プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

プレトニョフ、マーラ−「亡き子をしのぶ歌」他

 久しぶりのオペラシティでの、東京フィルハーモニー交響楽団定期公演。今回は、ハイドン、マーラー、シューベルトと、時代的にも音楽的にも大きく違う作品を4つ堪能しました。

 ハイドンの交響曲第49番「受難」は初めて聴く曲です。オケは小さな編成で、コントラバスはありませんでした。ですので、どちらかというと分厚い弦楽四重奏を聴くような感覚。強弱、緩急が交互にやってくる、けっこう難しそうな曲でした。ダースベーダー系のキャラクターの映画のテーマになりそうだなぁ、などと余計なことを考えてしまいましたが、プレトニョフは無用に重くすることもなく、あっさりと仕上げていました。

 そして、マーラーの歌曲「亡き子をしのぶ歌」。これも初めてでしたが、少し予習をしていたので、その歌詞に震える思いでした。リュッケルトという18世紀のドイツの詩人が、1年の間に二人の子供を相次いで亡くしたという事実をもとに書いた詩編を、マーラーがその70年後の1904年に歌曲にしました。これを、メゾ・ソプラノの小野美咲が歌いました。特に第4曲の「よく思う、あの子たちは出かけているだけ」は、本当に美しく悲しい歌詞です。「よく思う。あの子達は出かけているだけ。じき家に戻ってくるのだろう!昼は美しい!おお、心配はない!ちょっと足を延ばして、あの丘まで散歩しているのだ。」歌詞だけで泣けてきますね。

 小野は新国立オペラパレスでもおなじみの歌手ですが、独唱を聴くのは初めて。アルトに近い声で、まるでノルンが地の底から哀れみをもって歌いあげるような感覚。美しい声です。マエストロと目を合わせながら歌う様子が、この曲をオケと素晴らしいものに仕上げようという意欲を感じさせました。

 さて、休憩後のシューベルトの交響曲もほんとに久しぶりです。5番は大好きで、特に第二楽章の主題を聴いていると、なんか「生きてて良かったぁ。」という感じになります。この日も聴きながら「C型肝炎直ってよかったぁ。」などと関係の無いことを考えていました。プレトニョフの指揮は、ノーブルの中に人間味溢れる素晴らしいものです。ハイドンもそうでしたが、緩急のつけかたが、流れるようにつながり、美しいです。

 曲としては、最後の「未完成」のほうが良かったのだと思いますが、僕にはやや重すぎて、特に第二楽章は圧倒されすぎてしまいました。まあ、あまりこの曲に思い入れが無いと言ったら素っ気ないでしょうか?

定期演奏会としては長めの2時間25分の演奏時間。堪能しました。
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ミョンフンのベートーヴェン第3番

 東フィルの定期公演、いつもオペラシティで聴くのだが、今月は所用があって、オーチャードに取り替えてもらいました。これが電話一本で出来て、しかも、元々の席と同等の席に替えてくれるのが、とても便利です。

 タイトルに「ベートーヴェンの第3番」と書きましたが、この日は「ピアノ協奏曲第3番」と「交響曲第3番」の2本立て。ピアノは、韓国人の若手、なんと16歳の女性ピアニスト、イム・ジュヒ。9歳でデビュー。10歳で、ゲルギエフと共演。ミョンフンとは過去なんども一緒に演奏しているようで、マエストロが指揮中に一度もピアニストのほうに首を振らなかったのは、信頼の証でしょう。第一楽章の劇的なピアノの登場から、明るく伸びやかな音、正確なタッチ、若いのに余裕さえ見える弾きっぷり。楽しそうに弾いていましたね。同じ、もうちょっと陰影があっても良いかなとは思いましたが、この曲を素直に味わうにはぴったりな素晴らしい演奏でした。ソロアンコールのヨハン・シュトラウスⅡ世作曲、ジョルジュ・シラフ編曲の「トリッチトラッチポルカ」の超絶技巧にもびっくり。こういう曲のほうが、若さと情熱でこなせるので合っているのかもしれませんね。韓国からは東フィルにゲストとして、同じ若手のチョ・ソンジン(華やかなピアノでした)も来ましたが、いつも新しい音を聴かせてくれるコンサートには大満足です。

 後半の「交響曲第3番変ホ長調作品55英雄」は元々はナポレオンをイメージして作曲されたもの。ミョンフンらしい、壮大で情熱的、しかし知的な指揮が素晴らしいですね。一楽章からだんだんに盛り上がり、第2楽章のフーガを抜けると、3,4楽章で頂点に達する。その中で、第3楽章のオーボエの主題と第4楽章のフルートの独奏はとても美しかったです。同じ、「情熱的」でも、バッティストーニの第5番のように、新しい解釈の抑揚や強弱を付けたりせずに、あくまで王道の中でオケを操っていました。

 さて、来週はいよいよ、ペトレンコのタンホイザー。ミュンヘンで6月に聴いた時よりは余裕を持って聴けると思います。楽しみです。

 

チョン・ミョンフンのマーラー「復活」

 オペラシティでの、東フィルの定期演奏会に行ってきました。ここの会員も2年目に入り、ずっと同じ席(前から6列目やや右)で聴けるので、なんだかアットホームな感じがあります。また、平日の夜の公演ですが、オペラと違って、最長でも2時間程度で終わるので、車で1時間のドライブで10時頃には帰宅できるのも気が楽です。

 この日の演目はマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」でした。マーラー自身がこの曲に関して「こん棒で床に叩きつけられたかと思うと、次の瞬間には天使の翼の高さにまで引き上げられる。」と言っているだけあり、聴く方にも体力を要求されるものです。ミョンフンは2001年に東フィルで「復活」を指揮しており、その時の評判がとても良かったようで、この日はその再現、とプログラムに書かれていました。

 第1楽章のソナタは、「葬送行進曲」になっており、不安を恐怖をあおるように始まり、その後金管や打楽器で激しく高まります。ミョンフンらしく、激しくなっても雑にならない、聴く者の心をわしづかみにするような指揮です。

 第2楽章は特にワルツでアンダンテ、美しい調べです。舞曲のようなメロディとテンポは「英雄の幸福だった時の回想」を表しているのだそうです。この楽章は激しいところはなく、ピアニシモの弱音の美しさが際立ちます。なお、「第1楽章と第2楽章の間に、少なくとも5分の休みを置く。」というマーラーがスコアに書き込んだノートは、守られずに1分ほどの感覚で第2楽章に移りました。

 第3楽章から第5楽章にかけては、途切れることなく50分の演奏がラストまで続きました。ここで、ようやく第4楽章「原光」でアルトの独唱が、第5楽章で合唱が入ります。アルトの山下牧子、何度もオペラでは聴いていますが、この日は最高の歌唱を聴かせてくれました。まろやかで、伸びのある、まさに「永遠の祝福」という感じの声。そして、新国立合唱団の合唱、素晴らしかったです。これほど素晴らしい合唱はめったに聴けない。演奏が終わってからの拍手は10分以上続きました。
 今月はジョナサン・ノットと東京交響楽団もマーラーの「復活」をやっています。両方聴かれた方は比較ができてうらやましいですね。こちらはアルトは藤村実穂子です。

 ミョンフンの指揮を聴くたびに思いますが、大胆で緻密、そして知的な音。これはいつでも彼の指揮の根底に流れています。また、観客の拍手に対して、いつも控えめに対応し、歌手や伴奏者を讃え、自分は指揮台にも上らないという姿勢は、とても好感が持てます。

 とは言え、久しく彼のオペラは聴いていない。来年2月にスカラ座で、“シモン・ボッカネグラ”を振ります。タイトルロールはレオ・ヌッチ。聴きに行きたくなりました。
2017年7月21日
東京オペラシティ コンサートホール
指揮:チョン・ミョンフン
ソプラノ:安井陽子
メゾ・ソプラノ:山下牧子
合唱:新国立劇場合唱団


 

東フィル定期公演リストピアノ協奏曲他

 ブログアップが遅くなってしまいましたが、先週6月14日のオペラシティでの東京フィルハーモニー第110回オペラシティ定期シリーズ公演に行ってきました。この日はリスト2作品にブラームスの交響曲第4番というもの。

 一番輝いていたのが、ピアノに若き精鋭の阪田知樹を迎えての、リストの「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」。超絶技巧を要求されるピアニストとしてのリストが作曲した難曲だそうですが、それをあっさりと、全く技巧感を見せずに弾いてしまうところが阪田の凄いところかと思います。ピアノのキイをなめるように弾くのではなく、しっかりとキイの底まで押し込むような感触を感じます。それでいながら、スピードと移り変わる音色を余裕たっぷりでコントロールしていました。凄いなぁ。。反田恭平とは全く正反対の24歳の天才ですね。ソロアンコールのリストの「ラ・カンパネッラ」も実存感のある美しさでいとも簡単に弾いてしまいます。魅了されました。

 それに比べて、指揮のほうは凡庸だったと思います。第一曲のリストの交響詩「レ・プレリュード」こそ、曲の持つ輝きと力強さで退屈させませんでしたが、3曲目のブラームス「交響曲第4番ホ短調」は、もともとが退屈な曲。(ブラームスファンの方にはすみません)逆に言うと指揮者の才能を披露するのに最適な曲なのですが、同じ調子で強く鳴らすことに終始しているように感じられました。聴きながら、「バレエのパドドゥの演奏みたいだなぁ」と思っていたら、この渡邊マエストロは主にバレエを指揮しているとのこと。新国立で振っているようですが、僕が行くときはポール・マーフィーが振っていたので、渡邊の指揮は聴いたことがありません。こういう指揮を聴くと、バッティストーニの凄さがわかるというものです。渡邊マエストロ、次回に期待しましょう。

指揮:渡邊一正
ピアノ:坂田知樹

リスト:交響詩「レ・プレリュード」
リスト:ピアノ協奏曲第一番

ブラームス:交響曲第四番

バッティストーニの「春の祭典」

 久しぶりのブログです。19日金曜日の東京フィルハーモニー交響楽団オペラシティ定期公演第109回に行ってきました。バッティストーニは3月のラフマニノフ、チャイコフスキー以来です。

 まず、最初はヴェルディの歌劇オテロ第3幕からの「舞曲」。これは珍しいです。オテロ初演の1887年後にパリで初演された際に、当地のグランドオペラの趣向に合わせて3幕目の後半を改訂し、「舞曲」を入れたのだそうです。残念ながら、僕はこの「舞曲」の入ったパリ版を聴いたことがありませんでした。DVDにもなっている有名なスカラ座の2001年シーズンの、ムーティー指揮、ドミンゴ、フリットリ、ヌッチの公演は、このパリ版のはずですが、「舞曲」はそっくりはずされています。今度の9月の演奏会形式の「オテロ」では、この舞曲が入るのでしょうか?楽しみですね。

 という訳で初めて聴いたこの曲。ちょっと「マクベス」の舞曲にも似た妖艶でエキゾチックな雰囲気があって、スパイスが効いています。初めての曲なのに、素直に入ってくるメロディーの美しさと華やかさが、バッティストーニに盛り上げられたオケによって(オケが揺れ動いてました!)、序々にテンポが上がっていきます。いや、素晴らしいですね。これだけ、音楽がスタートしたとたんに、自分の感性でコンサートホールを劇的に支配するのは、バッティストーニならではだと思います。

 2曲目は、ザンドナーイの、これも珍しい曲、歌劇「ジュリエッタとロミオ」の舞曲。そう、今日は舞曲だけで構成されたコンサートなんですね。プログラムによれば、この曲はアンコールの定番だったそう。ロミオが馬を駆ってジュリエッタのもとに急ぐというシーンの音楽だそうです。メロディの雰囲気は全然違いますが、「ギョーム・テル」の序曲のようなイメージがありました。とにかく飛ばすこと飛ばすこと!バッティストーニ祭りになって、前半が終わりました。

 後半は、お目当ての「春の祭典」。バッティストーニはこの曲がよほど好きらしいですね。プログラムに2回に分けて、〜「春の祭典」によせて〜という文章を寄稿しています。かなり論理的で、且つ熱のこもった文章。翻訳の井内美香さんも苦労したのではないかと推測します。僕は、去年、ピエール・ブーレーズが亡くなった時に、彼のゆったりとした「春の祭典」と、同じ頃にリリースされた、テオドール・クルレンツィスの神経質とも言える、切れ味するどい「春の祭典」をだいぶ聴き込みましたが、いや、全然違いますね。。。当たり前のことですが。冒頭でオケの奥の方から響いて来る、ゆっくりとしたテンポのファゴットからして異質な感じ。前半は大地の上を春の妖精、、というか「幼虫」がうごめいているような不思議な迫力がありました。緩急の付け方もはっきりしていて、この演奏では踊れないな、と思いましたが、ストラヴィンスキーの現代性が、バッティストーニによって壮大なドラマになり、ステージから滝のように音楽が客席に打ち付けて来る感じ。凄かったです。

 4年前にはゲルギエフの指揮でマリインスキーバレエの、踊る「四季の祭典」も聴きましたが、この曲、指揮者によって本当に表情が変わります。また、前から3列目で生の音を聴くのが、CDをスピーカーで聴くのとこれほどに違う曲もないのでは、とも思いました。

 しかし、バッティストーニは曲の重要なエッセンスをつかみ取って、実にわかりやすく、爆発的に、、、まるでロック音楽のように聴かせますね。

 僕は、このところ、村上春樹の本を最新のものから戻るようにして、再読しているのですが、ちょうど、この前「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終えたばかり。この小説のバックグラウンドミュージックとして、「ハルサイ」はぴったりだと思いました。一角獣が住み「壁」にかこまれた緑の多い町に春がが来る。。。そんなイメージですね。

 あと、アンコールの「八木節」(外山雄三作曲「管弦楽のためのラプソディー」)は、実にエンターテインでした。楽しみました!


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