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プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

コロン歌劇場での“ノルマ”

 生まれて初めて、南米に行って来ました。アルゼンチンのブエノスアイレスは、訳あって前から行ってみたと思っていたところ。今回、同地だけで6泊7日しました。ウルグアイの古い町、コロニア・デル・サクラメントへ日帰りで行ってきたのを除けば、毎日、街をフラフラしていました。タンザニアとかイグアスの滝とか、一般的に行く観光地はすべてやめにしました。この旅行を計画した昨年の秋に、気づいたのが、ちょうど旅行中に、テアトロ・コロンで、“ノルマ”をやるということ。しかも、タイトルロールがフリットリ!だということで、早速チケットを取りました。ただ、「本当に出るのかなぁ」とは思っていたのです。その悪い予感は的中し、フリットリは11月に入って降板、ベルリンでのファルスタッフに行ってしまいました。まあ、フリットリの喉にとっては、ノルマを歌うことは疑問でしたから、しかたがないかなぁというところです。

 テアトロ・コロンは、その大きさ、美しさから、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並び、世界の三大オペラ劇場と言われています。僕たちが行った日は、ちょうどブエノスアイレスでサミット(G20)が行われている時で、前日にはコロンで、レセプションがあったので、テレビで見られた方も多いと思います。
 座席で2500,立ち席で1200という大きさは、スカラ座を大きくしのぎ、感覚的にはNYのメトロポリタンに近い大きさという感じがします。

 指揮者はイタリア人のベテラン、レナート・パルンボ。実に素晴らしい音楽を聞かせてくれました。僕は2011年のエルナーニで聴いていました。音をこねくり回すようなことをせず、(ノルマではこれを良くやられます)楽譜をなぞるような指揮。序曲はやや古楽っぽく、切れの良いものでしたが、歌がはいると、レガートが美しく、しかし、若い歌手を引っ張るようなところが、ビシッと芯のはいった演奏につながっていました。伸ばすところは伸ばし、締めるところは締めるというベッリーニの楽譜が良くわかっているという印象があります。そして演出も一本の大きな木が真ん中に立ったシンプルなものでしたが、奥行きのある舞台(20mはあります)を有効につかった立ち回りで好感が持てました。

 フリットリの代役となった、アンナ・ピロッジは、ヴェリズモ的な歌い方がこのノルマにあっていないような感じもして、それがやや気になりましたが、高音まで気持ち良くあがる美声で、感情も良く表されていて、まずは健闘したと言えると思います。アダルジーザのアナリサ・ストゥロッパは、今回の歌手陣の中で一番良く、余裕充分な中高音の発声で、何とも言えない柔らかい奥行きのある声が魅力的でした。声量が一番あったということで、ややノルマを喰ってしまった感じはあります。

 残念だったのが、ポリオーネ役のへクター・サンドバル。一幕目は完全に喉の調子が悪かったようで、高音が立ち上がりません。声量も合唱に飲み込まれるような感じ。2幕目以降立ち直りますが、完全に力不足なのは隠しようもありませんでした。

 終わってみれば、とても印象の強い“ノルマ”ではありませんでしたが、オケを中心にレベル的には高いものだったと思います。多分、2度とブエノス・アイレスを訪れる機会はないと思いますが、コロン劇場の美しさとともに、思い出に残る公演になりそうです。

1週間、温暖なアルゼンチンにいて、これから極寒のNY行きで、現地ではトリプルヘッダーでの観劇、旅の後半はちょっときつい日程です。

とても座り心地が良く、ゆったりしているコロンの椅子
ゆったりしていて、座り心地の良いコロン劇場の椅子、さながらプレミアエコノミー



DIRECTOR MUSICAL INVITADO
Renato Palumbo
DIRECTOR DE ESCENA
Anna Piozzi
NORMA, SACERDOTISA DE LOS DRUIDAS
Christina Major
POLLIONE, PROCÓNSUL ROMANO
Héctor Sandoval
ADALGISA, SACERDOTISA RIVAL DE NORMA
Annalisa Stroppa
OROVESO
Fernando Radó
CLOTILDE
Guadalupe Barrientos
FLAVIO
Santiago Burgi (2, 4, 5 y 7)


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アイーダ@神奈川県民ホール

10月21日のアイーダに行ってきました。アイーダを生で聴くのは7回目。ヴェルディの作品の中では、トラヴィアータ、シモン・ボッカネグラ、ドン・カルロの次に多いと思います。特に今年は、4月の新国立の公演にも行っていますので、2度目の観劇。今回は、なんと4つの劇場(札幌文化芸術劇場hitaru、神奈川県民ホール、兵庫県立芸術文化センター、iichiko総合文化センター)と3つの芸術団体(東京二期会、札幌交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団)が、共同制作をするという意欲的な公演なのですが、逆にこれだけ多くの劇場が係わると収集がつかなくなってしまうのではという危惧も。

 指揮のバッティストーニは、このオペラを大変得意としていて、プログラムにもあるように「最高にワクワクするオペラ」と言っています。この日の指揮も、歌手に寄り添うというよりは、歌手をぐんぐん引っ張って行く迫力のあるものでした。アイーダの曲のエッセンスを絞り出すような感じです。ただ若干金管の響きが強すぎて、歌手の声をかき消すところがありました。アイーダトランペットは舞台の両端で鳴らされましたが、これはとても良かった。たいてい、もっと高いところで吹かれるのですが、正面から聞くのも良いものです。また、メロディーラインを奏でる楽器のボリュームを少し上げて、歌唱や合唱とユニゾンするようにしているところが、とてもイタリアっぽい。3幕目の最後のところは、イタリア感がピークに達して感動しました。4月のカリニャーニのややマイルドな演奏は“シンフォニー”のようでしたが、バッティストーニの指揮は、彫刻刀で削ったようなシャープで歌手を鼓舞するパワフルな“オペラ音楽”でした。

 ただ、この指揮についていけた歌手とそうでない歌手がいたのも事実。良かったのは、アモナズロの上江隼人。新国立の時の同役も彼でしたが、得意の高音に加えて、中低音に凄みが出て、アモナズロになりきっていました。声の演技が素晴らしかったです。そして、西村悟の代役で、もともとの伝令の役から大抜擢されてラダメスを歌った城宏憲が、一幕目の「清きアイーダ」からびっくりするような美声を聴かせました。声を振り回さずにコントロールしているところも良かったです。若いラダメスの苦悩を良く演じていました。新国立の研修生の頃から聴いていますが、今回のチャンスを生かしましたね。今後、主役級の役も付くのではないでしょうか?ランフィスの斉木健詞も、いつもはややモゴモゴした感じがあるのですが、この日はクリアでとても良かったです。アイーダの木下美穂子も、突出してはいませんでしたが、無難に歌っていました。

 残念だったのは、アムネリスのサーニャ・アナスタシア。一幕目は、声が出ない。テンポも遅れる。ただ、まあまだ喉が温まっていないのだろうと思っていました。で2幕目に期待していたのですが、その第一声、音がはずれた!だいたい1/4音はずれてしまっていました。いきなり、頭から水をかけられたような気分になりました。その後も無理に高音を出そうとすると、まるで、コーンスピーカーの紙が破れたような籠もった声になってしまい、落ち着いてオペラを聴いていられない状態。3-4幕目ではようやく持ち直して、「ああ、これが実力なんだ」と思われる良い歌唱を聴かせましたが、前日の清水華澄がとても良かった、(僕も演奏会形式で聴いていますが素晴らしかったです。)と聞いていますので、何もこのレベルの歌手を海外から招聘する必要性があったのかと思ってしまいました。このオペラは、“アイーダ”ではなくて、“アムネリス”というタイトルにしても良いくらい、アムネリスの役は重要なのに、大変残念でした。

 そして、もうひとつ残念だったのは演出。演出はほとんど無いという感じで、一昔前の藤原のように、歌手は前を向いて両手を広げて歌うのが殆ど。これなら演奏会形式でも良いような気がしました。それを補うように、バレエは本格的。東京シティバレエ団のプリンシパルクラスが、フェッテやマネージュを繰り広げ、さながらバレエの公演のようです。バレエが好きな僕としては嬉しかったのですが、演出の無い分をすべてバレエに託したような安易さがあり、また、オペラとの調和という面でもやや疑問でした。

 オペラが終わった時は、なかなかの満足感があったのですが、一夜明けてブログにすると色々と難点が気になってしまう、そんな公演でした。


指揮 アンドレア・バッティストーニ
演出 ジュリオ・チャバッティ

アイーダ 木下美穂子
ラダメス 城宏憲
アムネリス サーニャ・アナスタシア。
アモナズロ 上江隼人
ランフィス 斉木健詞
エジプト国王 清水那由太
巫女 松井敦子
伝令 菅野敦

東京シティバレエ団
東京フィルハーモニー交響楽団

 

三部作 東京二期会

6月のバーリ歌劇場来日“イル・トロヴァトーレ”以来、シーズンオフを挟んで、久しぶりのオペラです。“三部作”は僕の大好きな作品で、かなり楽しみにしていました。“外套”、“修道女アンジェリカ”、“ジャンニ・スキッキ”の、それぞれ1時間程度、一幕物のオペラ作品が、この順序で上演されるものですが、 “ジャンニ・スキッキ”は、独立した作品として上演されることも多い作品です。実際、僕も、通しで三作品を見たのは、2008年のロサンジェルス・オペラでの一回だけです。

僕は、プッチーニの作品にはあまり思い入れがありません。特に「ラ・ボエーム」などは、最も苦手とするオペラ。「お涙頂戴」的なところが苦手というのもありますが、多くの作品で、主人公の恋愛や、悩みが幕が上がってから不自然に急に始まるというところに、「物語が悲劇を演出する“為”にこさえられている。」という感じがしてしまうのです。その点では話の筋の流れが開演前からある「トスカ」は好きなほうですね。それで、この三部作は、すべてが短い作品ということもあり、オペラの開演前に、もう既にドラマが始まっています。特に“外套”、“修道女アンジェリカ”では、かなり過酷な運命の流れがあり、この流れに終止符を打つ部分がオペラになっているのです。

今回の公演で、特筆すべきなのは、ミキエレットの演出でしょう。ミキエレットを初めてみたのは、新国立のキャンプ場を舞台とした“コジ・ファン・トゥッテ”で、この演出には、それほど感銘を受けませんでしたが、その次に2015年にアムステルダムで見た美術館の中で演じられる“ランスへの旅”は、本当に心動かされました。そして、この“三部作”。ミキエレットの演出に魔法をかけられた気分です。“外套”は、波止場のコンテナ置き場を舞台にし、次の“修道女アンジェリカ”は、そのコンテナが開いて、修道院の洗濯場と独房になります。そして、休憩後の“ジャンニ・スキッキ”では、そのコンテナがフィレンツェの館に変わるのですが、コンテナが舞台上斜めに置かれているので、舞台上手側に座っている観客からは、コンテナの間の路地になっているようなところが見られると思いますが、僕が座った下手側からだとコンテナの間は、ほとんど見えません。証明に照らされた影で歌手の動きを推測するのみ。また、コンテナの上の部分が邪魔をして、3階のL、R前方の観客からはコンテナの内部や、その中で歌う歌手の頭は見えません。このように、一見、舞台装置は不親切なように思えますが、オペラが進んで行くと、まさに実際の現場をのぞき見ているような現実感が生まれて来ます。舞台美術のヴェリズモと言うべき方法でしょうか?とても刺激的でした。そして、そのコンテナが“ジャンニ・スキッキ”の最後には、すべて閉じられて、“外套”の最初の場面に戻ります。この三部作がもともと、ダンテの「神曲」から作られているとプログラムにも説明がありますが、神曲が表すあの世には、「地獄」、「煉獄」、「天国」があり、オペラの3つの作品もそれに対応していると思うのです。ですので、「天国」に見えた“ジャンニ・スキッキ”が実際には「地獄」であり、「外套」と同じだという見方に最後に戻るのをコンテナで見せるという鋭い演出には、今風にいうと「ヤバイ!」という感じ。

その他にも、“外套”が終わって、横たわったジョルジェッタが、そのまま髪を切られて、アンジェリカとして修道院に送り込まれ、次のオペラにつながるところも秀逸です。アンジェリカの抱えた罪が、“外套”での娼婦性の罪と相まって、余計に強く印象に残ります。そして、ミケーレが落とした子供の靴をアンジェリカが拾うところも同じように、2つのオペラをつなげる大きなカギになります。

この演出によって、緻密な演技を求められた歌手陣も素晴らしかったです。“外套”のミケーレと、“ジャンニ・スキッキ”のタイトルロールを演じた上江隼人は、持ち前の中高音域の美しさに、最近は低音域の凄みを加え、しかし、明確なイタリア語の発音で、舞台を締めます。ジョルジェッタとアンジェリカの北原瑠美も、2つのオペラの心理劇的な面を、強く感じさせる歌唱と演技が素晴らしい。そして、今回、驚いたのは、どちらかとリリックな印象のあった、樋口達哉が“外套”のルイージでヴェリズモ的な強い声を聴かせてくれたことです。アンジェリカに対する公爵夫人を歌った中島郁子も、その意地悪い感じと、後半、それを後悔するような歌唱と演技に引き込まれました。通常は、アンジェリカの子供は本当に亡くなっていて、アンジェリカが服毒自殺をすると、天使の歌声と共に光りの中に現れるのですが、今回の演出では、実は亡くなってはいなかったという、やりきれない結末になっています。

三部作の音楽では、何と言っても「外套」の序奏、そのあと何度も繰り返される、暗い埠頭に寄せる波のような弦楽の調べが好きですが、ベルトラン・ド・ビリーの指揮は、過度にヴェリズモっぽく強弱を付けるのではなく、淡々と、しかし実に美しい音楽を構成していました。三作を統一するような、インテンポな音楽作りで、これも、演出ととても合っていました。

日本で、これだけの水準の高い三部作を、それもすこぶるリーズナブルなチケットプライスで聴けるというのは何と幸せなことでしょうか! 今年は、海外でもう一回“三部作”を聴けるかもしれません。

指揮: ベルトラン・ド・ビリー
演出: ダミアーノ・ミキエレット
演出補: エレオノーラ・グラヴァニョーラ
装置: パオロ・ファンティン
衣裳: カルラ・テーティ
照明: アレッサンドロ・カルレッティ
合唱指揮: 冨平恭平
演出助手: 菊池裕美子
舞台監督: 村田健輔
公演監督: 牧川修一
公演監督補: 大野徹也

<キャスト>
『外套』
ミケーレ : 上江隼人
ジョルジェッタ: 北原瑠美
ルイージ : 樋口達哉
フルーゴラ: 塩崎めぐみ
タルパ : 清水那由太
ティンカ : 児玉和弘
恋人たち : 新垣有希子
     新海康仁
流しの唄うたい: 高田正人

『修道女アンジェリカ』
アンジェリカ:北原瑠美
公爵夫人 : 中島郁子
修道院長 : 塩崎めぐみ
修道女長 : 西館 望
修練女長 : 谷口睦美
ジェノヴィエッファ:新垣有希子
看護係主導女: 池端 歩
修練女 オスミーナ:全 詠玉
労働修道女I ドルチーナ:栄 千賀
托鉢係修道女I :小松崎 綾
托鉢係修道女II: 梶田真未
労働修道女II: 成田伊美

『ジャンニ・スキッキ』
ジャンニ・スキッキ:上江隼人
ラウレッタ: 新垣有希子
ツィータ : 中島郁子
リヌッチョ: 新海康仁
ゲラルド : 児玉和弘
ネッラ : 小松崎 綾
ベット : 大川 博
シモーネ : 清水那由太
マルコ :  小林大祐
チェスカ : 塩崎めぐみ
スピネロッチョ: 倉本晋児
公証人アマンティオ:香月 健
ピネッリーノ: 湯澤直幹
グッチョ :寺西一真

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部、NHK東京児童合唱団

イル・トロヴァトーレ バーリ歌劇場

来日した(初?)、イタリアバーリ歌劇場の「イル・トロヴァトーレ」初日(6/22)に行ってきました。家を出る前にネットのサイトをチェックしてびっくり、唖然。レオノーラ役のバルバラ・フリットリが気管支炎のために降板!これは残念。あの甘い美声でレオノーラが聴けるのが、この公演の最大の楽しみだったのに〜。

それでも、公演全体としては素晴らしいパフォーマンスで大満足でした。男声3人が素晴らしかった。シモン・ボッカネグラのパオロ、ピエトロ以上に脇役だけど、重要なのが、ルーナ伯爵の家臣、フェルランド。1幕目は地の底から響くようなティンパニに続く、短い序奏を経て、いきなり歌い始める彼の独壇場なのですが、アレッサンドロ・スピーナが、バスとしては、実にくっきりと発音が聞こえる透明な声で場を締めます。モゴモゴしないバスっていいですね。フルラネットほど軽くはないのですが、重々しすぎなくて、「家臣」という役にぴったりでした。カーテンコールでも脇役とは思えない拍手をもらっていました。

そして、マンリーコを歌ったフランチェスコ・メーリ。今までに聴いた彼の役では、ローマ歌劇場来日の際の、シモン・ボッカネグラのガブリエーレがとても印象に残っていますが、この日は、マンリーコの悲劇性を明るく艶のある声をコントロールして表現力豊かに歌ってくれました。声の強弱とか、感情のトップに持って行くところが、実にヴェルディっぽい!今、ヴェルディを歌うテノールとしては最高でしょうね。イタリアのテノールとしてもフローレスとタイプは違いますが、ならんで2大(?)テノールだと思います。3幕目の「ああ、愛しい人よ」、「見よ、恐ろしい炎を」は圧巻。声量がたっぷりあるのですが、それを否応無しに聞かせるという感じがしません。ただ、最後のハイCは上げなくても良かったかなと個人的には思います。(とは言っても上げなかったのは聞いたことがないですけど)そして、ルーナ伯爵のアルベルト・ガザーレも素晴らしかったですね。この人も明るい声で、実にイタリアっぽいです。もう少し表現力が出てくればもっと良いと思いますが、これだけの男声2人が揃ったイル・トロヴァトーレは聴いたことがありません。

やはり、残念だったのは、フリットリの代役のスヴェトラ・ヴァレンシア。バーリでは良く歌っているようですが、今回の代役は急遽決まったようで、相当に緊張していたようです。登場してすぐは、声もかすれ気味で声量も乏しく、どうなることかと思いましたが、序々に良くなってきました。4幕目の長いアリアでは、随分調子が出て来ていたと思いますが、、カーテンコールでも拍手が少なく、ちょっと可哀そう。良く頑張ったと思います。僕はフリットリは、シモン・ボッカネグラのアメーリアでは数回聴いているのですが、他の役では聴いていません。今回は残念でした。ただ、イタリアではそろそろキャリアも終わりかけているとも言われています。今年後半から来年は、なんとノルマに挑戦します。たまたま11月に家内とアルゼンチンに行くので、その時にコロン歌劇場で彼女のノルマのチケットを取りました。降板しないでね。。

それで、この日の公演をスーパーなものにしていた立役者は、指揮者のジャンパオロ・ビサンティでしょう。実に格調があります。それでいて堅くなく、静かな中に情感が水面から飛びだそうと渦巻いている。盛り上がるところでは、歌手の声量と同じレベルまで上がって、音楽が一体化する至福の時が訪れました。知的で優雅。実に聴き応えがありました。

この公演の3日前、ビサンティとガザーレの歌唱付き講演会を、イタリア文化会館アニェッリホールで聞いたのですが、とても面白かったです。ガザーレのサービス精神は旺盛で、ピアノに合わせて自分のパートだけでなく、マンリーコやアズチェーナのパートまで歌ってくれました。これも、ヴェルディ協会の主催でした。会員無料は嬉しいです。

おそらく、今日(6/24)、そして来週の琵琶湖での公演は、もっと良くなると思います。当日券もあるのでは?是非、行って頂きたい公演です。

指揮:ジャンパオロ・ビサンティ
演出:ジョセフ・フランコニ・リー
管弦楽:バーリ歌劇場管弦楽団
合唱:バーリ歌劇場合唱団

マンリーコ フランチェスコ・メーリ
レオノーラ スヴェトラ・ヴァシレヴァ
ルーナ伯爵 アルベルト・ガザーレ
アズチェーナ ミリヤーナ・ニコリッチ
フェルランド アレッサンドロ・スピーナ
イネス エリザベッタ・ファッリス

フィデリオ@新国立劇場

ここ数週間、オペラファンの間では、随分話題になっている「フィデリオ」の最終日、新国立劇場まで行ってきました。

 まずは、カタリーナ・ワーグナーの新制作の演出について書かないわけにはいかないでしょう。もう、色々なブログで語られていますので、内容をご存じの方は多いと思いますが、カタリーナは2幕目以降最後までのあらすじをすっかり変えてしまっています。レオノーレに助けられてフロレスタンとハッピーーエンドで終わるところを、この二人ともが刑務所長のドン・ピッツァロに刺殺されてしまい、開放されるべき全囚人も、結局牢の中に戻されるという、暗い結末なのです。初日のカーテンコールではカタリーナに拍手とブーイングが入り乱れたとのこと。ブーイングも彼女にとっては勲章でしょうから、さぞかし満足したことだと思います。

 僕は、と言えば、予想していたほどのインパクトは受けませんでした。もともとの台本のハッピーエンドに無理があると思っていたので、こういう読み替えもありかなと思いました。しかし、3階建ての凝りに凝ったな舞台を作り、大がかりな読み替えをするという労力、そして新制作ということで費用も馬鹿にならないでしょう。それだけのことをしてくれたのに対しては、正直「無駄なこと」をしたなぁと思わざるをえません。バイエルン歌劇場のタンホイザー(カステルッチ演出)の時は、演出の趣旨を理解しようとして頭をひねったり、醜悪な死体の意味がわかりかねて腹が立ったり、色々と神経を刺激されたのですが、このフィデリオは、刺激がないのです。つまり「だるい」のです。腹も立たないし、解釈にもある程度ついていけるのだけど、下手すると「眠くなる」演出でした。

 その大きな理由の一つが、重要な読み替えの殆どの部分が、第二幕途中に入れられた「レオノーレ序曲第三番」が長々と演奏される間にパントマイムで行われたことにあります。演奏と歌手の動きは良くあっているのですが、このやり方なら、どんなに下手な演出家でも、好き勝手に演出できます。台詞のあるところを、演出で読み替えるというのが、演出家の腕の見せ所だと思います。ミキエレットの美術館編の「ランスへの旅」、コンビチュニーのミクロの決死圏風「マイスタージンガー」、グラハム・ヴィック(この人は好きではないが)のEUとスイスの問題を取り上げた「ウィリアム・テル」などは、オペラ本編自体の中で「読み替え」をしています。これに対して、カタリーナは、重要な読み替え部分を、「レオノーレ第三番」の追加演奏の間にほとんどやってしまったわけで、言ってみればカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲の間に、トゥリッドゥは怖じ気づいてどこかに逃げてしまい、最後に死んだのは替え玉だった、と読み替えるのと同じようなものです。

 正直、このレベルの演出で、新国立で再演可能なんでしょうか?僕は、正直読み替え演出、好きなほうなのですが、再演される条件としては、演出の完成度の高さと、もうひとつ、「どのように理解していいのか?」という問題提起をしていることが挙げられると思います。この意味では、決して好きではなかったのですが、カステルッチのタンホイザーは、2度も見てしまいました。今回の、カタリーナ・ワーグナーの演出で理解ができないのは、最後に出て来た偽のレオノーレが、ドン・ピッツァロの情婦か何かなのか?という疑問くらいで、あとは、小学生の学芸会のように、みなわかりやすいのです。最後に悪が勝つ、というのも、「そりゃそうだろうなぁ」という感じ。安手のサスペンス映画を2度見る気がしないのと同じで、この演出を2度見る気にはなりません。ですので、ブーイングする気にもなりませんでした。

 一方、指揮とオケ、歌手は素晴らしかったと思います。飯守マエストロの最後の新国立でのパフォーマンスとして、本当に集大成!先日の、ミョンフンの情感豊かな指揮にくらべて、荘厳な、様式感のある指揮でしたが、実に満足。歌手陣では、マルツェリーネの石橋栄美、ジャキーノの鈴木准の日本人若手が望外に良かったです。もちろん、フロレスタンのグールドもレオノーレのメルベートも素晴らしかったですが、個人的にはレオノーレは、先日のミョンフン指揮東フィルで、レオノーレを歌ったマヌエラ・ウールのクールな歌い方のほうが、“フィデリオ”役には合っているような気がしました。

 マエストロミョンフンは、「フィデリオは演奏会形式でやるのがベスト」と言っていますが、今回のような演出で見せられると、まさしくそうだと思います。いや、今回のような演出でなくても、やはり“歌唱付き交響曲”というイメージが強く、音楽の力強さを感じることがベートーヴェンへのリスペクトかなと思いました。

指揮:飯守泰次郎
演出:カタリーナ・ワーグナー
管弦楽:東京交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団

【キャスト】

ドン・フェルナンド:黒田博
ドン・ピツァロ:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン:ステファン・グールド
レオノーレ:リカルダ・メルベート
ロッコ:妻屋秀和
マルツェリーネ:石橋栄実
ジャキーノ:鈴木准
囚人1:片寄純也
囚人2:大沼徹

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