プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

新国立劇場 オテロ

 久々のブログになってしまいしたが、4月12日の新国立劇場の「オテロ」に行ってきました。ヴェルディのオペラは久しぶりで、昨年10月のマリインスキーの「ドン・カルロ」以来です。「オテロ」はさらに久しぶりで2013年のフェニーチェ歌劇場来日の時以来。あの時は、ミョンフン、クンデに感激して2日行きましたっけ。

 この日の新国の公演、素晴らしかったです。まず、何が素晴らしかったかというと、「ヴェルディが素晴らしい!」と言いたい!1871年の「アイーダ」の時に、既に58歳だったヴェルディ、1873年に「レクイエム」を書いていますが、オペラとしての次作のオテロが初演されたのは1887年、74歳の時だったのですから、60歳代にはオペラは何も書いていないことになります。その間、イタリアではワーグナーの作品が続々と上演されており、特に、アイーダのイメージモデルになった、ヴェルディの愛人テレーザ・シュトルツ(ソプラノ)の前の夫で指揮者のアンジェロ・マリアーニは、ヴェルディへの当てつけのように、1867年のドン・カルロのイタリア初演を最後に、ワーグナーのローエングリンやタンホイザーのイタリア初演を指揮し、大成功をしています。ヴェルディはこれらの公演を聴きに行ったようです。ワーグナーにかなわない、と思ったわけではないでしょうが、同じ土俵に乗ろうとしなかったのだと思います。

 このヴェルディに再び火を付けたのは、詩人、作曲家のアリーゴ・ボーイト。長年の対立を経て、協力関係に至る史実は、ドラマのようで感動的です。ここらへんのことは、今回の公演のプログラムの加藤浩子氏の素晴らしい解説にも書かれています。

 そんなことを考えながら新国立まで車で行きました。もう公演が始まる前から僕はヴェルディ感いっぱいでした。加藤氏が書かれているように、ヴェルディのオペラは「一瞬のうちに襟首を掴まれてドラマのなかに投げ込まれる快感があると思うが、『オテロ』はその緊張感が2時間余にわたって続く、奇跡的なオペラ」です。番号オペラから脱し、序曲も、序奏もなくいきなり嵐の音楽で始まる一幕目。カリニャーニの指揮は、大音量で勢い良く始まるのですが、ややハウリング気味か?2009年の新国立でのフリッツァの指揮でも感じたのですが、この最初の音をトスカニーニのように鋭く研ぎ澄まされた雷のように出すのは難しいのでしょうか?なんとはなく音が散らかって聞こえるのです。その点では、2013年のフェニーチェ歌劇団来日の時のミョンフン、ちょっと古いですが2003年のスカラ来日の時のムーティは、音が刀のようになっていました。

 指揮、歌手とも、1幕目は安全運転という感じ。タイトルロールのカルロ・ヴェントレは中音の弱音で音程がやや定まらず、デズデモーナのファルノッキアも中音がはっきりしませんでした。

 ところが、休憩後の3幕目、4幕目は素晴らしかったです。指揮はグングンと歌唱をひっぱり、落とすところは落として歌唱を浮き上がらせます。楽器の音が明確になり、音楽が全体として塊感が強くなって、引っ張り込まれます。3幕目は全体が、ヤーゴの奸計が進んで行く幕で、音楽もそれを表していて、全幕中、最も長く、最も聞き応えがある(と個人的に思っている)ところです。感情に振り回されるオテロを歌うヴェントレも1,2幕とは打って変わって、中音から高音まで輝きのある声になりました。今回の主演級3人の中では、一番情感が歌に表れていたと思います。個人的には、あまりにも単純にデズモデーナへの疑惑に取り憑かれてしまうオテロには、僕の心は同調できませんが、ヴェントレは歌唱と演技でその悩みの苦しさを見事に表現していました。ファルノッキアも中低音が明瞭になり、高音は1,2幕目よりも伸びが出ました。その分ヴィヴラートもかかりましたが。スピントですが、鋼のような声ではなく、シルキーな歌声。柳の歌からアヴェ・マリアは良かったですね〜。ちなみに、ヴェルディがこの「オテロ」をボーイトと作ったイタリアの小さな村のサンターガータの邸宅には、本当に柳の木が何本もあるのです。2013年にヴェルディ生誕200年の時に、ここを訪れ、痛く感激した覚えがあります。

 繰り返しますが、休憩後の3幕と4幕目は、まるでサッカーのハーフタイムに監督と選手が気合いを入れた効果が出たかのように、良くなりました。初日はどうだったのでしょうか?

 歌手に戻りまして、イアーゴを歌った、ブルガリア生まれのウラディーミル・ストヤノフ。何かで昔聴いていてますが残念ながら思い出せません。暗めで高めのヴァリトンなのですが、イアーゴというのは、歌手自身が、相当に性格付けをはっきりとさせなくてはおもしろくないと思います。今までにヌッチ、フロンターリ、ガッロ(3回!)で聴いていますが、それぞれに、かなりはっきりとした毒々しい性格付けをして、歌唱と演技をしていました。そこらへんが、ストヤノフの場合希薄な感じを受けました。原作では28歳の役柄ということなので、それにはヌッチなどよりもずっと近いと思うのですが、「謀略を巡らせる悪い人」という感じがしなかったのは僕だけでしょうか?3幕目では、音楽が実に"ヤーゴ的”(ヤーゴの悪魔のトリルなども出てくる)なのですが、肝心のヤーゴがちょっと素直過ぎる感じが否めませんでした。

 日本人歌手陣もなかなか豪華でした。出番は少なかったのですが、最後のところのエミーリアの清水華澄さんは良かったなぁ。

 このオペラを聴く時には、1幕目、2幕目は字幕を見ますが、3幕目以降はあまり見ないようにしています。さっきも書きましたが、オテロの単純さが、あまりにも現実的ではなく、デズモデーナを殺すだけの必然性が感じられないのです。ですので、ここはそういう理屈は抜きにして、悩み抜くオテロの歌唱と演技、哀れなデズモデーナの美しい歌声に集中します。

 演出は、新国立ではもう何回目かになるマルトーネのもの。何トンもの水を使うのが美しいです。僕は好きですね、この演出。ちょっとキリコの絵のような感じがあり、まわりを石の建物で囲まれた水場と寝室は、そこからどこにも逃れられないオテロ、デズモデーナ、イアーゴの立場を際立させていると思います。

 色々と書きましたが、ヴェルディの傑作オペラを充分に堪能させてくれる、水準をはるかに超えた出来でした。ここ数年、新国立のオペラの水準は格段に上がっているので、さらに「もっと」と思ってしまうことはありますが。

 この次の中村理恵さんの「フィガロの結婚」も楽しみですね。

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イタリア、パルマ近くのサンターガータのヴェルディ邸の柳

【指揮】パオロ・カリニャーニ
【演出】マリオ・マルトーネ

【オテロ】カルロ・ヴェントレ
【デズデーモナ】セレーナ・ファルノッキア
【イアーゴ】ウラディーミル・ストヤノフ
【ロドヴィーコ】妻屋秀和
【カッシオ】与儀 巧
【エミーリア】清水華澄
【ロデリーゴ】村上敏明
【モンターノ】伊藤貴之
【伝令】タン・ジュンボ

【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】世田谷ジュニア合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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中村恵理B→Cソプラノリサイタル

 3月21日、オペラシティのリサイタルホールに初めて行きました。ソプラノの中村恵理のリサイタル。”B→C”と銘打っていますが、これは「バッハからコンテンポラリーまで」という意味です。250席のホールは、サントリーのブルーローズよりまだ小さく、木の内装は暖かい感じです。

 この日はピアニストで作曲家の英国人リチャード・ワイルズの伴奏で、バッハからワイルズ迄の小品15曲の構成で、中村自身が「今回の公演は、私の音楽史の中で嵐の章になる。」と言っているように、斬新で精力的なプログラムでした。

 僕と家内は、中村恵理が新国立の研修生だったころから、その声に魅了されていました。この日も、ふくよかで深みがあり、そして強く、しかし良くコントロールされた美しい声を堪能しました。最初の3曲は、ロベルト・シューマンの妻、クララ・シューマンの美しい歌曲。そして次はフェリックス・メンデルスゾーンの姉のファニーの2曲と、この日は女性作曲家の作品を多く取り上げていました。この5曲、繊細でキラキラしていて、中村の高音が輝いていました。本当、ため息ものです。

 そして、バッハのカンタータに続き、“C”の現代作品に移ります。グバイドゥーリナ、ショスタコーヴィッチと吠えるような声の曲が続いたあとの”天人五衰“は、三島由紀夫の詩にワイルズが中村恵理のために曲を付けたもの。日本語の歌曲です。絵画展に例えれば、洋画が並ぶ中に金箔を使った日本画が一枚入ったような感じです。静寂を感じさせる、それは美しい歌唱でした。この日の曲の構成は、おそらく中村とワイルズが考えたものでしょうが、15曲がストーリーを持って連なるように注意深く並べられていました。 

 休憩後の7曲は印象派のイメージ(時代的にも)を持つ、これも女性作曲家のリリー・ブランジェの2作品がみずみずしく、中村の声も弾みます。そしてユーモラスなルトスワフスキの寓話をもとにした2曲。2番目のアントレの前のソルベみたいですね。そして、ワイルズの力作、未発表のオペラ“分裂と征服”から1曲。20世紀初頭に英国で参政権を求めて声を上げた女性たちの生き様を描いたもの。力強い叫びが英語で響きます。最後の言葉は”How funny!”。

 ラストの歌はヴェルディの “E strano/そはかの人か….花から花へ“。正直、それまでの流れの中から、急にクラシックなヴェルディのメロディにどのようにつながるのかと思いましたが、スタッカートを使ったピアノと無伴奏の部分を多くしたりして、見事にヴェルディを現代音楽につなげました。まるで、グレン・グールドがヴェルディを弾いているようでした。中村の歌唱は最高潮に達します。強く、そしてふくよか。聴き応えがありました。終わるとBrava, Braviの嵐。

 実に内容のある、素晴らしいリサイタルでした。前日の”ルチア“に染まっていた頭がリセットされました。中村理恵は4月の新国立の”フィガロの結婚“でスザンナを歌います。これも楽しみですね。

ソプラノ:中村恵理
ピアノ:リチャード・ワイルズ


• クララ・シューマン:《3つの歌》op.12から「彼は嵐と雨の中をやってきた」 
• クララ・シューマン:《6つの歌》op.13から「私はあなたの眼のなかに」 
• クララ・シューマン:《3つの歌》op.12から「美しさゆえに愛するのなら」 
• ファニー・メンデルスゾーン:《12の歌》op.9から「失うこと」 
• ファニー・メンデルスゾーン:《6つの歌》op.1から「朝のセレナーデ」 
• J.S.バッハ:カンタータ第57番《試練に耐えうる人は幸いなり》BWV57から
• 「俗世の命を速やかに終えて」「私は死を、死を望みます」 
• ワイルズ:《最終歌》(2016、中村恵理委嘱作品)から「エピソード ── 三島由紀夫『天人五衰』より」
• グバイドゥーリナ:《T.S.エリオットへのオマージュ》(1987)から「冷気が足元から膝に上ってく
• ショスタコーヴィチ:《アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌》op.127(1967)から「ガマユーン」 
• メシアン:《ミのための詩》から「恐怖」「妻」 
• リリ・ブーランジェ:《空の晴れ間》から「ベッドの裾のところに」「二本のおだまきが」 
• ルトスワフスキ:《歌の花と歌のお話》(1989~90)から「かめ」「バッタ」 
• ワイルズ:《分裂と征服》(1993)から「なんと奇妙な」
• ヴェルディ:《椿姫》から「そはかの人か…花から花へ」
• 【アンコール曲】ワイルズ:《最終歌》から「エピソード ── ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』より」 

ルチア@新国立劇場

 20日のマチネ公演に行ってきました。実は18日土曜日のチケットを取っていたのですが、大学の卒業式と重なってしまっているのに気づかず、2月になってからあわてて電話で取り直したのです。もうあまり席が残っていなくて危ないところでした。

 まずは感想ですが、「素晴らしい」という以外に言いようがありません。18日に先に聴いた家内から既に印象を聞いてはいましたが、ベルカントオペラを滅多にやらなかった新国立劇場が満を持して放った大ヒットだと思います。これで、個人的には3回目の生”ランメルモールのルチア“(ランカトーレ、デセイで聴いています)鑑賞になりますが、今回は、歌手、指揮、オケ、演出、舞台美術のすべて揃って素晴らしく、総合的には文句なくベストでした。

 今日は歌手から話をしたいと思います。何と言ってもタイトルロールを演じたオルガ・ペレチャッコ=マリオッティは、”美しき清き“という表現がぴったりな声。(容姿も…)声を張り上げず、持ち上げず、すくっと高音が立ち上がります。彼女のような自然な感じのコロラトゥーラを、あまり聴いたことがありません。いつも良く聴くのはカラス、ステファノ盤で、今回の予習用に聴いていたのは2014年のミュンヘンでのダムラウ、カレヤ盤でした。ダムラウはもちろんすごいのですが、”ドラマチック”なコロラトゥーラだと思います。アジリタというほうがふさわしいか。。。それに対しペレチャッコは「行くぞ!歌うぞ!」という感じが全くせずに、自然にコロラトゥーラに入ります。弱音、微音でも綺麗にベルカントします。

一幕目、ルチアが侍女のアリーサを従えて泉のたもとで歌うアリア(カヴァティーナでしょうか?)“regnava nel silenzio(あたりは静寂に包まれて)”は、僕の大好きな曲なのですが、中音、低音でのコロラトゥーラが要求されます。主題を繰り返し歌う最初の部分の、”Qual di chi parla, muoversi, il labbro suo vedea, (まるで誰かに語りかけるかのように唇が動くのを見た。)のこところ、音が下がるところで、音程をはずしかける歌手を聴いたことがありますが、歌い始めてまもないところで、喉が温まっていないでこの難曲を歌うのは大変難しいのだと思います。しかし、ペレチャッコは軽々とこなします。もうこれで感動でした。”狂乱の場“はもちろんbravissimo!! 彼女はデヴィーアの弟子ということですが、なるほどそのシンプルにして研ぎ澄まされた清らかさを聴いて納得。新国立出演のあとに、4月にはMETでリゴレットのジルダ、5月、ボリショイでヴィオレッタ、そして6月にはベルリンで真珠取りのレイラと立て続けに主演で歌うそうです。みんな聴きたくなります。

 エドガルド役の、スペイン人、イスマエル・ジョルディもとても良かったです。歌唱の技巧的にはまだこれからだと思うのですが、感情の込め方に深みがあって引き込まれます。ペレチャッコと二人で、本当に「若いカップルの熱愛」という感じが出ていて魅力的でした。プログラムを見て気づきましたが、2002年の新国立ではエドガルドをファビオ・サルトリが歌っているんです!サルトリのエドガルドというのも良かったでしょうね。(その頃はまだ痩せていただろうし。。)

 そして、エンリーコのポーランド人バリトン、アルトゥール・ルチンスキーは浪々とした美声で、兄の権威そのものが歌っているように聞こえます。まさに適役。ライモンドの妻屋秀和も良かった。2幕目のルチアとのやりとりは緊迫感があって引きつけられました。このシーン、なんかラ・トラヴィアータの2幕1場のジェルモンとヴィオレッタのやりとりを感じました。2幕目はズンパッパもあるし、6重唱の始めの男声2重唱がカルロとロドリーゴっぽかったり、このオペラのいたるところにヴェルディが引き継いだニュアンスがありますね。ヴェルディはベッリーニ嫌い(「長〜い、長〜い曲」と切り捨てたようです。)だったようですが、ドニゼッティの系譜に連なっているなぁと感じた次第。

 このオペラでは合唱がとても重要です。序曲からいきなり合唱に入ります。新国立の合唱団はこの最初の合唱から最後まで、素晴らしいパフォーマンスを聴かせてくれました。引っ越し公演でも合唱がいまいちということはままあることなので、今回は、個々の歌手と併せて、合唱も最高で、つまりはベストの歌唱のキャスティングではないでしょうか?

 そして、指揮のジャンパオロ・ビザンティを褒めるのも忘れてはなりません。大きなオーケストラを鳴らすのではなく、各パートの音を精緻に且つ、くっきりと浮き出させて、歌手を押し出しながら、鳴らすところは鳴らす。そして何より品格がありました。それがこのオペラを更に魅力的なものにしていました。狂乱の場でのグラスハーモニカは、演奏者のサシャ・レッケルト独自の”ヴェロフォン”というのだそうですが、通常のグラスハーモニカの音が透明ガラスだとしたら、このヴェロフォンは磨りガラスという印象でしょうか?その音は、精神が破綻したルチアの神経シナプスから響いて来るように聞こえて、凄みもありました。

 演出はフランス人のジャン=ルイ・グリンダ。モンテカルロ歌劇場総監督のですので、同歌劇場でも来年か再来年にこのプロダクションで公演されるそうです。スコットランドの海をベースのテーマにして、場面転換の時にも紗幕にプロジェクションマッピングで荒れる海と巨大な岩を映し出すなど凝っています。1幕目の泉の場面に、狂乱したルチアの回想(?)のところでまた戻って来るなど、演出にも“読み応え”があります。僕はスコットランドを1週間掛けて旅行したことがありますが、スカイ島という島のイメージがよみがえりました。実に美しい演出。2幕目の城内の舞台も、オークのような床が舞台を引き締めていました。3幕目はやややりすぎ(ネタバレはしませんが)の感もありますが、狂乱の場をリアルに描き出していました。そして演出を支える舞台美術や衣装が実に美しいことも是非付記したいです。新国立の実力が発揮されていると思います。

 それにしても、これだけのキャストでベルカントのオペラを高いレベルで公演できることがわかったからには、この先、新国立でベルカントをもっとやってほしいです。そうですね、勝手に希望演目を上げると、ノルマ(今年藤原で先に越されますが、、、)、清教徒(この"狂乱の場”も聴きたいです。)、夢遊病の女などのベッリーニ作品。スカラ座のロビーで4人の立像の一人(他はヴェルディ、ドニゼッティ、ロッシーニです。プッチーニは何故かいません)なんですが、ベッリーニは新国立劇場主催では一回も上演されていないです。そして、ドニゼッティの女王三部作も。。。 期待しましょう!

(指揮)
ジャンパオロ・ビザンティ
(演出)
ジャン=ルイ・グリンダ

(キャスト)

ルチア:オルガ・ペレチャッコ=マリオッティ
エドガルド:イスマエル・ジョルディ
エンリーコ:アルトゥール・ルチンスキー
ライモンド:妻屋秀和
アルトゥーロ:小原啓楼
アリーサ:小林由佳
ノルマンノ:菅野 敦
合唱指揮:三澤洋史
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
【グラスハーモニカ】サシャ・レッケルト



 

セビリアの理髪師@金沢

 フランス人指揮者(名前はロシアっぽいのですがパリ生まれ)の、ミンコフスキが金沢でセビリアを振るというので、一泊で家内と小旅行をして来ました。ミンコフスキを聴くのは初めてですが、昨年の夏にスウェーデンの小劇場、「ドロットニングホルム宮廷劇場」でドン・ジョヴァンニを振ったのが素晴らしかったと聴いていました。この日も、本当に素晴らしいオペラを聴かせてくれました。

 まずは序曲が始まって、ちょっとびっくりしたのは、全然今風でないこと。軽やかで早い感じを予想していたのですが、ゆったりとして上品。そして、クレッシェンドがあまり積極的的に聞こえてこないのです。モーツァルトを信奉するという指揮者らしく、アンサンブルを重視した美しい仕上げの序曲。このトーンはオペラ全体を支配しました。実に優雅です。聴かせどころのロジーナの””Una Voce Poco Fa (今の歌声は?)”の場面では、相当練習したんだと思いますが、ベルカントの歌唱の後を一瞬遅れて、オケがそーっとなぞっていく感じ。実に素敵でしたね!

 ミンコフスキ、人間味溢れるという感じです。歌手の歌が終わって拍手がやまないと、一旦袖に下がった歌手を手招きで呼び戻してコールにこたえさせたり、歌手の手にキスをしたり、なごみます。

 歌手がまた素晴らしい。名前を聞いたことの無い人ばかりでしたが、メゾのセレーナ・マルフィはMETのドン・ジョヴァンニでツェルリーナを歌っていたそうです。さきほどの”Una Voce〜“、久々に良いのを聴きました。アジリタは高音ではそれほどではないのですが、中音、低音部でうまく廻すのが、かっこいい!というか色っぽいんですよね。(見栄えも良さそうなんで、オペラグラス持参しなくて失敗....) そして、伯爵役のテノールのデヴィッド・ポーティロ、まだ若い(24歳)んですが、素晴らしく甘いロッシーニテノールの声です。若い頃のホセ・ブロスを思わせます。最近は復活してきたとは言え、国内ではあまり良いのを聴けない2幕目最後の「大アリア」が極上でした。ペーザロに行ったみたい!実際、彼はペーザロでもデビュー済みだそうです。フィガロのアンジェイ・フィロンチクも若い!なんと22歳でこの役は初だそうですが、貫禄さえ感じるような余裕たっぷりの歌いでした。バルトロを演じたカルロ・レポーレも、ベルタの小泉詠子も、バジーリオの後藤春馬(新国立研修所時代から応援中!)も良かったですね。

 そして、この歌手たちが、演奏会形式とは言え、ほとんどセミオペラ形式と言うような感じで、舞台を動き廻るのです。なにしろ演出家の名前(イヴァン・アレクサンダー)が出ているくらいですから、鬼ごっこはするわ、バルトロのひげ剃りにクリームは塗るわ、で舞台上もとても楽しめました。去年、マドリッドで聴いた演奏会形式の”ルイーザ・ミラー“もそうでしたが、最近のヨーロッパの演奏会形式は、「演出付き」が多いのでしょうか?日本でもオペラシティやサントリーホールなど、舞台にスペースがある劇場を使って、そういう試みを増やしてほしいものです。

 まったく、金沢で一日だけではもったいないような公演でした。

 そして、この日は金沢市街にある、イタリア好きにはチョー有名な、イタリア料理店”トラットリア・クアクア“で東京や大阪から集まったオペラ仲間と食事。実に美味しかったです。これから金沢に行く機会が増えそうです。

指揮 マルク・ミンコフスキ
アルマヴィーヴァ伯爵 デヴィッド・ポーティロ
バルトロ カルロ・レポーレ
ロジーナ セレーナ・マルフィ
フィガロ アンジェイ・フィロンチク  ほか
合唱 金沢ロッシーニ特別合唱団
管弦楽 オーケストラ・アンサンブル金沢

新国立劇場「蝶々夫人」

 プッチーニで涙したのは初めてです。そのくらい、今回2月8日の「蝶々夫人」には感激しました。ブログアップするのが遅くなったのは、11日の土曜日にもう一度行こうと考えていたからですが、残念ながらスケジュールが合わずに断念しました。2回聴きたかったなぁ。。

 何と言っても安藤赴美子の蝶々さんが、素晴らしかったと思います。去年のセミラーミデをベルカントで美しく歌い上げてくれましたが、この日は、強い芯のある声でいながら、少女の初々しい蝶々さんから、最後の場面の鬼気迫るところまでを見事に表現してくれました。安藤の蝶々さんは、特に2幕目の「ある晴れた日に」あたりから自刃するところに向かって、心の中を占めていく悲しさをすべての歌で表現していたと思います。声の切り替え、息継ぎ、ヴィヴラートの使い方、そういった技巧のすべてが、蝶々夫人の悲しみを観客に伝えて来るのです。2009年に同じプロダクションで聴いた、ババジャニアンの上品で美しい蝶々さんも良かったのですが、安藤は”悲しみそのもの“になって舞台に存在していました。演技も素晴らしく、指の先まで使って表現をしていました。なんか、新派を見ているような感覚になってしまいました。

 シャープレスを歌った甲斐栄次郎は初めて聴きましたが、情感溢れた立派なバリトンでした。安藤とのやりとりは実に聴き応えがあり、彼女に対する思いやりが、また悲しいんですよね。

 僕は、プッチーニは「三部作」以外は、どうもオペラに入り込めたことがなく、いつも客観的に聴いているので、ボエームでも蝶々夫人でも泣いたことが無いのですが、この日は駄目でした。

 指揮のフィリップ・オーギャン、数年前にウィーンで”シモン・ボッカネグラ“を聞いた時は、感心しませんでしたが、もともとヴェルディを振るタイプではないですね。この日は、歌手に合わせながらも、要所要所ではオペラをグイグイと引っ張って行く強さを見せてくれました。プッチーニの美しい旋律を見事な塊感でまとめていました。満足です。

 栗山民也の演出はもう5-6回目になると思うのですが、いまだに新鮮です。シンプルですが、空間を上手に使っていると思います。左手の天のような高さから階段を降りてくる、蝶々さんの美しいこと。ただ、着物の裾を踏まないかと心配でしたが。。最後の自刃の場面は、過去の演出とちょっと違っていたような気がしました。気のせいかもしれませんが。蝶々さんが真後ろへ倒れるところ、照明が一気に明るくなるところ、などがそうです。そして、子供が光りの道を歩いて蝶々さんの方に近づいてくるところ、まるで同じプッチーニの「修道女アンジェリカ」のラストシーンのようでした。これも新しかったのでは。

 このオペラを「国辱ものだ」と受け取る方も多いようですが、僕はあまりそうとは思いません。むしろ、ラクメを捨てたジェラルドと同じようなピンカートンが、英米人のステレオタイプ的な「いい加減男」に描かれすぎているのではないかと思うほうです。その面からすると、この日のピンカートン役のマッシは、それなりに後悔するところも真剣味があって味わい深かったです。

 新国立劇場では珍しい(初めて?)、日本人の主役でしたが、もっともっと日本人の素晴らしい才能が、この舞台で聴けることを祈っています。

指 揮:フィリップ・オーギャン
演 出:栗山民也美

蝶々夫人:安藤赴美子
ピンカートン:リッカルド・マッシ
シャープレス:甲斐栄次郎
スズキ:山下牧子
ゴロー:松浦 健
ボンゾ:島村武男
神 官:大森いちえい
ヤマドリ:吉川健一
ケート:佐藤路子
合唱指揮:三澤洋史
合 唱:新国立劇場合唱団管弦楽東京交響楽団

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