プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

勘三郎忌追善大歌舞伎

ひさしぶりに歌舞伎行きました。10年ぶりかと思ったら、前回は2008年、演目も同じ「寺子屋(菅原伝授手習鑑)」あの時は松王丸が先代の勘三郎、武部源蔵が海老蔵でしたが、まさしく勘三郎の一人舞台。「泣き笑い」は鬼気迫るものがありました。

僕はオペラは「椿姫」から入ったのですが、歌舞伎はもう40年近く前、20代の時にこの「寺子屋」から入りました。その時の松王丸が先々代の勘三郎。その頃は、全然歌舞伎を知りませんでしたが、それでも我が子の首がはねられると知りながら寺子屋入りをさせる松王丸の苦悩でジーンときました。(今はウルウルになってしまいますが)その後、先々代勘三郎や先代松緑で何回か見ました。富十郎のも見たような気がします。

今日は中村屋の勘三郎ではなく、仁左衛門のちょっとクールな松王丸、勘九郎が武部源蔵でした。寺子屋の後も「吉野山」、「」鰯売戀曳網と追善興行ならでは中村屋の得意な演目が続きましたが、七之助はすごいと思いました。今日は時代物でしたが、世話物もさぞや素晴らしいだろうと思わせる演技と声の回しぶり。誰かに似ているというのではなく、彼独自の世界がありました。寺子屋では松王女房役の玉三郎とのやりとりになり、さすがに力の差が出ましたが、鰯売の蛍火の妖艶な様、そして遊女から姫に、そして鰯売の女房に変わる様はあっぱれでした。

ただ、十七代が作った勘三郎の遊びたっぷり(実際遊びをたっぷりしたんだと思います)、余裕たっぷりで、自分の人生経験がすべて役に出るような域に勘九郎が達するまでにはまだまだ長い時間がかかるでしょう。十七代は良くアドリブで客席に下りて来て観客と話しをしたり、時事の話題を織り込んだり。。。普通の役者にではできないことをやりましたね。本当、粋でした。先代もNYでの歌舞伎公演など、遊びがたっぷり入った演目をやりました。新作はあまり好きではありませんが、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の岩亀楼の主人、玉三郎とのやりとりの凄かったこと。今思い出しても目頭が熱くなります。この時も寺子屋をやりましたが、それから2年で鬼籍に入りました。勘九郎さんもまだ何年もお父さんから"粋”な遊びを学びたかったでしょう。

先代、先々代の三回忌、二十七回忌の追善公演ということでたっぷり想い出に浸らせてもらいます。先々代でしかみていないけれど、妹背山婦女定訓の清澄も良かったなぁ。

自分なりにオペラは十八番を作ってありますが、歌舞伎はそんなに見ていないので、せめて五番くらい。オペラの"シモン・ボッカネグラ”にあたるのが、「加賀見山旧錦絵」です。最近は後日談の「鏡山再岩藤」ばかり上演されているようですが、「加賀見山旧錦絵」のほうが舞台が素晴らしくきれい。敵役の岩藤がパオロです。(なんのこっちゃ?)

また、時々歌舞伎にも行くとしましょう。
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勘三郎逝く

ああ、勘三郎が亡くなってしまいました。僕の人生の中で、大好きだった先代勘三郎と18代目が二人亡くなったことになります。僕が初めて歌舞伎を見に、母に連れられて歌舞伎座に行ったのは、多分小学校4-5年の頃だったと思います。父母とも、歌舞伎が大好きで、今の僕と家内がオペラを見るように、歌舞伎にはまっていました。で、切符が余ったんだと思います。でなければ小学校で歌舞伎には連れて行ってもらえないでしょう。その時の演目なんかは覚えていませんが、先代の勘三郎と、勘九郎(今の勘三郎)が出ていたんです。で、母に「あなたより年下なのよ」と言われて、こりゃ、すごいもんだと思ったのを強烈に覚えています。何か時代物だったような気がします。

それからしばらくして高校から大学の間、けっこう歌舞伎にはまりました。とにかく先代の勘三郎、大好きでした。名勘三郎は先代も、今も世話物でしょう。そこに、アドリブをどんどん入れる。政治や経済、スポーツの話などつぶやいて、客席まで降りてくる。その頃、そういう江戸時代風の世話物をやれるのは、先代勘三郎しかいませんでした。

先代は「中村屋!」ともかけ声がかかりましたが、住んでいた渋谷区宇田川町にちなんで「宇田川町!」というかけ声、これは大向こうから常連の客が時々かけていました。これが格好良かったなぁ。住まいの名前で呼ばれていたのは、あとはやはり先代の尾上松緑の「紀尾井町」くらいでした。(訂正→勘違いしていました。宇田川町は歌右衛門(6代目)への掛け声でした。ここにお詫びと訂正)

勘九郎は、その親のセンスを全部見事に受け継いで、素晴らしい役者になりました。時代物の忠臣蔵なんかもいいけど、やっぱり世話物がいいなぁ。最近はオペラばかり行っていて、歌舞伎は2年に一回くらいしか行きませんが、4-5年前の歌舞伎座の寺子屋の松王丸、そして新作「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の置屋の親父、玉三郎のお園とのやりとり、いや、泣けました。新作でこんなのがあるのとびっくりしました。

正直、この世代横並びになっている、他の人気役者の中でも、群を抜いてうまいと思います。

フェイスブックで知り合った、関西の演劇評論家の方が、ワーグナーは時代物、ヴェルディは世話物と呼んでいて、これはぴったりと思いました。僕はさらに、プッチーニは新派で、バロックオペラは能か文楽と思いますが、僕は歌舞伎でもヴェルディ派。世話物が大好きです。でも、好きだった、富重郎も芝翫も鬼籍にはいってしまい、今、勘三郎が57歳の若さで去ってしまった。先代は70代後半まで舞台に立っていました。なんとも残念です。e116443dfe9a79a4b2e1cc30f8caaa04.jpg

歌舞伎座で初芝居

まもなく建て替えに入る三原橋の歌舞伎座、最後の初春大歌舞伎ということで見に行ってきました。


出し物は☆☆「春の壽」(はるのことぶき:踊り、梅玉、福助、雀右衛門)「菅原伝授手習鑑(車引 すがわらでんじゅてならいかがみ、芝翫、吉右衛門、錦之助、幸四郎、富十郎)「京鹿子娘道成寺」(きょうかのこむすめどうじょうじ、勘三郎、團十郎9「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし、染五郎、福助)

何と言っても、大学時代からファンだった中村芝翫が見られたので大満足。今年で82歳とは思えません。本当は世話物で見たかった感じもしますが。

しかし、お正月の歌舞伎座はいいですな。
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2009年チケット取り!!

時の経つのは早いもの........もうクリスマスです。そんなことはないか、、まだハロウィンにもなってない。

でもなんかもう今年のオペラ、コンサートは、先日ハーディングのプラチナチケット(日本では14K金チケットくらいみたいだけど)クリスマスコンサートを取ったので、これでおしまいという感じです。

ひとつだけ気になるのは、歌舞伎で大好きな中村芝翫(しかん)が「藤娘」を10月24日まで踊るっているので、これだけ見たいです。昨日仕事の合間に歌舞伎座に行って一幕見しようと思ったら、立ち見しかなく、ちょっと疲れていたのであきらめた。でもあきらめた....... 間違えてブラヴィ!などといわないように。

芝翫の屋号は”成駒屋” 中村籍でも勘三郎や吉衛門と違い、歌右衛門の流れのようです。

かけ声は”なり”に強いアクセントをおいて”なぁりこまやぁ!”とやるのですが、歌舞伎のかけ声は、これはオペラでアホみたいにブラボーしているのとは違って、難しすぎるので、多分一生できないでしょう。


今日はなんか、インターネットのスピードおそくて写真アップできないので、お話しだけ。



勘三郎と玉三郎

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久し振りに歌舞伎、夜の部行ってきました。今回は、家族4人でクリスマスに歌舞伎座! もうすぐとりこわされてしまって"旧"歌舞伎座になる前にみんなで行きました。5月に団菊祭で海老蔵、團十郎の「女暫」を見ていたので、僕は、今年は30年ぶりに歌舞伎観劇に復帰、2回見に行ったということになりました。

今回は、なんも予習しないで行ったのだけど、最初の演目「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)、寺子屋の場」は、昔々見たことのある、けっこう有名らしい演目。たしか、幸四郎、梅幸、雁治郎あたりで見たような。。

今回の海老蔵はイマイチでした。次女に言わせると「今日クリスマスだから、誰かとデートに行きたかったんじゃない?」との事。けっこう正しいコメントかも。

やたら、「中村屋!」のかけ声多し。「成田屋」劣勢。「成駒屋!」も聞こえたが、誰のことだ! こっちは、30年前の一番好きな屋号で、中村芝翫(しかん/現役)か、歌右門、鴈治郎の系列なんだが、昨日は誰が成駒屋だったんだろ? 僕の知っている歌舞伎役者は、今では先代どころか、三津五郎なんか先々代のようで、実に自分の年を感じてしまいます。昔、親と観劇に行って「先代の誰々が...」とか言われると「年寄りはイヤだなあ」と思ったが、自分がそうなってしまった。 その点、最近、凝りだしたオペラのほうが新米なんで、本人もこわいもの知らずで、”ブラボー!”なんてできて気が楽。

しかし、玉三郎はともかく、勘三郎、先代のおっとりのんびりの味のある雰囲気が大好きだったけど)。今の勘三郎、昨日は参りました。すごい演技、迫力、うまい! 小学生のころの勘九郎を何度も見ているので、余計、目が離せませんでした。

写真もないけど、今日はこれでおしまい。チャンチャン。。


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