プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

ビゼー「真珠取り」パルマ王立歌劇場

モデナを月曜朝に車で発ち、あちこち寄り道をしながらパルマに到着しました。「真珠取り(LES PÊCHEURS DE PERLES)」美しい旋律のオペラです。それを、デジレ・ランカトーレ、アントニオ・シラグーザのゴールデンコンビでやるというので、昨年の秋にチケットを取りました。ところが2週間前にランカトーレが降板、そして、なんと初日当日朝の同劇場ウェブサイトを見ると、シラグーザまで降板になっていました。パルマお得意のドタバタのキャスト交代はなんと楽団にまでおよび、予定されていた「トスカニーニ交響楽団」が、この真珠取りの共同演出劇場である、モデナパヴァロッティ歌劇場付(だと思う)「エミリア・ロマーニャ交響楽団」に代わっていました。これに気付いたのは、劇場でプログラムを買って、公演がスタートした後に、音が不思議なので気付いた次第。

しかし、今回はすべてのトラブルを主人公レイラ役にデジレの代わりに立った、ニーノ・マチャイゼが払拭しました。現在のイタリアオペラでのソプラノとしては、マチャイゼの方が歌っていますし、”旬“という感じですので、期待はしていましたが、それ以上。

個人的にはリゴレットのジルダのイメージがあるので、彼女の声のリリコレッジェロと思っていましたが、この日はびっくり、メゾソプラノかと思うような中低音の迫力と表現力、鋼のような強い声、完全にリリコスピント!魅了されました。この日は初日ということで、恒例のパルマTVの撮影も入り、世界にストリーミングされていたのですが、日本で聴いていた知人もマチャイゼには圧倒されていました。

目をつぶってきいていると、スタジオ録音のジュルジュ・プレートゥル指揮、マリア・カラスのタイトルロールを彷彿とする強く情熱に溢れた声。マチャイゼはもともと、グルジア出身ですがイタリアオペラもフランスものへの理解も深いのです。もともと有名になったのは、フランスオペラ、グノーの「ロミオとジュリエット」、そして同「ファウスト」でも好評を博し、5月にはロサンジェルスオペラでマスネの名作「タイス」を歌います。アタナエルはドミンゴです。ドミンゴのフランスオペラも良いかも。少なくともイタリアものよりは。。。この時にちょうど、LAのビジネスパートナーとの契約更新のミーティングがあるので、できれば現地でこ聴きたいと思っています。

しかし、「真珠取り」のオペラで、有名な曲はどちらかというと男声なんですね。まずは、テノールの漁師役のナディールの歌う切ない「耳に残るは君の歌声」のアリア。この曲はオペラからポップス界に移って最も世に知られた曲でしょう。60年代後半にフレンチポップスオーケストラの巨匠、ポールモーリアがカバー、そしてコンチネンタルタンゴのアルフレッド・ハウゼオーケストラが「真珠取りのタンゴ」として大ヒットにしました。その他、マラード楽団、リカルド・サントス楽団などがカバーしています。

シラクーザの代役として当日朝か前日夜に(多分)出演を告げられた、ロシア出身(多分)のディミトリー・コルチャック、甘くて良い声をしています。これは予想以上。シラクーザよりふんわりした甘さ。日本でも2011年だったかなぁ、コジ・ファン・トゥッテに出演の予定が東日本大震災の影響を嫌ってか降板していますが、モーツァルトの他にイタリア物、特にロッシーニは良く歌っています。

今日も出だしは好調で、全体としても充分にシラグーザの代役を務めたと思いますが、やはり「耳に残るは君の歌声」は、歌い込みが足りないというか、実力が足りないというか。。。長い歌いに呼吸が追いつかず、ブレスが「はぁっ!」という感じ。溺れた歌手のようになり、次ぎの歌い出しの音程が定まらない。残念です。だけど、5回の公演があるので、もっと良くなる感じはしました。

バリトンのズルガは、イタリア人のヴィチェンゾ・タオルミーナ。出だしこそ、不安定でしたが、かなりの出来でした。明るい軽いバリトン。でも高めではありませんね。しかし、ここでまた残念だったのは、オペラの中でもドン・カルロの「カルロとロドリーゴの二重唱」にならぶ、いやそれ以上に美しいとされる男声二重唱の「聖なる神殿の奥深く」、ややオカマチックなんですが、これも練習不足で声が合わない。ざんねーん。。

トリエステ、パルマ、モデナの共同制作の演出は素晴らしい!指揮のフランス人、PATRICK FOURNILLIERもボン! ただ、オケが突然トスカニーニ響からエミリオ・ロマーニャ響に代わり、指揮についていけません。このオケ4日前にはモデナでシモンを鳴らしていました。同じメンバーかどうかわかりませんが、残念ながらレベル的にちょっと。。。

終演後、サレルノ在のバリトン歌手小川雄亮さんと食事をしていたら、マエストロも食事に来て、他のテーブルで、「3年前にトラヴィアータを振って以来なんだ。その時はトスカニーニ楽団だったんだけどね。」と直接不満は口にしないもの、やや不本意そうでした。

パルマ王立劇場は、ながいこと資金面での問題がいつもトラブルを呼んでおり、今回もそれが楽団そしてシラクーザの降板につながったのではと思います。

しかし、イタリアの劇場のほとんどが資金難の中でイタリアで歌い続けるヌッチのように、シラグーザにもランカトーレにも歌ってほしかったですね。特にその日に降板のシラグーザにはやや嫌悪感を覚えるのが本当のところ。。th-th-DSC00424.jpg
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フェラーリの故郷でシモン・ボッカネグラ

“モデナ“と聞くと、少しでも車に興味のある人は”フェラーリ”の本拠地ということを思い出すでしょう。まして、今、映画“RUSH”が公開中ですし。この映画、今回イタリアに来る飛行機の中で見ましたけど、往年のF-1ファンの僕としてはこたえられない出来でした。素晴らしい!

しかし、今回のモデナ滞在は、全くフェラーリと関係ありません。仕事でフェラーリの人とミーティングしたことは数度。だかフェラーリの本社に行ってみれば何かいいことあるかもしれませんが、今回はパヴァロッティ歌劇場の”シモン・ボッカネグラ“の最終日の公演を見に来たのです。そう、ここはパヴァロッティの故郷でもあるのです。

僕が、オペラの中で(聴いたものの中で、ということですけど)一番好きなのが、このシモン!それもレオ・ヌッチのシモン。ここ50年のオペラの歴史の中では、カップチルリのシモン、アバドの指揮が一番ということになっているようです。たしかにカップチルリのシモンは背筋がゾクッとするものがあります。でも、ちょっと英雄的にすぎるかも。シモンは生ではヌッチの他にはドミンゴ(バリトンで)、ホロストフスキー、堀内康雄で聴いています。音源ではブルゾン、カルロ・グェルフィ。でもヌッチは僕にとっては群を抜いています。アバドについては、崇拝していますんで異存なし!シモンをヴェルディの楽譜から引っ張り出して、メジャーなオペラに仕上げたのが70年代のアバドです。

さて、この日のヌッチは、びっくりするほど中高音が素晴らしく輝いていました。雨が降っていて喉が潤ったのでしょうか? 10年くらい前の輝かしい響きが聴けました。そして、低音部での表現力の豊かさはいつもの通り。普通、バリトンでもテナーでも高音が出なくなると終わりなんですが、ヌッチはそれを低音部の素晴らしい表現力の開発で簡単に乗り越えました。進化するヌッチ2012年にカルロ・リッツィの指揮でチューリッヒで聴いたヌッチのシモンも素晴らしかったですが、それを超えるパフォーマンス。3幕目で毒薬を飲まされてからは、このオペラはもうどう我慢しても涙が止まりません。みっともないので嗚咽するのを止めるのが精一杯。最後に自分を亡き者としようとしたガブリエーレ・アドルノの罪を許し、彼に総督の地位を譲って息絶えるところで、ガブリエーレの名が苦しい息の下から歌い声になると、もうダメですね。

名誉と権力と愛を描いたヴェルディのオペラの中でも最高作だと思います。今年はローマ歌劇場が来日し、ムーティの指揮でのシモンが聴けます。こんな機会は滅多にありません。僕だって日本で聴けたのは大阪いずみホールの堀内さんのシモン(すんばらしかったです。)だけ。あとはそのための海外行きでした。

この日、もう一人のヒーローはフィエスコ役のカルロ・コロンバラ!グランデ・バッソというのに相応しい、すごい歌唱力でした。フルラネットとは違う重いバス。しかし、軽々と低音に落として音程もぴたり!そこからの表現力の繊細さ。ヌッチとのプロローグ、フィナーレ、それぞれ、「シモンを許さない」と「許す」場面ですが、これが凄かったです。歌が終わって、”ブラヴィ“もちろんですが、前のほうの観客を中心に、足で床を踏みならして喝采します。これほどのすごい喝采は、耳の肥えたオペラファンの多いモデナでも珍しいとのこと。僕と家内は前から3列目ですから、その喝采の中にめり込むようでした。

指揮のチャンパ、まだ若いです。今、成長株。10月にパルマでヴェルディの”群盗“を聴きましたが、素晴らしかった。この日もチャンパのシモンを作っていました。アメーリアのアリアで高音の金管木管をちりばめるように使ったり、ところどころ歌手に合わせて共振するような響きを作ったり、色々な新しい表現があって楽しめました。ただ、彼としてはまだ色々と試して試運転という感じもします。何よりシモン・ボッカネグラはほとんどの演出(この日も)で、後にリグリアの海のうねる様子が書き割りだったり、映像だったり、でも必ず出てくるのです。アバドのすごいのは、シモンの音楽がリグリア海のうねりに聞こえること。これでないといけません。個人的にはそういうところがちょっと欲しかった。でも、チャンパ、これから期待できるなぁと思いました。

アドルノ役のサルトーリ、やっぱりこの人の声は美しい。僕大好きです。パヴァロッティ劇場にぴったり。メーリのアドルノも素晴らしいけど、僕はサルトーリが好きです。是非来日してくださいと嘆願。

公演後、出てきたコロンバラやチャンパ、アドルノ役のサルトリアメーリアのデヴィニア・ロドリゲスらと写真撮りました。チャンパに日本のお箸を上げて、「和食を食べに行ったら、マエストロは指揮棒の代わりにこれで料理を指揮して」というようなことを伝えたら、大喜びしていました。

しかし、御大ヌッチは、やはり特別扱い。会うには許可を得て彼の特別控え室に“謁見”に行くのです。待つこと15分くらい、ようやく連れて行ってくれた方達と一緒に部屋に入ると、なんとヌッチから手を伸ばして握手してくるんです。満面の笑みで。世界最高のバリトンなのに、偉ぶった感じ、威圧感を感じさせるそぶりなど全くない。何を話したか忘れてしまいましたが、とにかく素晴らしい人柄です。奥様もそばにいてニコニコしています。そう、11月には日本に来るとのこと。リサイタルですね。みんなを抱くようにして記念写真。そして、プログラムにサインをお願いすると、自分の机の上の箱に入ったシモン姿のキャビネ判の写真に、白いインクでサインをくれました。家宝じゃ!!

彼は、ここ数年ヴェルディだけを歌っています。ヴェルディの人間性が素晴らしいから、というのが彼の答え。71歳でイタリアをかけめぐります。METにもウィーンにも行かないけれど、世界最高のヴェルディバリトン。後継者がいないまま引退してしまった時を考えるのが恐ろしいですが。。。。

ヌッチ、若い指揮者に薫陶を与えるように歌います。メストの時も、リッツィの時も、彼らの指揮に合わせて、また指揮を引っ張って歌います。素晴らしい歌手であるとともに素晴らしい指導者。

さて、これからエミリア・ロマーニャ地方を回ります。フェラーリで!というのは嘘ですが、なかなか魅力的なアルファロメオ・ジュリエッタが今回の旅の脚です。th-th-DSC00192.jpg
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マエストロ・アバドのお墓参り

ボローニャに着きました。まずやりかったこと。それはアバドのお墓参り。今年1月20日に81歳で亡くなった、マエストロ、クラウディオ・アバドはボローニャの出身。晩年はルツェルンで暮らしていましたが、墓所はボローニャ市内のサント・ステファノ教会です。アバドの墓所を探すのにちょっと苦労。Webですぐに見つかるかと思って、日本語で「アバド」、「ボローニャ」、「墓地」などと打ち込むと、トップに出てくるのは、僕のこのブログばっかり。しかたなくて、英語のサイトでようやく見つけました。

教会についても、特に「アバドの墓」と書いてあるわけでもないので、事務の女の方に聞いてようやく目指す場所へ。心からの哀悼と尊敬と感謝の気持ちを込めて、ろうそくに灯をともしてお祈りしてきました。「マエストロ、あなたがいなければ、僕はこの美しい"シモン・ボッカネグラ”と出会うことはなかったのです。明日は、そのオペラをモデナで聴いて参ります。」と伝えました。伝わったかなぁ。僧院からはずっと賛美歌の合唱が流れて、厳かな気持ちになりました。
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オーレリ・デュポンの新しい世界 "椿姫”

今日は、長く書けません。明日7時前の電車で成田に行き、モデナのパヴァロッティ劇場でのヌッチのシモンとパルマ王立でのシラクーザ、ランカトーレの真珠取りを見に行くのに、まだ何もパッキングしていない。

今日のバレエ、"椿姫”の最後のシーンで、アルマン(アルフレード)が戻って来ることもなく、一人死を迎えたマルグリット(ヴィオレッタ)が倒れてフィナーレになった時、僕は拍手もBravaも出来ませんでした。体をちょっとでも動かしたら嗚咽が漏れてしまうことが解っていて動けなかったのです。

すごい、本当にすごいパフォーマンスでした。今日が初日、その前にパリの公演ではオーレリ・デュポンは黒のパ・ド・ドゥを泣きながら本番を踊っていたそうです。それだけ練習を重ねてきたのでしょう。何度も、デュポンを見ていますが、今日のはすごかった。「存在」としてのデュポン、「表現者」としてのデュポンの集大成。

先日、見たABTの黒のパ・ド・ドゥとは全く違う世界。

そして、いつもルグリの影が消せないデュポンのパートナー、今日のエルヴェ・モロー、ものすごい成長!もう「ルグリだったらなぁ」とは思いませんでした。何年か前に見た時は、「坊や」という感じだったのが、素晴らしいエトワール(実際2006年にはエトワールになっていたのだけど)になっていました。デュポンにリードされているという感じは全くなく、彼の踊りをデュポンに捧げている感じ。細いのに力があります。骨太のデュポンを軽々と挙げていました。

ノイマイヤーの振り付けって、アクロバティックすぎてあまり好みではなかったのですが、この日のオペラ座は、全くそう感じさせない踊り方。手の先、そして何よりデュポンはつま先と両肩で演技をしていました。

まだまだ細かく書きたいのですが、パッキングしないと。。

オペラ座の定年は42歳、デュポンは来年です。しかし、ルグリがファンとオペラ座の要請で例外的に45歳までエトワールを勤めたように、彼女もまだ数年オペラ座で踊ってくれないだろうかというのが何よりの望みです。

そして、モロー、36歳。最近影の薄いガニオに変わってオペラ座の顔ですね。もう数年すると、きっと、ルグリとル=リッシュを足して2で割ったような凄いダンサーになるのでは。

また、書きます。

では、行って来ます。

新国立「死の都」奇蹟の照明!光に泣かされてしまった。

3月15日土曜日のマチネの公演に行って来ました。当初、チケットの売れ行きが心配されていたようですが、いやいや、とんでもない。ほぼ満席。そしてびっくりするほど男性、それもかなり高齢の方が多い。なんだかワーグナーの演目の客層に似た感じでした。

とにかくまず書きたいこと。それは演出が素晴らしかったこと。そして舞台芸術と照明。特に照明は全く奇蹟のように素晴らしかったです。照明の意図するところで目頭が熱くなる(特に3幕目,詳細は後述)など初めてではないだろうか。新国立に通い始めたのは、2000年頃からですが、覚えている限り群を抜いて最高の演出だったと断言したいです。(他の方のブログ見ていないので、またはずれたらどうしようかと思いますが、、過去にも1月の藤原の“オリー伯爵”の指揮を「残念」としたり、昨年9月の新国立の“リゴレット”の現代演出を”Bravo”したのでは、非常に少数派になってしまっていますので。。。)

演出はフィンランド国立歌劇場の公演用にデンマーク人演出家のカスパー・ホルテン。まず、プログラムでの彼のコメントを読むと、いかに作品のストーリーと音楽を研究し、作者に敬意を払っているかが良くわかります。作品と作者への「敬意」これが何より演出を成功に導く鍵だと思います。前にも書きましたが、最近の新国立の公演でこれが感じられたのが上述の「リゴレット」のクリーゲンブルグの演出だったと思います。また、全く感じられなかったのが、同じく昨年の「ナブッコ」グラハム・ヴィックの演出というのが、これは誰が何と言おうと(それほど注目されているブログではないですが)確信していることです。

今日の「死の都」の演出では、姿の見えるはずの無い亡き妻、マリーがずっと舞台上に主人公の夫パウルと観客には見える設定になっています。これは映画の「シックスセンス」や「アザーズ」に似た手法だと思いますが、演出家は観客によりパウルの視点を持つことを意図し、それに見事に成功しています。パウルが妻の遺品を舞台の壁一杯の棚に並べた「在りし日を偲ぶ教会」は、まさに"パウル"の動く城、のような魔法の世界です。遠近法を歪んで使ったような奥行きのある不思議な白い部屋の突き当たりは天井までルーバーになった壁ですが、その向こうに何やら色の変わる光が見えます。それは2幕目では幕が開くように上がり、不思議な模様がモノクロで浮かび上がって来ますが、良くみるとそれは死の都、ブルージュの街を空から撮った写真。この映像はオペラが進行するに従い、より鮮明になってきます。部屋が死の都の中に溶け込んでいく感じは、2001年宇宙の旅のようなイメージだなぁ。

タイトルに書いたように、この公演で特筆すべきは照明です。新国立は照明のメカニズムは素晴らしいものを持っていて、過去にもマイスタージンガーや、ばらの騎士などで優秀な照明担当により光りの舞台を作り上げて来ましたが、今日は別格でした。この素晴らしさばかりは、劇場に足を運んで頂かないとわからないと思います。通常の照明機器の他に、オケピットの両脇にブリッジを作り、そこに強力なプロジェクターライトを左右2台づつ置いて、舞台の床面と同じ高さで時には小さな置物で長い影を作ります。3幕目でマリエッタをののしる時のパウルは小さな家のミニチュアで出来た巾の細い長い影の中に入ります。そうするとののしるセリフが本当に強い悪態に聞こえて来ます。また、マリエッタと妻のマリーとベッドを間に並ぶ場面、生きているマリエッタには正面から光りがあたりますが、マリーは後から光りが。化粧を死人のようにしなくても、生と死がはっきりとわかります。その二人の間は1.5mくらい。影と光から手が伸びてふれる緊張感に僕も汗ばむ感じでした。そして二人が前に出てくると、ある線で(カーテンのライン)下手真横からの光に変わり、それまでは、暗く、明るく、しかしのっぺりとしていた表情が、二人とも彫刻のようにはっきりと映し出されます。照明だけでこのような恐ろしいようなドラマを引っ張っていくのです。まさしく、語り手は照明だったのです。

最後の場面ですべて夢だったことを示す、召使いブリギッタの登場では、ドアが開くと外からの日光が暗い部屋に流れ込みます。外のまともな現実の世界の光。まるでベラスケスの”ラス・メニーナス”の絵そのものの構図。いや、光が鋭角的に影を裂いて行くところからすれば、どちらかというとピカソの"ラス・メニーナス”かもしれません。オペラを見ている間にも、そのような考えが頭をよぎり続けます。今日は光で涙しました。照明担当のドイツ人、ヴォルフガグ・ゲッペルの奇蹟の技だと思います。拍手!

指揮と歌手について書く前に、既に今迄書いた演出だけで、このオペラは既に僕としては「歴史的な成功」だと思います。

ですので、ここでブログを終わってしまっても良いくらいですが、そうもいかないでしょう。

指揮と音楽、これは大絶賛とは思えないところです。パウルを歌った、トルステン・ケール、たしかに、一定のクォリティは超えているし、ワーグナーもリヒャルト・ストラウスも歌えそう。しかし彼の歌唱はいかにも癖があります。この癖のある声を好むか好まないかというところで評価がわかれると思いますが、僕には、あまりにも内向きで、こぶしがまわるような絞り出す声が、「苦手」でした。イタリア系で言えば、ホセ・ブロスのタイプですね。彼も内向きな声ですが、その表現力の素晴らしさで、僕は彼の大ファンになりました。しかし彼もその癖のある声ゆえに、メジャーにはなれないんですね。うちの家内はケールをとても気に入ったようです。ですから結局、こういう声は好みが評価を左右します。あくまでご参考に。

3幕目に入ったあたりで気付いたのですが、彼の声が「苦手」に聞こえたのは、多分に指揮が「開放的」に過ぎるからだったかもしれないということです。全然ケールを応援する音楽ではないんです。とにかく、最初から最後まで効果音のような音作り。打楽器やピッツィカートの音作りが派手です。2幕目の最初の歌に出てくる「鐘の音」などは、これでもかと響きます。多くのところでケールの声が聞こえませんでした。2階の正面という良い場所で聴いていたにも係わらず。その点、声量豊かなマリエッタ役のミーガン・ミラーとはうまく合っていたかも。ミラーは、一本調子のケールに比べて、小さい音では表現力がありますが、あるデシベルを超えると吠えるように力強くなって、「大声量=大拍手」パターンに陥っているようでした。彼女もケールと全く合っていないと感じました。2幕目は、まるでトリスタンとイゾルデのように二人のやりとりが長々と続くのですが、残念ながらここで「持って行かれる」という快感がないのです。音楽はもっとコンパクトに緻密さを持って指揮されるべきではないかと感じました。びわこでの沼尻マエストロはどうだったのでしょうか。とにかく、この2幕の緊張の抜けた音楽と歌唱は、明らかに観客にも影響し、この頃からガサガサゴソする音や、足を組み替える時に出る音、首をグルグル回す人、何度も座り治す人、なかには貧乏ゆすりかと思うようなカタカタ音まで聞こえてきて、完全に観客が「飽きて」いました。ま、これは観客にも相当問題があります。この日は拍手のフライングも多く、その面では「ワーグナーの観客層と似ている」というのは違うと言いたいです。(昨日も書きましたが、僕はブログの題名とはうらはらに、ワーグナー教会にも入っているんで、ワーグナーとそのファンは擁護したい。)僕も、昔こういう観客に苛々したのですが、最近は脳細胞に“ノーズ・キャンセリングプログラム”を組み込んだもので、充分集中しました。しかし、廻りで2万円のA席を奮発して不機嫌になったオペラファンも多分いたでしょう。前に座っていたご婦人など、3幕目まだ終わりまで15分くらいあるのに、コートを着始めるんです。2階4列の方、それはあまりでしょう。そんなに飽きたなら、退出することです。僕も、人に迷惑をかけるなら退出しますよ。(LAでのウッディ・アレン演出のジャンニ・スキッキなど)

僕として、歌手の中で素晴らしかったと感じたのはブリギッタの山下牧子。一幕目が開いてから、かなり長い間一人で歌います。いわば第一走者。素晴らしい力走。これでオペラの形がきちんと作られました。歌手陣も指揮もそのような印象でしたが、演出の素晴らしさを妨げるような出来の悪さではなかったです。逆に言えば演出が素晴らしすぎて、歌手と指揮が僕の気持ちの中で追いつかなかったかのかも。あの照明だけ見に、もう一回観劇に行きたいと思っています。

新国立劇場、ここらへんの近代物への挑戦は素晴らしいですね。毎年楽しみです。ただ、どうしてもドイツ物が多くなります。イタリアものでプッチーニ以降のものはほとんどありませんからしたかないのですが、ヴォツェック、ピーター・グライムス、死の都までやっているのに、ベッリーニは開館から16年になるのに一作も上演されていない、ドニゼッティも多分「愛の妙薬」だけでは?バロックオペラも無しというのは不満です。まあ、日本の音楽教育がドイツに寄っていますから、しかたがないのかなぁ。

まだまだ、研修生の頃から応援してきた、糸賀修平のことや、ストーリーの読み解き方などについても書きたいんですが、すでに長すぎるブログになっているので、今日はこれにて。それにしても、今上演中のびわこでの「死の都」はどうなんでしょうか? 気にかかりますねー。

おしゃべりの続き。。

今週、METでは"ウェルテル”が始まりました。ライブ・ビューイング用の撮影上演も終わったようですが、それを見た方から「すごい!」のお便りが。。

Conductor: Alain Altinoglu
Sophie: Lisette Oropesa
Charlotte: Sophie Koch
Werther: Jonas Kaufmann
Albert: David Bižic
La Bailli: Jonathan Summers

やはり、カウフマンがすごいらしい。たしかに….しかし、凄すぎてシャルロットが引いてる感じがしたとのこと。カウフマンのパジルファルもすごかったですねー。彼にはワーグナーあたりにとどまって頑張ってほしい。決してヴェルディはやらないでほしい。(たとえドン・カルロでも)ヘルデン・テノールとしてはルネ・コロ以来の素晴らしいワーグナー歌いではないでしょうか? 彼と、もう一人全く違うタイプのフォークトですべてのワーグナーがカバー出来ると思います。

ヴェルディ協会員としてはブーですが、ワーグナー協会員としては大絶賛したいカウフマン。とにかくバレンボイムが元気なうちに、ワルフラウト・マイヤーと"トリスタンとイゾルデ”をやってほしい。ものすごい、素晴らしいパフォーマンスになると思います。

それにしても、カウフマンの日本ツァー。。最近、業界の方も見ているのでうかつなことは言えませんが、なんか。。「買う不満」にならないといいのですが。来て欲しいですね。

同じく、もうすぐ来日のナタリー・デセイ、今NYでリサイタル中。ちょっと風邪気味(この人良く風邪引くなぁ)だそうですが、ドビュッシーなど素晴らしいとのこと。あ、シャンソン歌ったのか尋ね忘れた。彼女はミッシェル・ルグランを尊敬しているそうで、その流れでシャンソンなんでしょうけど。

あまり話題になっていませんが、5月にシャンゼリゼでバルトリがオテロ(ロッシーニの)をやるはずだったんですが、なぜかサイト http://www.theatrechampselysees.fr に見当たりません。どうしたのかな。。フローレスを聴くのの数倍、バルトリを聴くのは難しですね。去年の聖降臨祭のザルツブルグでの奇蹟のような「ノルマ」これは、なんと上演はその一回限り。もちろんDVDも出ません。(なんで、「もちろん」と言ったのか、自分でもわかりませんが)CDは出ていますが、これは前年の演奏会形式のもので、たしかアダルジーザが違います。スミ・ジョーだったはず。

ああ、祝祭劇場で見たオテロ。本当に奇蹟的に直接チケットも取れて(それでも450ユーロもした!!過去最高値)幸せでした。一生のうちにもう一回聴けるのでしょうか?

そして話はバレエに移り、オーレリ・デュポン。間もなく来日、もちろん見に行きます。ノイマイヤーの黒のパ・ド・ドゥが見られます。去年、ルグリとのル・パルクのパ・ド・ドゥを見たし、その前には二人の「扉は必ず」も、多分見納め。。。しました。この3つは僕のオーレリ・デュポンのベストです。しかし、彼女も今年1月で41歳、引退では? もともと、40歳だったんですよね。エトワールの引退年齢。それがルグリが特例で45歳まで伸ばしたので、42歳が引退年齢になっているようです。ニコラ・ルリッシュが去年42歳で引退していますから彼女も来年が引退でしょう。その時はガルニエ宮に行こうと思っています。すでに親しい旅行代理店がバレエに強いので、ウォッチしてもらうようにお願いしています。

またオペラに戻りますが、レオ・ヌッチも来月で72歳。そろそろ心配です。来週末のモデナのパヴァロッティ歌劇場でのシモン・ボッカネグラ、期待していますが、降板という一抹の不安が消えません。でも、僕、彼はシモン、リゴレット、ヤーゴ、老ジェルモンしか生では聴いていないんです。ナブッコなんかどうして聴いていないのだろうかと思うんだけど、チャンス無かったんですね。あとは老フォスカリを聴きたい。

デヴィーアもそろそろ引退がちらつきます。藤原も今年の秋は彼女でなく、フリットリを呼びました。デヴィーアのマリア・ストゥアルダも聴きたい。

バレエダンサーは衰えた時には見たくないかもです。今迄それを裏切ったのは、この前のジュリー・ケントと、モニカ・ルディエールでしょうか? ギエム好きな人はギエムもそうかも。 でもとにかくバレエダンサーは一番輝いていた時を覚えていたい。でもオペラ歌手は、歳をとっても表現力があればまた別の世界が開けます。ヌッチが最も良い例でしょう。デセイもオペラをあと10年、いや5年でもやってほしかった。

今日は、おしゃべり。

珍しく、2週間ほど観劇予定がないので仕事に専念しています。4月の新学期から大学院でも忙しいことになりそう、というか確実になります。今迄は半年の間授業を持つだけの非常勤講師でしたが、これからはそういう訳にいきません。色々なことが初めてで、戸惑うことばかり。でも先輩の(歳の上の方も下の方も)教授の方々、皆さんとっても親切です。新米を気遣ってくれます。これならなんとかやれるかも。。。

さて、オペラのほうは、先週の新国立研修所公演の”ナクソス島のアリアドネ"がとても良かったので、それ以来このオペラのDVDやCDを聴いてばかりいます。昨日も電車の中でベーム指揮ウィーン歌劇場版を見ていました。
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グルベロ-ヴァのツェルビネッタ、ルネ・コロ(最近また歌い出した!)のバッカスと鉄板です。あとは、クーム指揮のナポリサンカルロ歌劇場版、シノーポリ指揮のドレスデン歌劇場版などなど。ドレスデンのは、デセイ、ボイト、ヘップナー、フォン・オッター、これはいいです!....と最初の2回くらい聴いた段階ではそう思った。他の二人のオーストリアの指揮者と音作り、歌のトーンが全然違う。良いんですけど、ちょっとさっぱりした感じ。ベルカントではないけど、そうなりそうな予感と期待がある流れです。音は、ちょっと室内楽っぽい美しい響きで、木管が際立っています。

対するベームは、その気のない指揮ぶりとは大違いに、粘り着くようなねっとりとした音作り。これがいいんです。僕のこのオペラのイメージは、まさにウィーン、それもクリムトの絵です。愛撫、抱擁、接吻を金の絵の具で描いたクリムトと同じ時代の世紀末音楽。これは、やっぱりウィーンの香りが必要。そこをとことん注入しているのがベームです。そして若き日の美しいグルベロ-ヴァがクリムトソプラノで歌う。クーンは、ややスマートな感じ。こっちのほうが音楽としてはジュースのようにすっきり飲めます。ベームのは生クリームたっぷりのスパーゲルのスープですね。(もうすぐ旬です。)

という感じで、ずーっとナクソス島に滞在していましたが、昨日上記のように横須賀線オペラ劇場で観劇中に、メールが入り、再来週にモデナで一緒にヌッチのシモンを見る知人より「ジェノヴァにシモンの墓碑があるのを見つけた!」。これで、一気にナクソス島の崖から落っこちてリグリア海にドボーン。(なんかマトリックスみたいですが)泳ぎ着いたら逗子はジェノバのようでした。

シモン・ボッカネグラは実在の人物ですから墓碑があってもおかしくはないんですが、実際その話が出ると行って見たい! とにかく僕はシモン・ボッカネグラ大好きです。ヴェルディのオペラでダントツに好き。つまり全オペラの中で一番好き。あ、でも見ていないオペラまだたくさんありますから、見た中で。。ということですが。

しかし、シモン、何度も言いますが、どうして日本でやってくれないんでしょ。シモンを見にヨーロッパに行くこと2回、アメリカに2回、日本では一回だけ。新国立でも藤原でも、お願いします。やって下さい!

ヌッチはさすがに71歳(のはず)で、最近降板も多くなってきましたが、23日初日のモデナのパヴァロッティ劇場公演は、すでにフィエスコ約のコロンバラと練習に入ったそうです。あとは風邪ひかないでください!

ということで、今日からシモンばかり聴いています。なぜか、そうなるんです。ひとつの楽曲にはまると2週間くらいそればかり、演奏のバージョンは違っても、そればかり聴いています。別にオペラに限らずの話。2年くらいビル・エヴァンスばかり聴いていたことも、1年カラスばかり聴いていたことも。去年の今頃は、寝る前必ずYouTubeでシルヴィー・ヴァルタンを聴いていました。セルジオメンデスを聴かない週というのは、彼らが77になってから40年ほど無いと断言できます。トラヴィアータははまりにはまって3年で15公演見ました。さすがに最近少し飽きましたが。

食べ物とか、絵画、本、映画など、みんなその傾向です。最近、持病の肝炎の薬の副作用の味覚障害で食べるものへの興味がやや薄れていますが、(でもなんとか来週からのイタリア行きまでに直せそう)あるときはうなぎばかり、ある時は冷やし中華、鴨でもなんでも”コンフィ”にはまった時もありますが、これはちょっとグリージー(脂っぽい)。狂牛病騒ぎの前は、リードヴォーという牛の胸腺食べてましたね。フランス料理です。

車も20年、プジョー。これは2週間で変えるわけにいかにいかないですけど。

日本人特有のおたく気質の象徴みたいな自分を感じます。

で、この週末は新国立の「死の都」です。これも楽しみだなぁ。

ジェラール・モラティエ逝く

70歳、ヌッチやドミンゴと同じ歳。まだ若い。癌だったそうです。ご冥福をお祈りします。
http://www.artsjournal.com/slippeddisc/2014/03/gerard-mortier-is-dead.html
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ナクソス島のアリアドネ 新国立研修所公演

ここ数年の研修所公演の中ではピカイチのパフォーマンスだったと思います。いやぁ、良い気分で帰って来ました。

まず、ドイツで活躍する髙橋直史の指揮が美しい。ややテンポの速い序曲からして、洗練されていて新しい響きがありました。リヒャルト・シュトラウスの知的な面を引き出すような音作り。ロマンチックなナクソス島を期待する方には物足りないかも知れませんが、僕はとても気に入りました。また、この中劇場での響きにあった押さえた鳴らし方が良い。それでいて、山場は美しく繊細に盛り上げています。同じ中劇場で飯守泰次郎 マエストロのナクソス島も聴いたことがありますが、これはこれで「壮大な」音作りで、実にゆったりして良い気持ちにさせてくれましたが、今回、「あー、こういうナクソス島もあるんだなぁ」と感じました。ドイツでも小さい劇場で指揮をしているからでしょうか、髙橋直史マエストロ、是非またなにか振ってほしいです。

歌手は、とにかく全体として「研修所」という頭言葉をはずして良いレベル。賛助出演の天羽明惠のツェルビネッタは群を抜いていました。なにせキャリアが違うのでこれは当然。しかし、彼女だけが浮くようなことにはなりませんでした。びっくりしたのは3人の妖精、15期生、16期生と、ほんとうに新人だが、素晴らしい声質と伸びやかな歌い方。コレガ研修生か!という感じ。アリアドネの14期生、林よう子も大健闘でしたが、やや声が強すぎるか? しかし、そう思うのはここ2年ほどイタリアオペラばかり聴いていたせいかもしれません。ただ、アリアドネにはもう少し天に昇っていくような神々しいとことが欲しい、というのは少し欲張り過ぎですね。

演出も、非常に洒落ていました。廻り舞台を歌舞伎のように使っていたのが楽しかったですね。作曲家、音楽教師の約作りもうまく出来ていました。特にフィナーレで抱き合うバッカスとアリアドネの後に劇中劇の客席がせり上がって来て、そこにいるツェルビネッタと作曲家が、しだいに距離を近づけて抱き合う。なんとも素敵なラスト。

個人的な趣向から言えば、最後にはやはり花火を打ってほしかったなぁ。最近は花火無しの終わりのほうが多いようだが、あれはヨーロッパっぽくて良い。

観客の反応も拍手もBravoも、かって研修所公演では体験したことのない高まり! 研修生の待遇が国の予算削除で悪くなったと聞いていますが、レベルは高くなりましたね。嬉しいことです。

今年、生誕150周年を迎えるリヒャルト・シュトラウス。昨年のヴェルディのようには盛り上がっていませんが、新国立劇場は「アラベッラ」とこの「ナクソス島のアリアドネ」でお祝いします。まずは第一弾は大成功だったと思います。

ちなみに、今日の席は14列目で¥4,200-、AMEXで買ったので¥1,300-のシャンペンが飲めるチケット付き!これはすごい値打ちです。

ついでに、死の都と、バレエのカルミナ・ブラーナもAMEXでチケット買いました。

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