もなくカーテンが閉まったままというのもクラシックで良いですね。ただ、合唱でのスタートがやや音楽と合わずにちょっとひやっとしましたが、ヴィオレッタが登場し、最初から上質な歌唱を聴かせます。10年前に比べて、声の表現力もコロラトゥーラも磨きがかかっていました。ガストーネ子爵やドゥフォール男爵の脇役も良い声をしています。そして、なんと言っても僕の一押しのイタリアンテノール、アントニオ・ポーリが素晴らしい!前にも新国立の公演の時に書いたかと思いましたが、アルフレードという役を良く研究していると思います。歴代のアルフレードを聴いても、今回トスカ役で来日しているアンジェラ・ゲオルギューと競演して一世を風靡したフランク・ロパードや古くはドミンゴ、ステファノ、そしてクラウスさえも、アルフレードは「血気盛んな若者」という性格設定をしているのですが、原作を読むと、「田舎貴族の優しいボンボン」という性格だと思うのです。これを体現しているのがポーリだと思います。歌い方にも演技にもそれが良く現れていて、一幕目で、ヴィオレッタの裏で歌う時も、2幕目の“O mio rimorso(我が後悔)“の時も最後の音を上げません。これは珍しい。彼は新国立でのイヴ・アヴェルの指揮の時も最後尾を上げていないので、これはポーリが提案しているのだと思います。「ハイCを出せば、お客が喜ぶ、アルフレードの熱気が伝わる。」という従来の型にはまった演出を覆すもので、歌手の知性とアルフレードの優しさが相まって、とても良いと思います。

 そして、2幕目のヴィオレッタの別荘の場面で、アルフレードは3曲連続でカヴァレッタを歌うのですが、これも肩に力が入っていなくて本当に素晴らしい。ヴィオレッタが私財を売り払って、その生活を支えていたことに、こういうボンボンのアルフレードだったら、気づかなかったのだろうな、というのが素直に納得できます。ここで「パリに行って金を取り返してやるぅ!!」みたいに熱唱されると、「そんなこと、なんで気づかなかったんだよ」と思ってしまうんです。先月のフェニーチェでのピエロ・プレッティも肩の力が抜けた歌い方(最後は上げていましたが)だったので、アルフレードの性格表現が変わりつつあるのかもしれません。

 そして、いよいよ御大ヌッチ登場!ヌッチのジェルモンには色々なパターンがあるんですよね。この日は、「石頭、田舎の頑固親父」というパターン。ヴィオレッタを恐喝するように迫ります。最初、やや低音弱音が出ていない感じがありましたが、”piangi, piangi(泣きなさい)“のところを、いつもよりずっと強く歌ったあたりから、調子は絶好調に。心配していた高音も伸びること!完全に舞台を支配しました。ちなみに、プログラムの歌手紹介で、別格で載せられているのは、アンジェラ・ゲオルギューなのですが、格と実力から言っても、レオ・ヌッチにすべきだと思います。

 2幕目の3者それぞれのやりとりの場面、迫力がありました。特にジェルモンが「プロヴァンスの海と土」を歌った後にアルフレードに平手打ちを食らわせ、(凄い音がしましたが、本当にやったのではないと思います。)その後にオロオロしながら歌いはじめる、”No,non udari rimoproveri(いいやおまえに小言は言うまい)“の落差の出し方、ジェルモンの心の動きを、ここまで歌唱で表現できるのかと感心しました。

 「素晴らしい」、「素晴らしい」とばかり書いているブログでアホみたいなので、3幕目の「素晴らしい」は省きます。最高でした。

 フェニーチェで会えなかった、指揮者フランチェスコ・イヴァン・チャンパ、これだけの歌手を良くまとめていたと思います。ただ、今までに聴いた彼の「シモン・ボッカネグラ」や「群盗」に比べると、おとなしい、自身の味を出し切っていない感じはややありました。歌手が歌いやすいように、、と細心の気配りをしている様子。これは、無音部の多いこの演目で、伴奏が無い時にも、歌手に向かって指揮をしていたことからも感じられました。

 僕がヌッチの公演を聴いたのは、数えてみたらこの10年で13回、シモン・ボッカネグラが一番多いのですが、今日のこのジェルモン、過去のベストスリーに入ると思います。

 さて、次はマリエッラ・デヴィーアの「ノルマ」です。気合いを入れて2日行くつもりです。チケットも手頃な値段なので、是非皆様も。。

指揮:フランチェスコ・イヴァン・チャンパ
演出:マリオ・ポンテンジャ

ヴィオレッタ:デジレ・ランカトーレ
アルフレード:アントニオ・ポーリ
ジェルモン:レオ・ヌッチ
フローラ:ピエラ・ビヴォナ
アンニーナ:アドリアーナ・イオニッツア
ガストーネ子爵:ジョルジョ・トゥルコ
ドゥフォール男爵:パオロ・オレッキア
ドビニー公爵:イタロ・プロフェリシェ
グランヴィル医師:エマヌエーレ・コルダロ

パレルモ・マッシモ劇場管弦楽団・合唱団

東フィル定期公演リストピアノ協奏曲他

 ブログアップが遅くなってしまいましたが、先週6月14日のオペラシティでの東京フィルハーモニー第110回オペラシティ定期シリーズ公演に行ってきました。この日はリスト2作品にブラームスの交響曲第4番というもの。

 一番輝いていたのが、ピアノに若き精鋭の阪田知樹を迎えての、リストの「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」。超絶技巧を要求されるピアニストとしてのリストが作曲した難曲だそうですが、それをあっさりと、全く技巧感を見せずに弾いてしまうところが阪田の凄いところかと思います。ピアノのキイをなめるように弾くのではなく、しっかりとキイの底まで押し込むような感触を感じます。それでいながら、スピードと移り変わる音色を余裕たっぷりでコントロールしていました。凄いなぁ。。反田恭平とは全く正反対の24歳の天才ですね。ソロアンコールのリストの「ラ・カンパネッラ」も実存感のある美しさでいとも簡単に弾いてしまいます。魅了されました。

 それに比べて、指揮のほうは凡庸だったと思います。第一曲のリストの交響詩「レ・プレリュード」こそ、曲の持つ輝きと力強さで退屈させませんでしたが、3曲目のブラームス「交響曲第4番ホ短調」は、もともとが退屈な曲。(ブラームスファンの方にはすみません)逆に言うと指揮者の才能を披露するのに最適な曲なのですが、同じ調子で強く鳴らすことに終始しているように感じられました。聴きながら、「バレエのパドドゥの演奏みたいだなぁ」と思っていたら、この渡邊マエストロは主にバレエを指揮しているとのこと。新国立で振っているようですが、僕が行くときはポール・マーフィーが振っていたので、渡邊の指揮は聴いたことがありません。こういう指揮を聴くと、バッティストーニの凄さがわかるというものです。渡邊マエストロ、次回に期待しましょう。

指揮:渡邊一正
ピアノ:坂田知樹

リスト:交響詩「レ・プレリュード」
リスト:ピアノ協奏曲第一番

ブラームス:交響曲第四番

ジークフリート@新国立劇場

 新国立、今シーズン最後の演目はワーグナーの“ジークフリート”、ヨーロッパから戻って、ようやっと時差ボケがなおったようなので行ってきました。良かったです。今シーズンの新国立の演目では“ルチア”と並ぶ、素晴らしい出来映え!指揮、演奏、歌手、演出のすべてが高いレベルで融合した舞台でした。これまでの「ラインの黄金」、「ワルキューレ」に比べても、格段に良い舞台でした。

 指揮のマエストロ飯守、個人的には今までの2作の鳴らし方は物足りないものがありましたが、この日は3幕目にピークをもってくるようにして、上質なクライマックスを作っていました。前2作が東フィルだったのが、今回は東京交響楽団になりました。金管の鳴らし方、その美しさは、東フィルよりも良かったと思います。2幕目の森の音楽のデリケートな響き、そして3幕目で数々のモチーフが混じり合って盛り上がる音が、聞き応えがあります。しかし、来る10月の“神々の黄昏”のオケは、また変わって「読売日本交響楽団」になるんだそうです。プログラムには、「東京フィルハーモニー交響楽団」の上に、訂正をしてありました。何か不可解。同じマエストロでリングをやるのですから、3つのオケを使う意味は何があるのでしょう?政治的なことでしょうか?

 それはそれとして、歌手陣も最高の出来でした。タイトルロールの、ステファン・グールド。もう新国立付きの歌手という感じですが、“ワルキューレ”のジークムントとは、全く違う、やんちゃ坊主のジークフリートを、実に生き生きと歌ってくれました。そして、それが3幕目で「怖れを知った」ところから、声がガラッと変わるのです。大人の男としての自覚を持った声になる。。凄いですね。ほぼ全編歌いっぱなしですから、相当の体力がいると思いますが、最後のブリュンヒルデの2重唱まで、全くパワーダウンしないで歌い通しました。そのブリュンヒルデを歌った、リカルダ・メルベート、2012年のローエングリンでエルザ・フォン・ブランバントを歌って、素晴らしかったのを覚えていますが、ブリュンヒルデでは、さらに深みのある声で、3幕目のグールドとの重唱は迫力ありました。持って行かれましたね。

 ミーメ役のアンドレアス・コンラッド。ラインの黄金の時よりも良かったですね。ロード・オブ・ザ・リングのゴラムみたいな役どころで、ジークフリートを私欲から育てあげ、最後には殺そうとするのですが、なんだか憎めない、、そういうところを、宝石の原石が光るような声で実にうまく役を作っていきます。同じテノールでもジークフリートのヘルデンテノールとは全く違うんですね。2幕目は、この2人のテノールの歌合戦、そして、ミーメとアルベリヒの兄弟げんか、そして、アルベリヒとヴォータンのバリトン合戦と、本当に聴き応えがありました。アルベリヒのトーマス・ガゼリもラインの黄金から出ていますが、演技も旨い。引き込まれます。そして、特筆したいのは、エルダを歌ったクリスタ・マイヤー。ラインでは“メゾ・ソプラノ”になっていたのが、今回は“アルト”。別に人が変わったわけではないのですが、ヴォータンと二重舞台の上下で、地の底から響くトーンで舞台を締めました。短い出番でしたが、この日、最高の歌いだったと思います。

 演出も良かったです。正直、前二作の演出はあまり感心しなかったのですが、(特に中途半端なトンネルリングだった“ラインの黄金”)今回は、実に自然で、無理がなく、ストーリーを盛り上げていました。2幕までのおとぎ話のような森の中の設定と、3幕最後の黒い御影石のような炎の山の舞台。良くできていました。そして、歌手が、みんな実に演技が巧みです。先月、ミュンヘンで見た、タンホイザーは歌手が何も演技をしていなかったのが、演出との融合を拒んでいましたが、新国立の舞台は違いました。

 いや、感動しました。素晴らしいワーグナー体験でした。まだ、公演あります。お勧めします。ちなみに、休憩を入れて5時間40分の舞台、長いとは思いませんでしたが、お尻が痛くなる。これを防ぐのに、“オペラクッション”という、まあ、「座布団」ですね、一枚500円で貸し出されていました。なかなか使い心地良かったです。

フェニーチェ歌劇場“ラ・トラヴィアータ”

 かねてからの念願が叶って、ヴェネチアのフェニーチェ歌劇場で“ラ・トラヴィアータ(椿姫)”を見ることができました。なにしろ、フェニーチェ歌劇場がこの演目の初演劇場(1853年3月)なのですから、“トラヴィアータ大好き”を自認して、一昨年にはパリのモンマルトル墓地に彼女のお墓、(ヴィオレッタのモデルになったアルフォンシーヌ・プレシという女性のお墓です)にお参りにまで行った僕としては、いつかフェニーチェでトラヴィアータを見たいという想いを持ち続けてきました。過去国内外で15回以上トラヴィアータを見ています。もちろんオペラ演目でこんなに回数を見ているものはありません。トラヴィアータが大好きで、そこからヴェルディの作品をやみくもに聴いて行って今に至る、という感じです。あの美しい序曲を聴くと、感動で体が金縛りにあって動かなくなります。だから、運転中に聴くのは危いんです。

 しかし、実は1853年の3月のフェニーチェでの初演は大失敗に終わり、ヴェルディは失意のうちに、弟子のムッツィオに「トラヴィアータは昨晩失敗した。罪は私にあるのか、歌手にあるのか…..時間がそれを判断しれくれるだろう」と書いて手紙を出したと言います。通説では主演のソプラノのファンナーニ・サルヴィーニ・ドナッテリが太っていて、とても肺結核で死ぬようには見えなかったのが失敗の原因、などと言われていますが、実際はそうではなく、劇場側に急がされたための準備不足と、ヴェルディの音楽がそれまでの、リゴレットやイル・トロヴァトーレとはあまりに違う新しい音楽だったからだと思われます。そして、翌年の同劇場での公演では大成功を収め、今では世界で最も上演回数の多いオペラのひとつになったのです。

 さて、僕が行ったフェニーチェでの公演当日は、(5月28日)摂氏28度という暑さでした。真夏ですね!ジャケットを抱えて劇場に行くと、いきなり指揮者が降板! 前日まで劇場のウェブサイトに載っていたのは、フランシスコ・イヴァン・チャンパ。昨年初来日を果たした若手ですが、僕は今までに「群盗」と「シモン・ボッカネグラ」のヴェルディ2作品を聴いていて、素晴らしい躍動感のある指揮に感じ入っていました。ところが、この日のプログラムを入手すると“ディエゴ・マテウス”になっているのです。それもチャンパの突然の降板ではなくて、もともと15公演のうち9日はマテウスに決まっていたんですね。こりゃ、詐欺ですね。「当日降板」は当たり前のイタリアオペラ界ですが、これは、前から決まっていたキャスティングを発表していないという恣意的なものです。(あるいは単に忘れているのか?)ちなみに、このブログを書いている6月8日現在、まだ公演のウェブサイトは指揮者にチャンパだけを出しています。しかし、怒ってみてもしかたがないので、ここはマテウスに期待することにしました。ちなみにチャンパは今月来日する、パレルモ・マッシモ劇場の“ラ・トラヴィアータ”公演を指揮しますので、日本で仇が取れます。

 それで、このマテウスの指揮はチャンパのような躍動感のある指揮ではありませんでしたが、決して悪くなかったです。クラウディオ・アバドに師事したというのがわかるような、穏やかで丁寧な音作り。トラヴィアータに特有な無音部の美しさを作るのが素晴らしかったです。ちょっとした、音の“溜め”のとり方が、その次の音での感動を呼びます。また、歌手への合わせ方も絶妙。この日、歌手陣ではちょっと力の差が目立った(下手だった)、ジェルモンのルカ・グラッシは、「プロヴァンスの海と土」のところで、テンポが早くなったり遅くなったり、かなり聞き苦しかったのですが、これを実にうまく指揮で合わせて音楽で矯正していました。オーケストラボックスが良く見える位置にいたので、歌手とオケを丁寧に引っ張るこの若い指揮者に、なんか感動してしまいました。是非、日本にも来て欲しいですね。

 さて、歌手ですが、一幕目は全員が不調で、これは参ったなぁと思いました。タイトルロールのジェシカ・ヌッチョも、アルフレードのピエロ・プレッティは声がうわずってしまい、音程が怪しい。ガストーネの一声目“T’ho detto, Lamista qui s’intreccia al diletto. (言っただろう。この家では、友情と楽しみがおりあっているのだよ。)というところなど、冷や水をかけられるような下手さ。特に、ウィーン、ミュンヘンと、ともかく端役でも相当のレベルを保っているところを聴いてきたあとなので、フェニーチェの端役は本当に“端”だなぁと思ってしまいました。

 ところが、一幕目一場終了後の休憩でカツが入ったのか、二場になったら、「なんということでしょう!(ビフォア・アフター風に)」アルフレードとヴィオレッタがすんばらしくなっていたんです。プレッティの “O mio rimorso (私の後悔)“は、肩の力が入りすぎずに、若く、青いアルフレードの思いを良く伸びる高音をコントロールして素晴らしい出来でした。一幕目ではたいしたことのなかった拍手やブラボーも、このカバレッタの後は2-3分続きました。

 ヌッチョも一幕目とは別人のような安定した声で、深みのあって柔らかみがあるスピント(とっても魅力的な声です。去年マドリードのルイーザ・ミラーで聴いたラナ・コスに似たタイプです)で、ジェルモンとのやりとりを劇的に表現します。何より好感が持てるのは、“Morro!(死にます)“や、”Amami. Alfredo, quant’io T’amo….(私が愛しているのと同じくらい愛してね)”の盛り上がるところを、押さえ気味にさらっと、しかし激情がわかるような表現力で歌いきったところです。プレッティもヌッチョも若い(多分30歳前後)のですが、このようにコントロールした歌い方ができるというのはいいですね。ともすれば、(東欧系などに多い)この部分を盛り上げ過ぎて、いわゆる「三文オペラ」になってしまうケースは多いのです。これで、ジェルモンが良かったら言うことなかったのですが、まあ、このカーセンの演出自体がジェルモンに関しては淡泊で、ほとんど性格付けがされていないのも歌手が冴えなく聞こえる一因かもしれません。ちなみに、ヌッチョはなかなか体格が良くて、初演時をほうふつとさせてくれたのも良かったです。本人には大変失礼にあたるかと思いますが….


二幕目では、指揮の良さがはっきりわかりました。ジプシーの踊りの音楽のところは歌が無いので、指揮者は比較的自由に振れるのですが、これが素晴らしかった。“トラヴィアータ幻想曲”を聴いているような感じ。ちょっとレガートっぽく、実に美しかったです。この流れは三幕目にも続きます。ヌッチョはさらに調子を上げ、ピアニシモの声が実に悲しい。ジェルモンの手紙を読んだ後の、アリア、“道を誤った女の願い”は超一級でした。Bravaの嵐!

 最後に演出ですが、ロバート・カーセンのこの有名な演出は、1996年の火災から再建されたフェニーチェの2004年のこけら落としでお披露目されたもので、当時大変な反響を呼びました。至る所で飛び交い、天から降って来る黄金の札びら、それをガーターベルトにつっこむヴィオレッタ。ヴィオレッタの最期を見届けるやいなや、彼女の高価な毛皮を持って逃げ去るアンニーナ、同じく金銭を持ち去るグランヴィル医師など。それまで、あまりに美化されていたトラヴィアータをその時代の現実に合わせた見せ方をしたのです。これは、コンヴィチュニーの演出と並んで、珍しいトラヴィアータの読み替え演出の成功例だと思います。この日の演出はだいぶマイルドになっていて、ガーターベルトなどは登場しませんでしたが、それでも無数の札束はインパクトがあるものでした。

 ともあれ、終わってみれば満足感たっぷりの公演でした。しかし、ウィーンとミュンヘンの公演が準備充分で、一声目から100%のパフォーマンスで観客を魅了したのに対して、このフェニーチェの公演は、一幕目はまるで立ち稽古、ところが2幕目、3幕目に移るにうちに、奇跡が起きるという、この違いがゲルマンとラテンの違いなんでしょうか?車で言えばBMWとアルファロメオの違いみたいなもんですね。「故障は多いけど、絶好調だとチョー快感」みたいな….


 10日間の旅行もあと一日を残すあまり。明日は、オペラは無いので、ゆっくりとヴェネチアの沖のムラーノ島とブラーノ島に出かけて、昼間からワインで美味しいランチをしようと思います。そういえば、私事ですが、30年間抱えていたC型肝炎が昨年完治したので、再び飲めるようになったのです。医学の進歩は素晴らしいですね。帰国したら、又、ワーグナー。“ジークフリート”が待っています。

Conductor: Diego Matheuz
Director: Robert Carsen
Alfredo: Piero Pretti
Violetta Valéry: Jessica Nuccio
Giorgio Germont: Luca Grassi
Flora: Elisabetta Martorana
Annina: Sabrina Vianello
Gastone: Iorio Zennaro
Barone Douphol: Armando Gabba
Marchese d’Obigny: Matteo Ferrara
Dottor Grenvil: Mattia Denti


 

 

演出が????、バイエルンの“タンホイザー”

バイエルン国立歌劇場「タンホイザー」

 今回の旅の第2回目の観劇は、この秋に日本にも来日して公演される、バイエルン国立歌劇場の「タンホイザー」!日本公演のチケットも入手していましたが、一足お先に聴いてきました。なによりのお目当ては、来年からベルリンフィルの首席指揮者、芸術監督に就任するロシア、オムスク出身の45歳のキリル・ペトレンコ。そして日本でもおなじみのヘルデン・テノール、クラウス・フローリアン・フォークトでした。5月25日、この日はバイエルン州の休日で、お店はみんな閉店。開演の16時まで、ノイエ・ピナコテーク(新美術館)で時間をつぶしました。ミュンヘンは公演の中や街中に、美術館、博物館がたくさんあります。トラムもありますが、街の端から端まで歩いても40分くらい。天気が良かったので歩き回りました。

 さて、オペラ公演ですが、ウィーンと同様に、時間正確、ほぼ16時ぴったりに開演。登場したペトレンコは思ったよりずっと小柄でした。この日の席は、二階バルコニーの中央右よりの最前列。音楽を聴くには絶好の場所です。ペトレンコの指揮は、序曲からして実に力強く、彼自身の作りたい音楽というものがはっきりとわかる、そういう指揮です。おそらく、今回の公演は「ウィーン版」であったために、序曲(序奏?)から連続して一幕目に続きますが、弦が刻む装飾音を階段を降りるようにきっちりと鳴らして、音楽に躍動感を与えます。時には、腕力で振り回すようなところもありますが、これが又痛快です。実に筋肉質な指揮。それでいて、ひとつひとつの音が、楽器が浮き出すように繊細に聞こえてきます。意外に低い弦を強く鳴らすという趣向がなくて、中音で勝負してくる感じ。なかなか趣味の良い演奏で、僕にとっては、「新しいワーグナー」という感じがしました。歌い出しのタイミングで、歌手に向かって手を出して指示したり、合唱にも積極的に指揮をするなど、とにかく音楽でオペラをぐいぐいと引っ張っていました。(合唱も素晴らしかったです。)バイエルン歌劇場のホールは、見たところ1700−1800席でしょうか。とにかく良く響くホールです。このホールの特性をうまく使って、オーケストラを大きく聴かせていました。カーテンコールで、マエストロへの拍手と声援が一番大きかったですね。まるで地鳴りのようでした。日本のNHKホールで彼の音楽が、同じように響くかどうかは、ちょっと心配ですが、もう一度これを聴けるのは実に楽しみです。

 歌手陣では、冒頭でも触れたクラウス・フローリアン・フォークト、タンホイザーを歌うのは、これがはじめてです。僕は、日本でローエングリン、ハンブルグでヤングの指揮でマイスタージンガーのヴァルターで聴いていて、両方とももちろん素晴らしかったのですが、今回のフォークトには、今まで以上に声の熟成ぶりが伺えました。美しい高音部は、まるでウィーン合唱団員がそのまま声変わりしていないような凄さがあるのはもちろんですが、タンホイザーでは中音部に深みが出て、感情の表現力が豊かになっていました。憂いを含んだ歌声も今までになかった魅力だと思います。この人の声って、イタリアオペラで言えばバルトリのような位置にあるのではないかと思います。バルトリは超絶技巧でベルカントに脚光を浴びさせましたが、フォークトは、すくっと立ち上がる美しい高音で、今までの力の入ったヘルデンテノールとは違う新しい境地を見せてくれました。その新しさが、ペトレンコの力強い“新しいワーグナー”とはぴったり合うのですが、その分、他の歌手たちの影が薄れてしまう感じはありました。エリーザベトを歌ったアニヤ・ハルテロスは高音は美しく良く伸びるのですが、ややイタリアオペラっぽい発声で、特に巻き舌が多いのとヴィヴラートがきついのが気になりました。それでも目指しているところは、クラシックなワーグナーのソプラノの歌い方という感じ。その流れの頂点にはキルステン・フラグスタートやビルギット・ニルソンなどの往年のスター歌手が君臨する「声の殿堂」があると思うのですが、このタイプの声を目指してフォークトと並んで歌うと、ソプラノの方がなにやら古めかしく聞こえてしまうのです。この傾向はヴォルフラムを歌ったバリトンのクリスティアン・ゲルハーヘルも同様です。彼の声は悪くはなかったのですが、フォークトと、ペトレンコの新しさにやられてしまった感じです。日本で5年前にフォークトのローエングリンを初めて聴いて、雷に打たれたようになってから彼の大ファンになりましたが、今回でまたその想いはまたいっそう強くなりました。


 日本公演の前にあまり、詳細に(しかも偏った)印象を書いてしまうとネタバレにもなりかねませんが、歌手はフォークト以外は、来日するキャストはほとんど皆違うようですので、それはそれでとても楽しみです。

 そして、演出ですが、これこそネタバレなので、ここには書けないと思ったのですが、帰国したら、NBSのホームページにけっこう書かれていますね。なので、印象だけ書きます。NBSのホームページには「演出のカステルッチが登場すると、盛大なブーイングとブラボーとが入り乱れて場内は騒然。さまざまな視点を提示する新演出はコントラヴァーシャルな反応を引き起こしたものの、客席は大興奮だったとのことです。」と書かれています。この演出を面白いという人も確かにいると思います。しかし、僕としては、演出がこんなのではなかったら、もっとオペラにのめり込めたのに…という感じです。好き嫌いの前に、「邪魔」な演出でした。僕は現代演出、どちらかというと好きな方なのですが、この日の演出はタンホイザーのあらすじと音楽と全く無関係に展開しており、しかも、それにふさわしい演技を歌手がしていない。どちらかというと歌手は前を向いてクラシックに歌っている、ということで、演出がオペラ全体に溶け込んでいないのです。いずれにしろこの演出、日本でも相当な論議を呼ぶことは間違いなさそうに思います。9月の公演は、まだチケットはあるようですから、絶対にお見逃しの無いように。僕は渋谷での公演では、今度は演出に邪魔されないように舞台を見ないで、音楽と歌手だけに集中しようと思います。音楽と歌手だけで、素晴らしい充実感を与えてくれる公演であることは間違いないです。

 さて、これからフェニーチェに向かいます。

指揮:キリル・ペトレンコ
演出:ロメオ・カステルッチ
Chor
タンホイザー:クラウス・フローリアン・フォークト
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ:クリスティアン・ゲルハーヘル
エリザーベト:アニヤ・ハルテロス
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ:ディーン・パワー
ビーテロルフ:ピーター・ロバート
ハインリヒ:ウルリヒ・レス
ラインマル・フォン・ツヴェーター:ラルフ・ルーカス
ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ


 

ウィーンでの最高の“ばらの騎士”

一年に一回、春に欧州に家内とオペラを聴きに出かけることにしています。いつもヴェルディを中心にイタリアものばかり聴くので、ウィーンでもロンドンでもアムステルダムでもバルセロナでもたいていヴェルディになってしまいます。シモン・ボッカネグラなんか、5-6回聴いています。で、今年は趣向を変えて、劇場のある街で「ご当地もの」を聴くということを目的として、ウィーンで「ばらの騎士」、ミュンヘンで「タンホイザー」そしてヴェネツィアで「ラ・トラヴィアータ」という観劇を組みました。特にオットー・シェンク演出の豪華な「ばらの騎士」をウィーンで見るのは、随分前からの夢で、それがようやくかなったというわけです。

 5月23日のウィーン歌劇場での「ばらの騎士」は18時半開演でしたが、なにしろ当日の朝にウィーンに着いたばかりなので、とにかく途中で寝落ちしないようにと気合い充分で劇場に向かいました。席も 平土間の最前列中央部、これなら起きていられるだろうというところを取りました。結果、休憩を入れて4時間の長丁場、まぶたは痙攣し続けていましたが、なんとか寝ないで堪能できました。

 指揮のサッシャ・ゲッツェルはウィーン生まれで、ウィーンフィルのヴァイオリン奏者から指揮に転向したという47歳の気鋭。日本でも神奈川フィルで良く振っているので知っている方も多いと思いますが、僕は初めてでした。彼の「ばらの騎士は」しごく真面目な指揮だと思いますが、とにかく曲を美しく揺るがせます。序曲の最初のホルンからしてとびっきり美しい。その後に色々な音のモチーフがオケの色々なところから降って来るように聞こえて来るのですが、指揮者から3mくらいのところに座っていたので、音がとても分散して聞こえるのです。指揮者の耳にはこう聞こえるんだな、と思いましたが、それにしても、よくまあ、指揮者はこれをひとつの音楽にまとめあげるものだと感心します。木管金管の装飾音が退廃的でクリムトの筆の魔法にかかったような金箔の渦の中に聴衆を引き込みます。2年前に新国立でこの演目を指揮した、シュテファン・ショルテスが、あまりにもあっさりしすぎて、「揺らぎ」が全くなかったのを思わず思い出してしまいました。歌手とオケがユニゾンするところが何カ所かあるのですが、そこの積極的な鳴らし方が実にうまい。そして、何よりウィーンフィルの音が美しいこと。この劇場のオーケストラボックスは完全な開放型で、最前席だと弦の一本一本の音まで聞こえる感じですが、その弦の音の素晴らしいこと。まるで劇場の天井を突き抜けて夜空の奥まで伸びていくような美しさです。僕の貧弱な表現力ではそれをうまく表すことが出来ないのが残念です。そして、不思議なもので、序曲から30分もすると、最初は分散して聞こえていた音が、ひとつの音楽の塊として聞こえるようになるんです。この日の音楽は、本当に本当に素晴らしかったです。ともすれば、音楽にのめり込んで歌と舞台を忘れそうになりました。

 しかし歌手も素晴らしかったですね。オクタヴィアンのソフィー・コッシュが一幕目冒頭から、芯がきちんと通って、知的でかつ柔らかな素晴らしいメゾを聴かせます。ヴィブラートがほどんどない声はまさしくズボン役向きですが、元帥夫人の愛人として甘えたり、迫ったりする声、「ばらの騎士」としてゾフィーに対して凜々しく向かう時の声、女中のマリアンデルに化けた時のコミカルな声を見事に使い分けていて、完全に魅了されました。容姿も本当に美しく、男装の様は宝塚のようでした。ちょっとこれはファンになりそうですね。次はどこで何を歌うのか要チェックです。ゾフィー役のダニエラ・ファリー、昨年の来日公演でのツェルビネッタ以来です。あの時は、超絶コロラトゥーラを満喫しましたが、この日は、声量たっぷりで明るいソプラノを聴かせてくれました。高音が特に伸びるタイプではないのですが、ロシア系とは違うゴージャス、華やかな声で若いゾフィーにはぴったり。3幕目のオクタヴィアンとの2重唱で、オケも盛り上がってくるところは、僕の背中に電気が走りました。

 マルシャリン、元帥夫人を歌うはずだった、アンゲラ・デノケは残念ながら突然降板。代役のリンダ・ワトソンについてはあまり情報が無いのですが、リリックなソプラノで節回しがとてもうまい。そして中音部の声に色があって素敵です。一幕目で髪を整えてもらったのを鏡で見て「今日は年寄りに見える髪型ね。」と言うシーンでの中音の声の寂しさにはグッと来ました。三幕目で再登場して、オクタヴィアンがゾフィーと恋に落ち、自分が考えていたよりも早く彼が去ることを自分自身に言い聞かせるところ、そしてそれに続く三重唱は実に聞かせました。

 そして、この日舞台をグッと引き締めていたのが、オックス男爵のピーター・ローズ。低音になってもこもらない、はっきりとした声で、女声と見事に絡んでいました。どちらかというと軽い低音なのですが、イタリアのフルラネットやコロンバラなどとも違う声の質で、人間臭さが前面に出てくる歌い方です。三幕目は語り歌いのような(レチタティーヴォっぽい)ところが多いのですが、これが実に上手で引き込まれます。ともすれば、この役は、鼻を赤くしたりして、俗物っぽさを強烈に出す演出が多いのですが、この日の男爵は姿も語りも貴族然としていて、元帥夫人の従兄という役柄がぴったりです。こういう上品で下品なオックスが好きですねぇ。彼の好色漢ぶりは、実に細かいところまで気を配っている演技でうまく出していました。オックス男爵でいつも不思議に思うのは、「ばらの騎士」の中で最も優雅なワルツは、彼のテーマなんですよね。何故でしょうか?ワルツは時代考証的に合わないという批判もあるようですが、シュトラウス独特の不協和音からワルツがわき出てくる瞬間の幸せ感と言ったら、ちょっと他のオペラにはないものです。

 ファンニナルやテノール歌手、執事、酒場の主人、警官などそれ以外の歌手も粒ぞろいで、さすがウィーン歌劇場と思わされました。

 オットー・シェンクの演出は、実にクラシックで美しかったです。第一幕の元帥夫人の寝室は、天蓋のついた豪華なベッドがどんと構えています。第二幕のファンニナル家の邸宅は空に登るような階段が美しい。歌手たちの衣装も素晴らしいです。特にばらの騎士のオクタヴィアンのシルバー(アルマーニシルバーか!)の衣装はため息もの。

 ウィーンでの「ばらの騎士」は200%満足。本当に素晴らしかったです。家内と興奮してしゃべりながらの帰り道、定宿への道に迷ってしまいましたが、ウィーンの春の夜の散歩が楽しめました。

CONDUCTOR Sascha Goetzel
DIRECTOR Otto Schenk
SET DESIGN Rudolf Heinrich
COSTUMES Erni Kniepert

Feldmarschallin Linda Watson
Baron Ochs auf Lerchenau Peter Rose
Octavian Sophie Koch
Sophie Daniela Fally

バッティストーニの「春の祭典」

 久しぶりのブログです。19日金曜日の東京フィルハーモニー交響楽団オペラシティ定期公演第109回に行ってきました。バッティストーニは3月のラフマニノフ、チャイコフスキー以来です。

 まず、最初はヴェルディの歌劇オテロ第3幕からの「舞曲」。これは珍しいです。オテロ初演の1887年後にパリで初演された際に、当地のグランドオペラの趣向に合わせて3幕目の後半を改訂し、「舞曲」を入れたのだそうです。残念ながら、僕はこの「舞曲」の入ったパリ版を聴いたことがありませんでした。DVDにもなっている有名なスカラ座の2001年シーズンの、ムーティー指揮、ドミンゴ、フリットリ、ヌッチの公演は、このパリ版のはずですが、「舞曲」はそっくりはずされています。今度の9月の演奏会形式の「オテロ」では、この舞曲が入るのでしょうか?楽しみですね。

 という訳で初めて聴いたこの曲。ちょっと「マクベス」の舞曲にも似た妖艶でエキゾチックな雰囲気があって、スパイスが効いています。初めての曲なのに、素直に入ってくるメロディーの美しさと華やかさが、バッティストーニに盛り上げられたオケによって(オケが揺れ動いてました!)、序々にテンポが上がっていきます。いや、素晴らしいですね。これだけ、音楽がスタートしたとたんに、自分の感性でコンサートホールを劇的に支配するのは、バッティストーニならではだと思います。

 2曲目は、ザンドナーイの、これも珍しい曲、歌劇「ジュリエッタとロミオ」の舞曲。そう、今日は舞曲だけで構成されたコンサートなんですね。プログラムによれば、この曲はアンコールの定番だったそう。ロミオが馬を駆ってジュリエッタのもとに急ぐというシーンの音楽だそうです。メロディの雰囲気は全然違いますが、「ギョーム・テル」の序曲のようなイメージがありました。とにかく飛ばすこと飛ばすこと!バッティストーニ祭りになって、前半が終わりました。

 後半は、お目当ての「春の祭典」。バッティストーニはこの曲がよほど好きらしいですね。プログラムに2回に分けて、〜「春の祭典」によせて〜という文章を寄稿しています。かなり論理的で、且つ熱のこもった文章。翻訳の井内美香さんも苦労したのではないかと推測します。僕は、去年、ピエール・ブーレーズが亡くなった時に、彼のゆったりとした「春の祭典」と、同じ頃にリリースされた、テオドール・クルレンツィスの神経質とも言える、切れ味するどい「春の祭典」をだいぶ聴き込みましたが、いや、全然違いますね。。。当たり前のことですが。冒頭でオケの奥の方から響いて来る、ゆっくりとしたテンポのファゴットからして異質な感じ。前半は大地の上を春の妖精、、というか「幼虫」がうごめいているような不思議な迫力がありました。緩急の付け方もはっきりしていて、この演奏では踊れないな、と思いましたが、ストラヴィンスキーの現代性が、バッティストーニによって壮大なドラマになり、ステージから滝のように音楽が客席に打ち付けて来る感じ。凄かったです。

 4年前にはゲルギエフの指揮でマリインスキーバレエの、踊る「四季の祭典」も聴きましたが、この曲、指揮者によって本当に表情が変わります。また、前から3列目で生の音を聴くのが、CDをスピーカーで聴くのとこれほどに違う曲もないのでは、とも思いました。

 しかし、バッティストーニは曲の重要なエッセンスをつかみ取って、実にわかりやすく、爆発的に、、、まるでロック音楽のように聴かせますね。

 僕は、このところ、村上春樹の本を最新のものから戻るようにして、再読しているのですが、ちょうど、この前「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えたばかり。この小説のバックグラウンドミュージックとして、「ハルサイ」はぴったりだと思いました。一角獣が住み「壁」にかこまれた緑の多い町に春がが来る。。。そんなイメージですね。

 あと、アンコールの「八木節」(外山雄三作曲「管弦楽のためのラプソディー」)は、実にエンターテインでした。楽しみました!


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セビリャの理髪師、藤原歌劇団

4月30日のテアトロ・ジーリオ・ショウワでの藤原歌劇団本公演、「セビリャの理髪師」に行ってきました。今年は、2月のミンコフスキの公演に続いて2回目のセビリャです。昨年も日生劇場の公演に行っているので、世界的なロッシーニブームに僕も影響されていると言えそうです。

 今回の公演は、29日、30日の2日間、2つの違ったキャストで行われましたが、30日は若手中心のBキャスト。ロジーナの丹呉由利子がプリマデビュー、伯爵に黄木透が藤原でのデビューと、話題には事欠きません。

 まず、良かったのは主役級の歌手3人の声質が素晴らしく、且つ声がきちんとコントロールされていたこと。若い人にありがちな、声質だけに頼って声を振り回すことがないのです。これは、ベルカントのなんたるかを皆さんが、とても良く(僕なんかより、もちろん)勉強されて練習をしているからだと思います。黄木の声は甘く、まろやかなレッジェーロで、聴くものをとろけさせるものがありました。カーテンコールでは、”Bravo”に混じって、前のほうの席からは“キャー!”という女性の歓声も!おそらくはミュージカルのファンの方々でしょうが、こういうのもなかなか良いものです。(ロサンジェルスオペラの観衆みたい!)前日の公演で大アリアが聴けたということでしたので、期待をしていましたが、なかなか、なかなか、素晴らしい大アリアを歌ってくれました。音程がちょっと不安定になるところもありましたが、多くのテノールがスキップしてしまうこのアリアを立派に歌ってくれて大満足。新国立劇場での公演も、昨年末の公演で初めてマキシム・ミロノフが大アリアを歌いました。これがあるとないとでは、最後のフィナーレの感動が随分と違います。

 そして、フィガロ役の押川浩士、Bravissimo! 最初の登場のカヴァティーナで実力を見せました。軽く、しかし声の色を充分に出して、早口で観客をわしづかみにします。アジリタもすごい。伯爵との二重唱も若い頃のヌッチのフィガロを彷彿とさせる声の使い方。彼はミュージカルでも活躍しているとのこと、演技も俳優並でした。今回、舞台を一番締めていたのは押川さんだったと思います。フィガロという役は、フランスの18世紀の劇作家、ボーマルシェの3部作(セビリャの理髪師、フィガロの結婚、罪ある母)中で生まれた役柄で、明るく、機敏で、なにより幸せ感いっぱいな男なんですが、押川はこれを見事に表現していました。今月新国立で見た“フィガロの結婚”は、ブログにも書きましたが、フィガロにそういう感じが全く無かった。ここらへん、演出が、ボーマルシェの作品の流れをちょっと考えればフィガロの役作りをどうすれば良いか解ると思うのですがね。。あれはちょっと残念でした。
 
 で、もって本公演に戻ると、ロジーナ役の丹呉由利子、彼女も美声です。聴くたびにうまくなってきています。今回も、声の表現力、表情が素晴らしい。1幕目の“Una voce poco fa”も良かったですが、2幕目の、ドン・アロンゾ(実はコンテ)との歌の稽古で、ロジーナが歌う、アリア” Contro un cor che accende amore”(愛に燃える心に対して) は、ブッファでありながら、切なく燃える彼女の心を本当に良く表していました。

 歌手陣は、バルトロの田中大揮も、バジーリオの上野裕之、ベルタの吉田郁恵もとても良かったです。歌も素晴らしかったですが、皆、演技のうまいこと。これは、相当の練習をしているからこそ出来たのだと思います。演出の松本重孝は藤原ではもうおなじみですが、今回のセヴィリアはブッファのブッファたるところ、王道を示してくれました。

 最後に指揮ですが、序曲から、かなり“上品”で、テンポが遅い感じがしました。丹念に計算されて音の効果を狙っているのですが、全体にレガートに過ぎる感じがして、ブッファの楽しさを出し切れていないイメージがありました。最後のフィナーレは良かったですが、最初からあのくらいの明るさ、跳んでいる感じを出して欲しかったというのが本音。そして、オケですが、プログラムに“テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ”とだけあり、詳細は書かれていません。これは、学生(大学院生と大学生)を中心にした“あの”オケですよね。いつもながら、このオケには感動させられます。この日も、一度も「おや?」と思うような音を出さずに、指揮の示す音楽を美しく奏でていました。本当にこれも練習の賜ですね。

 何度も同じことをこのブログに書きましたが、テアトロ・ジーリオ・ショウワは大好きな劇場です。ここで、若い優秀な人の公演を聴くと1週間くらい、気分が良いです。今回もとても満足でした。

指揮:佐藤正浩
演出:松本重孝

ロジーナ:丹呉 由利子
アルマヴィーヴァ伯爵:黄木 透
フィガロ:押川 浩士
バルトロ:田中 大揮
ドン・バジーリオ:上野 裕之
ベルタ:吉田 郁恵
フィオレッロ:田村 洋貴
隊長:小田桐 貴樹
管弦楽:テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
合唱:藤原歌劇団合唱部

フィガロの結婚@新国立劇場

 このプロダクションもだいぶ見た感じがします。アンドレア・ホモキの演出は2000年代初頭にドイツで流行った、「段ボール演出」の最たるもの。音楽の邪魔をしないし、シンプルで良いのですが、さすがにもう飽きて来ました。そろそろ新しい演出が欲しいところ。同じ低コストのフィガロ演出でも、テアトロ・ジーリオ・ショウワのマルコ・ガンディーニの演出などは、とても洒落て新しい感じがします。

 この日良かったのは、何と言ってもコンテ(伯爵)を歌ったピエトロ・スパニョーリ。日本ではあまり知られていませんし、僕も初めて聴きましたが、別格という感じでした。美声で声量もあるのに、6割の力で歌っている感じの余裕感と表現力の豊かさ。そして特にレチタティーヴォでの表現力には唸らされました。素晴らしい! コンテの下心、いやらしさが、おかしいほどに出ていました。演技も余裕でしているので、動きが華麗で、まさしく貴族に見えます。3幕目始めの「私がため息をついている間に」のアリア。いつもはブッファの中に紛れ込んでしまったセリアっぽいアリアということで、あまり感激しなかったのですが、このスパニョーリのアリアは、いやはや、本当にBravo!! 素晴らしいコンテ歌いでした。知らず知らずのうちに、コンテを中心にこのオペラを聴いていました。
 
 そして、ケルビーノを歌ったスロヴァキア生まれのヤナ・クルコヴァも出色の出来でした。ケルビーノとしてはやや甘すぎて、中性的な声ではないのですが、深みと軽みを歌い分けて聴かせます。「恋とはどんなもの」では、このオペラ中、彼女だけがベルカントしていました。素敵でした。演技もユーモラスで、この人もBrava!

スザンナ役の中村恵理も素晴らしい声でした。ただ、スザンヌとしては声がやや立派になりすぎてしまって、スブレット感があまり出ていなかったのが少し残念。コンテッサが口述で恋文を書かせる場面の二重唱などは、口元を見ていないとどちらが歌っているかわからないほど、声の分類から見ると、二人がかぶってしまっていました。次に歌う時はコンテッサかもしれません。

 それよりももっと残念だったのは、当初、マルクス・ウェルヴァが歌う予定だったフィガロを歌ったアダム・パルカです。声質はとても良いのですが、重い声を持てあましているように、ずっと一本調子。ブッファの感じが全然出ていません。スザンヌと若い愛し合う二人という感じが無いのです。演技もあまりうまくなく、だいたい、スザンヌの方をあまり見ている感じがしない。スザンナから“フィガレット(フィガロちゃん)と呼ばれているんだから、それなりに甘い雰囲気ださないとだめですねぇ。(ちなみに、フィガロはスザンナのことをスザネッタとやはり愛称で呼んでいます。)そういうわけで、彼が出て来ると正直、ちょっと退屈なんです。この日の公演が、随分と長く感じてしまった原因でもある、と言ったらかわいそうですかね。この日彼はカーテンコールも含めてBravoが全くなかったです。

 中村以外の日本人の歌手陣もとても良かったです。マルッチェリーナの竹本節子は、ぴったりのはまり役!実に楽しい雰囲気を出してくれていました。バルバリーナの吉原圭子、バルトロの久保田真澄も良かったなぁ。僕の好きな糸賀修平は、もっと歌う役を付けてほしかったです。

 そして、指揮のコンスタンティン・トリンクス。1幕目はかなりひどかったですね。全く歌手と合わない。半音くらい先を行ってしまっていました。初日ということを考えても、ちょっとお粗末。2幕目以降はだんだんと良くなってはいましたが、何か音がもったりした感じです。そして、どういうフィガロの音楽を作りたいかがわからない。最近は、フィガロも積極的に「意思表示」をする指揮が多く、そのすべてが素晴らしいわけではありませんが、一昨年のテアトロ・ジーリオ・ショウワのムーハイ・タン、同じくハンガリーオペラ来日でフィガロを振ったバラージュ・コチャールなどは、序曲からフィナーレまで、明確な自分の「フィガロ設計図」を持っていました。その指揮者の意志が演出と歌手とに伝わって、両者の「フィガロの結婚」の公演は本当に素晴らしかったです。トリンクスは、2008年の新国立のドン・ジョヴァンニでも、大味で音が大きかったのだけが印象に残っています。帰りの車で、クルレンツィスのフィガロを聞きながら帰りましたが、ますますそんな思いを強くしました。やっぱり、オペラは「指揮者」が最重要要素ですね。

なにか、今日のブログ、ネガティブコメントが多くなってしまいましたが、スパニョーリ、クルコヴァ、中村、それからアガ・ミコライも素晴らしかったです。やはり、最近の新国立のレベルが上がったので、こちらの望むレベルも上がってしまっていると思います。初日18:30と少し早い始まりでしたが、ほぼ満席。スパニョーリを聴くだけでも、充分お釣りが来るだけの価値があります!!

さて、次の観劇はGWの藤原の「セヴィリアの理髪師」です。

指揮:コンスタンティン・トリンクス
演出:アンドレアス・ホモキ
美術:フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳:メヒトヒルト・ザイペル
照明:フランク・エヴァン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

アルマヴィーヴァ伯爵:ピエトロ・スパニョーリ
伯爵夫人:アガ・ミコライ
フィガロ:アダム・パルカ
スザンナ:中村恵理
ケルビーノ:ヤナ・クルコヴァ
マルチェッリーナ:竹本節子
バルトロ:久保田真澄
バジリオ:小山陽二郎
ドン・クルツィオ:糸賀修平
アントーニオ:晴 雅彦
バルバリーナ:吉原圭子
二人の娘:岩本麻里、小林昌代
合唱:新国立劇場合唱団

 

ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール デュオ・リサイタル

 4月19日のオペラシティのリサイタルに行ってきました。デセイを聴くのは久しぶり!(CDではしょっちゅう聴いていますが)至福の2時間を過ごしました。デセイの声は、オペラを歌っていたころに比べると、高音が丸くなった感じがしますが、これは「衰えた」というよりも、リートやポップスも歌って「声質が変わった」というべきだと思います。口から声が出ているというよりは、デセイの頭の周りに直径1mくらいの空気の球ができて、そこから声が響いてくる感じ。(なんか昔の球形スピーカーみたいですね。ビクターのGB-1?)実にまろやかです。しかし、表現力が素晴らしい!シューベルトのリートの落ち着いた響きや、初めて聴くプフィッナーの歌曲「古い歌」のユーモラスな表現、ショーソンからドビュッシーに至る、フランス歌曲ならではの洒落たメロディライン。声量を抑えた分、繊細なイメージを声に託して歌うデセイのなんと魅力的なこと。

 ピアノのフィリップ・カサールとのデュオももう5年くらいになりますかね。CDも一緒に3枚出しています。息もぴったり合っています。水の流れの音のように、舞台の上に音符を広げて行きます。若い頃のバレンボイムみたいですね。ドビュッシーの2曲、素晴らしかったです。デセイとのユーモアのある掛け合いも最高。そして、パミーナのアリアの最初のところでは、モーツァルトのピアノ協奏曲23番の出だしの部分を使うという、なんと洒落た仕掛けでしょう。バレエの“ル・パルク”が始まるのかと思ってしまいました。

 この日は、デセイの52歳の誕生日。ハッピーバースデイを聴衆が歌って、花束とケーキを舞台に持ち込みます。そして、4曲のアンコールのサービス。僕の大好きなドリーブが2曲もあって嬉しかったです。アンコール1曲目の「カディスの娘たち」が始まった時は興奮しました。

 今まで聴いたデセイ、いつも咳をしていました。ちょっと癖のような感じですが、明らかに風邪っぽいこともありました。この日も途中少し咳をしていましたが、喉の調子は絶好調だったと思います。また、オペラに戻らないかなぁと思ってしまいます。「マスネ」や「連隊の娘」聴きたいですよねー。

・モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』より
・スザンナのアリア「とうとうその時が来た〜恋人よ、早くここへ」 
シューベルト:
・ひめごと D719 
・若き尼 D828 
・ミニョンの歌 D877 
・ズライカⅠ D720 
・糸を紡ぐグレートヒェン D118 
・モーツァルト:歌劇『魔笛』よりパミーナのアリア「愛の喜びは消え」 
・プフィッツナー:歌曲集《古い歌》op.33 
休憩
・ショーソン:終わりなき歌 op.37 
・ビゼー:別れを告げるアラビアの女主人 
ドビュッシー(ピアノ・ソロ):
・亜麻色の髪の乙女 
・水の精 
ドビュッシー:
・未練 
・死化粧 
・グノー:歌劇『ファウスト』より宝石の歌「何と美しいこの姿」 

アンコール曲

・ドリーブ:カディスの娘たち
・R.シュトラウス:僕の頭上に広げておくれ op.19-2
・ドビュッシー:歌劇『ペレアスとメリザンド』第3幕より
・ドリーブ:歌劇『ラクメ』より「美しい夢をくださったあなた」

新国立劇場 オテロ

 久々のブログになってしまいしたが、4月12日の新国立劇場の「オテロ」に行ってきました。ヴェルディのオペラは久しぶりで、昨年10月のマリインスキーの「ドン・カルロ」以来です。「オテロ」はさらに久しぶりで2013年のフェニーチェ歌劇場来日の時以来。あの時は、ミョンフン、クンデに感激して2日行きましたっけ。

 この日の新国の公演、素晴らしかったです。まず、何が素晴らしかったかというと、「ヴェルディが素晴らしい!」と言いたい!1871年の「アイーダ」の時に、既に58歳だったヴェルディ、1873年に「レクイエム」を書いていますが、オペラとしての次作のオテロが初演されたのは1887年、74歳の時だったのですから、60歳代にはオペラは何も書いていないことになります。その間、イタリアではワーグナーの作品が続々と上演されており、特に、アイーダのイメージモデルになった、ヴェルディの愛人テレーザ・シュトルツ(ソプラノ)の前の夫で指揮者のアンジェロ・マリアーニは、ヴェルディへの当てつけのように、1867年のドン・カルロのイタリア初演を最後に、ワーグナーのローエングリンやタンホイザーのイタリア初演を指揮し、大成功をしています。ヴェルディはこれらの公演を聴きに行ったようです。ワーグナーにかなわない、と思ったわけではないでしょうが、同じ土俵に乗ろうとしなかったのだと思います。

 このヴェルディに再び火を付けたのは、詩人、作曲家のアリーゴ・ボーイト。長年の対立を経て、協力関係に至る史実は、ドラマのようで感動的です。ここらへんのことは、今回の公演のプログラムの加藤浩子氏の素晴らしい解説にも書かれています。

 そんなことを考えながら新国立まで車で行きました。もう公演が始まる前から僕はヴェルディ感いっぱいでした。加藤氏が書かれているように、ヴェルディのオペラは「一瞬のうちに襟首を掴まれてドラマのなかに投げ込まれる快感があると思うが、『オテロ』はその緊張感が2時間余にわたって続く、奇跡的なオペラ」です。番号オペラから脱し、序曲も、序奏もなくいきなり嵐の音楽で始まる一幕目。カリニャーニの指揮は、大音量で勢い良く始まるのですが、ややハウリング気味か?2009年の新国立でのフリッツァの指揮でも感じたのですが、この最初の音をトスカニーニのように鋭く研ぎ澄まされた雷のように出すのは難しいのでしょうか?なんとはなく音が散らかって聞こえるのです。その点では、2013年のフェニーチェ歌劇団来日の時のミョンフン、ちょっと古いですが2003年のスカラ来日の時のムーティは、音が刀のようになっていました。

 指揮、歌手とも、1幕目は安全運転という感じ。タイトルロールのカルロ・ヴェントレは中音の弱音で音程がやや定まらず、デズデモーナのファルノッキアも中音がはっきりしませんでした。

 ところが、休憩後の3幕目、4幕目は素晴らしかったです。指揮はグングンと歌唱をひっぱり、落とすところは落として歌唱を浮き上がらせます。楽器の音が明確になり、音楽が全体として塊感が強くなって、引っ張り込まれます。3幕目は全体が、ヤーゴの奸計が進んで行く幕で、音楽もそれを表していて、全幕中、最も長く、最も聞き応えがある(と個人的に思っている)ところです。感情に振り回されるオテロを歌うヴェントレも1,2幕とは打って変わって、中音から高音まで輝きのある声になりました。今回の主演級3人の中では、一番情感が歌に表れていたと思います。個人的には、あまりにも単純にデズモデーナへの疑惑に取り憑かれてしまうオテロには、僕の心は同調できませんが、ヴェントレは歌唱と演技でその悩みの苦しさを見事に表現していました。ファルノッキアも中低音が明瞭になり、高音は1,2幕目よりも伸びが出ました。その分ヴィヴラートもかかりましたが。スピントですが、鋼のような声ではなく、シルキーな歌声。柳の歌からアヴェ・マリアは良かったですね〜。ちなみに、ヴェルディがこの「オテロ」をボーイトと作ったイタリアの小さな村のサンターガータの邸宅には、本当に柳の木が何本もあるのです。2013年にヴェルディ生誕200年の時に、ここを訪れ、痛く感激した覚えがあります。

 繰り返しますが、休憩後の3幕と4幕目は、まるでサッカーのハーフタイムに監督と選手が気合いを入れた効果が出たかのように、良くなりました。初日はどうだったのでしょうか?

 歌手に戻りまして、イアーゴを歌った、ブルガリア生まれのウラディーミル・ストヤノフ。何かで昔聴いていてますが残念ながら思い出せません。暗めで高めのヴァリトンなのですが、イアーゴというのは、歌手自身が、相当に性格付けをはっきりとさせなくてはおもしろくないと思います。今までにヌッチ、フロンターリ、ガッロ(3回!)で聴いていますが、それぞれに、かなりはっきりとした毒々しい性格付けをして、歌唱と演技をしていました。そこらへんが、ストヤノフの場合希薄な感じを受けました。原作では28歳の役柄ということなので、それにはヌッチなどよりもずっと近いと思うのですが、「謀略を巡らせる悪い人」という感じがしなかったのは僕だけでしょうか?3幕目では、音楽が実に"ヤーゴ的”(ヤーゴの悪魔のトリルなども出てくる)なのですが、肝心のヤーゴがちょっと素直過ぎる感じが否めませんでした。

 日本人歌手陣もなかなか豪華でした。出番は少なかったのですが、最後のところのエミーリアの清水華澄さんは良かったなぁ。

 このオペラを聴く時には、1幕目、2幕目は字幕を見ますが、3幕目以降はあまり見ないようにしています。さっきも書きましたが、オテロの単純さが、あまりにも現実的ではなく、デズモデーナを殺すだけの必然性が感じられないのです。ですので、ここはそういう理屈は抜きにして、悩み抜くオテロの歌唱と演技、哀れなデズモデーナの美しい歌声に集中します。

 演出は、新国立ではもう何回目かになるマルトーネのもの。何トンもの水を使うのが美しいです。僕は好きですね、この演出。ちょっとキリコの絵のような感じがあり、まわりを石の建物で囲まれた水場と寝室は、そこからどこにも逃れられないオテロ、デズモデーナ、イアーゴの立場を際立させていると思います。

 色々と書きましたが、ヴェルディの傑作オペラを充分に堪能させてくれる、水準をはるかに超えた出来でした。ここ数年、新国立のオペラの水準は格段に上がっているので、さらに「もっと」と思ってしまうことはありますが。

 この次の中村理恵さんの「フィガロの結婚」も楽しみですね。

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イタリア、パルマ近くのサンターガータのヴェルディ邸の柳

【指揮】パオロ・カリニャーニ
【演出】マリオ・マルトーネ

【オテロ】カルロ・ヴェントレ
【デズデーモナ】セレーナ・ファルノッキア
【イアーゴ】ウラディーミル・ストヤノフ
【ロドヴィーコ】妻屋秀和
【カッシオ】与儀 巧
【エミーリア】清水華澄
【ロデリーゴ】村上敏明
【モンターノ】伊藤貴之
【伝令】タン・ジュンボ

【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】世田谷ジュニア合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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