プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

「ライセンスビジネスの戦略と実務」新刊発売のお知らせ

今日は、弊著の宣伝です。私の2冊目の本「ライセンスビジネスの戦略と実務/キャラクター&ブランド活用マネジメント」が2月28日より発売になります。ビジネス書ですので、オペラの本ではございません。が、前書きは「ここ10年の間、とにかくオペラを良く見ています。」で始まり、文中第2章の「近代ライセンスのリゴレットの原作、「王は愉しむ」の著者、ヴィクトル・ユゴーが、著作権の保護のためにフランスで起こした裁判係争、その後、この事件を発端にして音楽の著作権が確立されたこと。それなのに、ユゴーが裁判に敗れてから30年間、全力を尽くしてその草稿を書き終えて亡くなった翌年の1886年に、世界初めての著作権国際条約として締結され、現在もその効力が続いている"ヴェルヌ条約”には、締結当時に、肝心の「音楽」の著作権が保護されなかったのは何故か?などについて、少しですが書いております。

ご興味のある方はどうぞお読みくださいませ。ご購入の方法もございますが、お近くの公共の図書館にリクエストする方法もあるようです。

□書名:ライセンスビジネスの戦略と実務/キャラクター&ブランド活用マネジメント
□著者:草間文彦
□発行日:2015年2月28日
□体裁:B5版ソフトカバー 272ページ
□価格:¥3,000-(税別)
□出版社:白桃書房
Amazonサイト(予約受付中
http://www.amazon.co.jp/ライセンスビジネスの戦略と実務-草間-文彦/dp/4561246517
ライセンスビジネスの戦略と実務 のコピー

【本書の内容】
1950年代に米国で、ひとつの産業として誕生し、今や世界で18兆円という巨大
な市場を持つ「著作権、商標権」のライセンスビジネス。本書は、このビジネス
の概要から最新事例までを網羅し、その業務に必要な基本が読みやすくまとめら
れています。
ライセンスビジネスの取引対象となる権利を10種類に、またマーケットカテゴ
リーを5種類に分類し、それぞれの特徴を解説。また、ライセンスする権利の設
定、その取得とそれに係わる契約書の作成、権利保有者(ライセンサー)と権利
使用者(ライセンシー)の実際の交渉や、特に実務で最重要となるロイヤルティ
の料率や金額の設定についても、細かくその条件や算定方法の研究結果が紹介さ
れています。また、ライセンスビジネスの最新のイノベーションのスタイルにつ
いても言及。政府が推し進める ”クールジャパン政策“ を更なる成功に導く要素に
ついても提言されています。そして最後には、ライセンスビジネスにとってクリ
ティカルな要素である、監査、コンプライアンスなどに加えて、CSR(企業の社
会的責任)の重要性についても触れられています。

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”リゴレット”二期会、3日連続(長文です。)

リゴレット、二期会

 今年の国内でのオペラ公演で、最も楽しみにしていたのが二期会の ”リゴレット“。おととい2月19日の初日から3日間連続で聴いてきました。指揮は、アンドレア・バッティストーニ。 彼は24歳でデビューしてまだ3年、”新進気鋭”と言われてきましたが、最近になって、楽器店のクラシック売り場にCDのコーナーが出来るほどの人気になり、“50年に一度の天才”とか”ムーティの再来”とか言われるほどになっています。

 タイトルロールが上江隼人のAキャストで2日間、成田博之のBキャストで1日聴きました。しかし、Bキャストのほうは、昨日20日の開幕時間に仕事の関係で間に合わず、2幕目から会場に入ったので、ここではお目当てでもあった19日と21日のAキャストの公演を中心に書きます。まず、一言で言って「凄い体験だった!」としか言いようがありません。

 ヴェルディのリゴレットは、僕のオペラ観劇回数としては、トラヴィアータの次に多く、10回ほどは聴いている公演ですが、なんと言っても、シモン・ボッカネグラ同様に、レオ・ヌッチ翁の名演がテンプレートのように頭に焼き付いています。リゴレットはヌッチしかいないというテンプレートですね。しかし、今回の公演はその観念をひっくり返す、新しいパワーを持ったパフォーマンスでした。

 バッティストーニが指揮に入るタイミングは、ムーティーの「間髪を入れず」というほどではないですがかなり早いです。本人は先日の講演会でも指揮のスタイルについて、バッティストーニの故郷であるヴェローナの音楽祭で多くタクトを振っている、ダニエル・オーレンの指揮ぶりに影響を受けていると言っていましたが、確かにかっこいいです。かっこいい指揮から良い音楽が出てくるとも限らないですし、その逆も言えますが、若手の指揮者とは思えない余裕に満ちた、振り回し過ぎず、しかし、聴衆を指揮棒だけで魅力する振り方をします。なので、指揮者が良く見える席を取ると、指揮者だけ見てうっとりしてしまうので、初日は奮発して平土間の7列目、真ん中の席を取りました。ここからだと指揮者の頭と、時々タクトが見えるだけなので、音楽と舞台に集中できるのです。そして3日目は3階のL席1列目(ここは指揮者が良く見えます)で指揮の様子も堪能しました。

 僕の予想では、マエストロは前奏曲(序曲というほど長くない、2分ほど)から鳴らしてくるだろうというと思っていたのですが、あっさりそれは裏切られます。ボリュームは前奏曲全体としては低め。しかし、彼独特の彫刻的な音楽感は「呪い」を現すトランペットとトロンボーンのユニゾンと、その後に来る旋律を奏でる震えるような低音の弦で、このオペラの「哀しみ」をより強調するようなスタートを切ります。「呪い」のテーマの音楽の印象は音は小さいけれど、冒頭に僕の頭にすり込まれ、その後もモンテローネが出てくるたびに繰り返されるこのモチーフ(?)が、他のどのリゴレットの公演よりも強く印象付けられました。

 そして一幕目、マントヴァ公邸の宴会の幕が開くより前に、バンドの音楽が始まりますが、ここも舞台奥から聞こえるような小さな音で、しかも小さなバンドだということがわかる、まるでバロックのような調べ。しかし、スピードは速く正確です。この部分で既に破綻してしまったリゴレットの公演を聴いたこともありますが、今回はなんと言う素晴らしいスタート。この箇所でも、オペラ全体色々なところでも、マエストロは、時々すさまじくスピードを上げる(“ストリンジェンド”と言うのでしょうか?)のですが、これにオケも歌手もぴったりと付いてきます。オーボエやクラリネット、そしてコントラバス(3幕の始めなど)をピックアップするようにして、非常に幅の狭い音楽の路を作り、そこを歌手を追い詰めて渡らせるような感じにしたり、逆に合唱では、厚い絨毯の上で歌わせるような感じ。そのように自由にオペラ全体をコントロールしていきます。

 2012年のナブッコ、その後の「ローマ三部作」、「新世界」、と、来日する度に驚きを与えてくれ、その天才ぶりを示してきたバッティストーニ。基本的には、「鳴らす」タイプで、その鳴らし加減で、冒頭にも書いたように音楽を彫刻のように構築してきました。それもラファエロやダ・ヴィンチではなくて、ミケランジェロのように鋭角感を出した音楽作りをしてきたと思います。しかし、今回のリゴレットはだいぶ違いました。特に”弱“の部分の繊細さと、表現の深さが、その後に来る”強“の演奏、、たとえば3幕目のラストなどを、くっきりと浮き上がらせていました。例えば本人も講演会で言っていたように、2幕目最後のカヴァレッタ “Si vendetta(復讐だ)“は、なんとピアニシモから始まります。ヌッチのそれとは歌唱も大きく違います。最初から「復讐」の感じではないのです。むしろリゴレットの悲しみから始まり、歌うにつれてそれが怒りに変化していくように思えます。最後の部分でもジルダはトーンを上げますが、リゴレットは通常よりも1オクターブ低く歌い終わります。一日目は、bisを叫びましたが、(講演会でマエストロもそれを催促しているふうがあり「もしアンコールがあれば、その時は最後を上げるかもしれない」と言っていたので)その余裕も与えずにマエストロ退場。考えてみれば、この”Si vendetta”にはエンタテイメント要素はないのです。本当に悲しみと恨みにとらわれた男の悲痛な嘆きなのです。ですから、bisをしてその後、リゴレットがジルダと抱き合って観客に挨拶をすることで、オペラ全体の意図が崩れてしまうということだったのではないでしょうか。

 そして、指揮者の意図は、上江隼人のタイトルロールによって、実に素晴らしい舞台を作りだしていました。彼は、本人がそう呼ばれるのを好きかどうかは大変疑問ですが、「ピアニシモのバリトン」と言われることがあります。それほど、弱音での低音が美しいのです。しかし、そんな簡単な表現で、この公演の彼を表現することはできません。こ上江さんは、本当にピアニシモからフォルテまで素晴らしかった。ヌッチのリゴレットとは全く異質ですが、リゴレットの内面、その苦悩と悲しさを見事に、また、オーバーな表現を使うのでなく、全く自然に現しているところはあっぱれとしか言えず、僕自身は、ヌッチとは別のリゴレットのひとつの新しい金字塔を建てたと言って良いと思います。「悪魔め、鬼め」のアリアでも、最初の怒りの歌唱が、マルッロら、マントヴァ公の取り巻きにすがりつくように変わる部分の表現、レチタティーヴォっぽく哀れに話しかけていくところは聴き応えがあり、僕のリゴレット観劇史上としては初めて、この部分でもう涙がたっぷりと溢れてしまいました。

 それは、彼の歌唱が上手いというだけの理由ではないと思うのです。マエストロも上江さんもヴェルディに関する”研究“、”洞察”はそれは凄いものがあります。上江さんは、彼のその能力と蓄えたインテリジェンスをすべて使って、リゴレットを単なる道化、つまり原作ヴィクトル・ユゴーの “王は愉しむ” に出てくる主人公をオペラ化した役にしていないのです。このオペラが1851年にヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場で公演された頃、ヴェルディはパルマ郊外のブッセートに、愛人のジュゼッピーナ・ストレッポーニと住んでいました。ブッセートの人は保守的で、ストレッポーニの過去や、カトリック教徒から見て、結婚もしないで住んでいる二人に対する非難や嫌がらせを彼等にぶつけていたのです。事実ブッセートの教会にジュゼッピーナが一人で行くと、廻りに大きな空間があいたという話が伝わっています。

 ストレッポーニをモデルにしたヴェルディのオペラというと、”トラヴィアータ“が挙げられますが、僕はどちらかというとヴェルディとの関係では、この”リゴレット”が、二人の関係を現した作品ではないかと思います。リゴレットは、その時のヴェルディ自身を現し、ジュゼッピーナをのけ者にする街の人々に対する怒り、ジュゼッピーナを弄んだ男達への怒り、そしてもちろん、ジルダは彼が守るべきジュゼッピーナを現していると思います。リゴレットの初演の年に、ヴェルディは、そのようなブッセートの人々に別れを告げ、街から約10km離れた田舎の自分の農場の中に大邸宅を建て、その中に二人だけのための正式の祭壇をカトリック教会の認可を得て礼拝できるようにして、引っ越してしまうのです。以降、彼は亡くなるまで、ブッセートの街と人々とは、彼に惜しむ無く援助を与えたバレッツィ家以外とは冷えた関係だったようです。

 途中の説明が長くなりましたが、今回の上江さんのリゴレットは、まさしくその頃のヴェルディの想いが乗り移ったとしか言いようのない鬼気迫るものがありました。リゴレットの衣装を借りたヴェルディの魂が歌っていたとしか思えないのです。今回の公演を聴いたヴェルディファンにはそう感じた人が僕以外にもいると思います。

 3幕目、その最後で目を閉じる娘に”Mia Gilda,e morta!”と声をかける、その”Mia Gilda!”の部分の表現があまりにも“劇的でなく”自然であるのが、彼がこのリゴレットを研究しつくしたことを物語っていると思います。僕は、ここ「悪魔め、鬼め」から我慢をしてたのですが、この “Mia Gilda”で号泣でした。つぶやくように言った「ジルダ…」は、呪いの結末に失ってしまったものへの行き場の無い嘆きを、どんなに劇的な表現よりも現していました。もう一度言いましょう。上江さんの歌唱は、1日目でも、言葉に表せないほどに素晴らしかったのですが、3日目はさらに奇跡のようなパフォーマンスでした。4重唱が終わってから最後までの、彼の歌唱と、これも1日目よりまた素晴らしくなった佐藤優子さんの歌唱と、マエストロの張り詰めて、ここで「鳴らしてきた」音楽には、本当に打ちのめされるほどの感動を覚えました。特にこの3幕目がこんなに凄いのは、体験したことがありません。3日目の2幕目が終わった時に、マエストロが両手を挙げて拳を作って満足そうな様子をしていまいしたから、3幕目は彼も全開だったのでしょう。3日目に来られた方は、倍くらい得をされたかと思います。

 歌手では、昨年二期会でオランピア役でデビューした佐藤優子さんのジルダが素晴らしかったです。マエストロが講演会で「このオペラでは、過去のことを思い出す時にベルカント歌唱を使う。」、と言っていましたが、その通り、この「慕わしき人の名は」では、彼女がマントヴァ公(グァルティエール・マルデという学生の名を名乗っているが)との出会いを回想するところでベルカントが美しく使われていますが、佐藤さんのコロラトゥーラの歌唱が素晴らしい!

 話がちょっと横道にそれますが、僕の大好きな1966年のカンヌ映画祭グランプリの“男と女(クロード・ルルーシュ監督)”では、回想の部分だけカラーで撮影し、現実は白黒で撮影されています。過去が美しく輝くという意味では、似ていると思ってしまいました。

 ジョン・ハオのスパラフチーレも素晴らしかったと思います。殺人者の不気味さを余すところなく振り回していました。終演後の楽屋でも、まだその余韻があり、ファンの方々もハオさんには近づきがたいほどでした。

 そして、谷口睦美さんのマッダレーナが本当に輝いていました。彼女も1日目から絶好調でしたが、3日目はeven better! でした。マッダレーナは出番は三幕目だけですが、ジルダ同様にマントヴァ公を救おうとし、その心が、もう一人の自分と同じ心を持った女性を死なしてしまうという、複雑な役です。メゾとしての声の美しさとともに、力強さ、迷う心の表現ができないと4重唱も3幕目も盛り上がりません。この点、谷口さんは素晴らしかったです。

 マントヴァ公の古橋郷平さん(Aプロ)、決して悪くはなかったのですが、やや冗長な感じがあり、3日目2幕目の最初は高音がひっくり返りそうになっていました。山本耕平さん(Bプロ)のほうは、押さえた、やや知的すぎるマントヴァ公だったかもしれないですが、「良心のかけらがある、、」それだけにジルダがのめりこんでしまうという設定で考えると、今回の公演には彼の歌唱のほうががあっているかなとも思いました。

 今回のマエストロ・バッティストーニと上江隼人さんはリゴレットの新しい扉を大きく開いたと思います。“鳴らさない”バッティストーニは、今月日本コロンビアから発売されたばかりの、彼の「イタリア・オペラ管弦楽・合唱名曲集」の中の、”運命の力“や”トラヴィアータ”の序曲にも同様のことが感じられます。ヴェリズモのカヴァレリア・ルスカティーナの間奏曲でも大きく鳴らすことはしていないのです。その分、表現力がものすごい。

 最後に、パルマ王立劇場から持って来た演出と舞台装置も素晴らしかったと思います。パルマのサイズに合わせたのか、1幕目のリゴレットの部屋や、2幕目のマントヴァ公の邸宅の舞台装置では、文化会館の舞台上左右に1-2メートルの黒い何もない部分ができ、舞台が小さくなりましたが、それが良い方に出て、イタリアの中規模の劇場にいるよう感覚がしました。美しい舞台装置と、イタリアそのものの指揮、と上江さんの美しいイタリア語の発音(と言っても、僕が良くわかるわけではありませんが…)で、イタリア感を満喫というわけです。

 いや、これ以上書くと、素人ブログとしては長過ぎ(既に長い)ますので、終わりにしますが、近い将来に、カルロ・フェリーチェでバッティストーニと上江さんの共演(スティフェーリオとか?)を聴きたいものです。

スタッフ
指揮: アンドレア・バッティストーニ
演出: ピエール・ルイジ・サマリターニ/エリザベッタ・ブルーサ
美術: ピエール・ルイジ・サマリターニ
照明: アンドレア・ボレッリ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団

Aキャスト
マントヴァ公爵:古橋郷平
リゴレット:上江隼人
ジルダ:佐藤優子
スパラフチーレ:ジョン ハオ
マッダレーナ:谷口睦美
ジョヴァンナ:与田朝子
マルッロ:加藤史幸

Bキャスト
マントヴァ公爵:山本耕平
リゴレット:成田博之
ジルダ:新垣有希子
スパラフチーレ:伊藤 純
マッダレーナ:加藤のぞみ
ジョヴァンナ:小泉詠子
マルッロ:山口邦明

二期会”リゴレット”初日【速報】

いや、こんなにリゴレットで泣くなんて初めてです。指揮も歌唱も演出も素晴らしかった。

序曲は、予想に反して小さな音から入りました。”ジャーン”と鳴らすと思ったのですが。しかし、曲の構成がすごい。胃袋をわしづかみにされるような快感(?)。緻密に、そして大胆に、歌手を細い通路の上を通らせたり、厚い絨毯の上を通らせたり......観客は、バッティストーニの音楽の籠の中でゆられます。

上江隼人のリゴレット。これほどに道化の内面をえぐった歌唱は聴いたことがありません。「悪魔め、鬼め」では、拍手とブラボーなりやまず。ピアニシモで始まるSi Vendettaはヌッチのそれとは、全く違う、しかしリゴレットの悲しみにあふれています。

あまりの感動に、目を赤くして、鼻グチョグチョの状態で、公演後にマエストロにお会いする機会を得ましたが、握手した手も、若々しい(あたりまえだ)顔も、まったく乾燥していて汗を全然かいていないんです。あんな、すごい指揮をして・・ やはり天才。

金土と3日通いましたので、22日付けで詳しいブログをアップしています。

藤村実穂子、第44回サントリー音楽賞受賞記念コンサート

僕はイタリアオペラを聴きに行くのが多いので、藤村さんは、新国立の「神々の黄昏」のヴァルトラウテでしか生では聞いていないのです。イドメネオのイダマンテは何か用が出来てしまって行けなかった記憶があります。

しかし、ヴァルトラウテでの第一声、今でも覚えています。ジークフリートのクリスチャン・フランツやブリュンヒルデのガブリエーレ・シュナウトが、まったりした感じで歌っているところに、「お姉様!」とやって来る藤村の地を響き渡るようなメゾの迫力。びっくりしました。日本人でこんな歌手がいるなんて。

その後も、彼女を聞くのはNHKのニューイヤーオペラ、という状態でしたが、今回、一日限りのリサイタル、本当に行って良かったです。プログラムは下記の通りですが、特に「ヴェーセンドンク歌曲集」はトリスタンとイゾルデにほとんどそのまま使われているとのこと、そのまま終わらないでオペラに移って行って欲しいと思いました。

彼女の声を表現するには、僕の文章力が足りませんが、”熟成された” 声というのが一番形容詞としてはふさわしいかと..... ドイツワインは甘い、というのはピースポーターあたりを飲んでいると、そうとしか思えませんが、最高級のワインで不思議な形のボトルに入った”ヴュルツブルガー シュタイン”という辛口のワイン、これが彼女の声をワインに例えられるでしょう。このワインは、たしか、新国立のリングの時にワーグナー協会が協力して、一杯1,000円くらいでホワイエで飲めた記憶があります。

聞こえるか聞こえないかのようなピアニシモから彼女の声質は美しく、オーケストラの中から突き抜けて広がってきます。今回はサンサーンスの"サムソンとデリラ”からのアリアも入ったのですが、これは、食後酒で最高級のアイスヴァインのように甘い。こんなデリラがいたらサムソンもメロメロでしょう。

アンコールはなんと、ビゼー。カルメンから「セギディーリャの砦のほとりで」。休憩で真っ赤なドレスに着替えたのはこのアンコールのためでしょうか? 実に気品のあるカルメンでした。Brava!

実は、2013年にザルツブルグの音楽祭に行った時、その数ヶ月先にアッバードがルツェルンの音楽祭で、藤村実穂子さんとブラームスをやるというので、行きたかったのです。(この年は5月にもベルリンフィルでアッバードがベルリオーズを振るというので行こうとしたのですが、ドイツまで行って果たせませんでした。)ご存じのようにアッバードは2014年の1月に亡くなり、藤村さんは、アッバードが最後に共演したソリストになったわけです。

この日のサントリーホールのコンサートのプログラムで、藤村さんはアッバードとのことをそのように呼ばれると涙が出ると書いてあります。

この時の藤村さんの歌唱はすごいです。ダイジェスト版がYouTubeにあります。

完全版は演奏会の後、削除されていたのですが、数週間前にまたアップされました。1時間半ほどのフルバージョンのHDで27分くらいから彼女が登場します。

次ぎに彼女を生で聴けるのはいつでしょうか? できればブランゲーネで聴きたいものです、。

J. S. バッハ:カンタータ 第170番「満ち足れる安らい、うれしき魂の悦びよ」から第1曲アリア
シューベルト:魔王
ベートーヴェン:『献堂式』序曲 op. 124
ワーグナー:ヴェーゼンドンク歌曲集 天使/止まれ!/温室で/痛み/夢
チャイコフスキー:オペラ『オルレアンの少女(ジャンヌ・ダルク)』から「さらば森よ」
サン=サーンス:オペラ『サムソンとデリラ』から「あなたの声に心は開く」
ワーグナー:楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲
ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』第2幕第1場から(フリッカ)

アンコール

ビゼー:歌劇『カルメン』から、セギディーリャの砦のほとりで

藤村実穂子@サントリーホール速報!

今、藤村実穂子サントリー音楽賞受賞記念コンサートから帰宅しました。

あーー素晴らしかった。陶酔の世界。「ヴェーゼンドンク歌曲集」は、終わって欲しくなかった。そのままトリスタンとイゾルデに行ってほしかったです。「サムソンとデリラ」では甘美な藤村実穂子を発見。涙。(最近、涙もろくていかん。歳か?)そして、アンコールはなんと、カルメンから「セギディーリャ」、これ1曲のみ。真っ赤なドレスはそのためだったのでしょうか?

プログラムに「”アッバードが最後に共演したソリスト”と言われると涙が出ます。」と本人が書いていましたが、こちらも涙が出ます。今週に、このリサイタルのちゃんとした(書けるかな?)ブログアップします。

アンドレア・シェニエ ` ロイヤルオペラハウス

 今回の旅行、もともとはウィーンで“シモン・ボッカネグラ”とあとひとつ“トスカ”を見て、それからアムステルダムの“ランス”への旅に行くつもりでした。トスカは、マルティナ・セラフィンのタイトルロールで、マエストリのスカルピアというのもので、これもいいかなと思っていましたが、旅のプランを作っている時に、家内がROHでのカウフマンの“アンドレア・シェニエ“を見つけてしまったのです。これは、行かねばならないでしょう。僕自身は、カウフマンのファンというわけでは全然無いし、だいたい彼はヴェルディはほとんど歌わないので、どちからというと数年前まではアンチカウフマンだったんです。ただ1回2007年にスカラ座でアルフレードを歌ったのを聴いた事がありますが、あの頃はまだ彼は何を歌って良いのか決まっていなかったようですね。印象もあまり良くなかったです。が、その後のボイストレーナーが彼を今のカウフマンにしたとか言う話を聞いたことがあります。

 カウフマンは声も美しいですが、世の女性が皆ファンになってしまうのでは、という“イケメン”。たしかに格好良い。METのライブビューイングで、パルジファルを聴いてから、「うーん、こいつ良い声でかっこいいなぁ」と思い始めました。しかし、この人意外と小さいんですよね。テノールの常か…..170cmあるかどうか、ビリャソンと並んでも同じくらいじゃないかなぁ。ですので、この日のマッダレーナ役のエヴァ-マリア・ウェストボークのほうが背が高く、抱き合うとつぶされそうな感じがありました。

 で、もって、この日のカウフマンは絶好調。いつも絶好調なんでしょうか?一幕目から内面をさらけ出すような表現力で迫ります。このオペラのキイのセリフになる「貴女は愛をご存じない」と歌うカウフマンはウェストブレークや、ジェラール役のジェリコ・ルチッチがまだアイドリング状態の時は、特に素晴らしさが際立ちます。演技も良いですね。”なり切り感“が圧倒的。

 一幕目から、最後まで際だったのは、パッパーノの指揮。いや、びっくりしました。僕が聴いたシェニエは、新国立の2010年のヤデル・ビニャミーニ指揮。この人は日本にも良く来ていますね。だけど、なんだか印象が薄かったんです。予習に使った、クーラ、グレギーナ、グェルフィ(この人素晴らしいバリトンなのに最近全然見かけず….どうしたんでしょう?)で、指揮がリッツィの演奏は、この旅の途中でもしょっちゅう聴いていましたから頭に入っていたんですが、序曲からまるで違う。
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 ヴェリズモっぽく、ジャァ〜ンと鳴らさないんです。とても繊細な感じで入ります。座っていた席(1階の正面最後部席、僕達の後ろは立ち見)が2階バルコニーの下に入っていたせいもあるかもしれませんが、それにしても、ヴェリズモに良くある“ジャァ〜ン!”という効果音的なところも、“ジャンッ!”と切る感じ。この潔さがカウフマンの“泣きの入った”歌唱を際立たせます。

 後半になると、それなりに鳴らして来ますが、シェニエがマッダレーナと再会するあたりまでは、本当に押さえています。ですから、カウフマンも大きな声を出さない。これもヴェリズモっぽくないんですが、繰り返しになりますが、その分貯めておいたと思われる歌唱の表現力にやられます。
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 ルチッチも2幕目あたりからエンジンが掛かり始め、3幕目にマッダレーナに、シェニエを救うことを約束するあたりで素晴らしいバリトンを効かせます。彼はMETやウィーンでもヴェルディを多く歌っているようですね。そのせいか、ヴェリズモにしては声の表情が豊か。(ヴェリズモファンの方に失礼な言い方お許しを…..)

 ちょっと残念だったのが、マッダレーナ役のウェストブレーク、オランダ人のソプラノで、どちらかというとスピント。マノン・レスコーやジークリンデなどを最近歌ったようですが、この人が一般的なヴェリズモタイプです。とにかく声がでかい。表現力はあるんですが、他の二人に比べると、最後に大音量で歌い切る、というか歌いっぱなしというか……..これなら、新国立の時のノルマ・ファンティーニのほうが良かったかなと思います。ただ、あくまで男声二人が良すぎたので、聴き劣りしたという程度です。

 演出は、日本でもお馴染みのマクヴィカー。大変クラシックで、お金をかけた演出です。しかし、彼としては、かなり保守的で、しかもあまり役者に演技の負担をかけない。予習用のジャン・カルロ・デル・モナコ(僕、この人の演出大好きです。もちろん、マリオ・デル・モナコの息子)のような、蠱惑的な暗い色使いと役者の使い方のほうが良かったです。この日の観客の年齢層、すごく高かった(チケットが高いせいか?)からでしょうか?写真下が、まさにプラチナチケット!
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 ヴェリズモ、それほどそそられないんです。オペラにはまり始めたころは良く行きましたが、今は車の中で、カヴァレリアの間奏曲を聴くくらい。日本語で言うと「現実主義」となるようですが、オペラの舞台に一般市井人が出てくる面では、20世紀の感じはするなぁと思いますが、音楽的には、その前のヴェルディやロッシーニ、ベッリーニなどより洗練されているとは思いませんし、脚本もけっこう唐突なものが多い。ま、これはすべてのオペラがそうですが。このシェニエの脚本を書いたイリッカの家を昨年訪れましたが、トスカ、マノン・レスコー、蝶々夫人とプッチーニの脚本を多く書いています。何か似ている感じがしますね。

 と、最後に否定的なことを書いてしまいましたが、この日の“アンドレア・シェニエ”は素晴らしかったです。コヴェントガーデンの喧噪が、フランス革命のように聞こえました。

今回、8日間のヨーロッパの旅、時代順には、“ランスへの旅”、“シモン・ボッカネグラ”、“アンドレア・シェニエ”とオペラの歴史をたどった感じになりましたが、ここ数年毎年春に行っているヨーロッパへのオペラの旅では、もっとも満足で幸せになった旅のような気がします。

さて、帰ったらバッティストーニの講演会とリゴレットです!

キャスト
Conductor
Antonio Pappano
Director
David McVicar
Andrea Chénier
Jonas Kaufmann
Maddalena de Coigny
Eva-Maria Westbroek
Carlo Gérard
Željko Lučić
Bersi
Denyce Graves
Madelon
Elena Zilio
Contessa de Coigny
Rosalind Plowright

ランスへの旅 @ オランダ国立オペラ劇場

「演出の勝利」と言って良いでしょう。そのくらい、演出が際立っていました。今回の演出のドミナーノ・ミキエレットは新国立の定番になった、キャンピングロッジ仕立ての”コジ・ファン・トゥッテ“や二期会のイドメネオなどの現代演出で日本でも知られていますが、今回は、”ランスへの旅”をまるで、ハリウッド映画の”ナイト・ミュージアム“のように仕立て上げました。

「黄金の百合咲く宿」は美術館に、ランスへの旅人は名画の中から飛び出してきた登場人物。彼等が現実と夢の世界を境界なく動き回り、最後には、フランソワ・ジェラールが描いた「シャルル10世の戴冠式(1829年)」の絵の構図になって額に納まり、そのまま紗幕に焼き付いてしまうんです。

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 しかし、美術館にフォルビル伯爵夫人の荷物として運び込まれる名画の数々とそこから飛び出す登場人物が、誰が誰やらわからず、僕は途中まで宿の主人とフォルビル伯爵夫人を勘違いしている始末。マチャイゼのファンがこれでは面目無い。(ホントひどいもんです。自省…)このオペラの上演のあった3日の午前中に、マチャイゼのFBに「はるばる日本から来ました」とか書いたというのに、全く…..

 言い訳になりますが、今回は平土間の3列目を取ったウィーンと違って、最上階天井桟敷のど真ん中を取ったので、大きな劇場ということもあり、ステージが遠い。持っていったオペラグラスが曇っていて歌手の顔が確認しずらいのと、夜の美術館で動き回りながら歌う歌手の誰の口が動いているかもわかりずらかったんです。

 あえて、その席を取った理由は、“ランスへの旅“は、舞台の真ん中に花道のような細長いステージを作ったり、オーケストラボックスをプールに見立てたりするので、高いところから見た方が良いだろうと思ったのですが、そういう仕掛けはありませんでした。

ただ、歌手以外にも、レンブラント、ベラスケス、マルグリッド、ピカソ、ヘリングなどから飛び出した人物や犬が舞台を動き回りますから、どうしても歌よりも演出に目が行ってしまいます。

 指揮は、バロック・ヴァイオリンの名手としても名高いステファノ・モンタナーリ。チェンバロの弾き振りです。最初の序曲は随分と強弱、とテンポの変化があったので、どんな感じになるのかな、と不安と期待がありましたが、その後は全体として非常にオーソドックス。やや弦が弱い感じがありましたが、聴きやすいロッシーニでした。ただし、僕はヴェルディに比べればロッシーニはもっと素人。この“ランス”もアバドや、コボス指揮ののDVDやCDは何度も聴いていますが、生では2008年のマリインスキー来日の時のゲルギエフ指揮しか聴いていませんので、なんとも言えないところです。

 歌手では途中から役柄が判明したフォルビル伯爵夫人のマチャイゼ、声は素晴らしいのですが、ロッシーニにはやや固すぎるか? ”真珠取り“や”タイス”の時は素晴らしくはまっていましたが、今回はコリーナ役のエレノーラ・ブラット(昨年のムーティ指揮のローマ歌劇場来日”シモン・ボッカネグラ”のアメーリア役)や、ロッシーニを得意としている、メリベーア公爵夫人役メゾのアンナ・ゴリャチョヴァの軽めの声のほうが良かったように思います。男声ではドン・アルヴァーロのマリオ・ガッシ、騎士ベルフォールのホアン・フランシスコ・ガテール以下、良くここれだけの歌手を集めたという感じで、14重唱は圧巻!しかも演出がその16人が白いキャンバスの向こう側からキャンバスを破って顔を出して歌うというおもしろさ! たまりませんでした!

 しかし、このプロダクション、相当にお金もかかっていると思います。その割にチケットは格安。国の補助が大きいのでしょう。今年もベルクの“ルル”、ベルリオーズの“ベンヴェヌート・チェルリーニ”、ヘンデルの”アルチーナ“など、滅多に聴けない意欲的なプログラムを組んでいます。

Musical Director Stefano Montanari
Stage Director Damiano Michieletto

Corinna Eleonora Buratto
La Marchesa Melibea Anna Goryachova
La Contessa di Folleville Nino Machaidze
Madama Cortese Carmen Giannattasio
Il Cavaliere Belfiore Juan Francisco Gatell
Il Conte di Libenskof Michael Spyres
Lord Sidney Roberto Tagliavini
Don Profondo Nicola Ulivieri
Il Barone di Trombonok Bruno De Simone
Don Alvaro Mario Cassi
Don Prudenzio Biaggio Pizzuti
Don Luigino Carlos Cardoso *
Delia Maria Fiselier
Maddalena Teresa Iervolino
Modestina Florieke Beelen
Zefirino Jeroen de Vaal
Antonio Tomeu Bibiloni

 ところで、アムステルダムの食事はあんまり美味しくないという噂でしたが、新鮮な魚を中心に、美味しい料理、さがせばあります!下の写真の魚介類のプレート(少し食べてしまいましたが)で税込み22ユーロ!

また来たくなる街です。
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シモン・ボッカネグラ @ ウィーン国立歌劇場

半年前から楽しみにしていた、”シモン“を追ってウィーンまでやってきました。僕にとっては”シモン・ボッカネグラ”とアバドとヌッチはひとつの輪を描くくらい、頭の中で重要な位置を占めています。今迄見た数々のシモン・ボッカネグラのうち、ヌッチのタイトルロールは2回だけですが、その2回ともに、シモンの敵役のヤコーボ・フィエスコはカルロ・コロンバラ、ガブリエーレ・アドルノは、ファビオ・サルトリで決まりでした。ところが、もう一人の重要な女声、フィエスコ家の娘と思われていて、実はシモンの娘だった、(そんなら、あんたは。。。。)アメーリアは、いつも違うキャストで、タマラ・イヴェーリ、メキシコの若手、デヴィニア・ロドリゲス、そしてタイトルロールが昨年のローマ歌劇場来日で、ジョルジュ・ペティアンの時はは、エレオノーラ・ブラット、サンフランシスコでホロストフスキーの時は、アナマリア・マルティネス、METでドミンゴの時は、エイドリアン・ピエチョンカといつも違っていたんです。だからって、何が言いたいか? 今挙げたアメーリアも皆、本当に素晴らしかったのですが、僕はバルバラ・フリットリで聴きたかったのです。

実は、フリットリのアメーリアには因縁があり、サンフランシスコに行った2010年と昨年のローマ歌劇場で、彼女ががキャストされていたのに、直前で降板の目にあっています。だから、今回ウィーンまで飛んだのは、今回こそフリットリのアメーリアが聴けるだろう、いくらなんでも、ウィーンなら盲腸にでもならない限り降板しないだろうという思いでした。

でもって、ついにこの日フリットリはアメーリアを歌い、僕の願いはやっとかないました。その詳細はキャスト表の下に書きますが、もう一人楽しみだった、アドルノ役のヴァルガスが降板。風邪でしょうか?ステファノ・セッコに変わってしまいました。
で、あキャストは次の通り

シモン:レオ・ヌッチ
アメーリア:バルバラ・フリットリ
フィエスコ:フルチョ・フルラネット
アドルノ:ステファノ・セッコ
パオロ:マルコ・ガリア
指揮:フィリップ・オーギュイン

ヌッチのシモンは、昨年の今頃にモデナで聴いて以来ですが、ますます若い!プロローグで「パオロ」と登場してくる時の若々しい輝く中音から高音域は、20年前のヌッチに戻ったようです。そして、25年経って、次の幕になると、今度は重々しく威厳のある声に変わる。彼自身がシモンになりきっているのでしょうね。何度聞いても彼のシモンは「神」です。

そして、つ.つ.遂にフリットリ登場。1幕目のロマンツァから、こみ上げて来てしまいます。凜として、張り詰めた空気をふるわせるような美しいソプラノ。その後、アドルノが去ったあとに、シモンとの重唱の中で、二人が親子とわかる時、単に2つの声が響くのではなく、心がひとつになるような情感の籠もった歌唱。僕の貧困な表現力では書き切れませんね。前から3列目の平土間で見ていたので、表情もよくわかります、二人の顔みたらもうダメですね。

いつもは、美しいイタリアンテノールボイスのファビオ・サルトリ(ビジュアル派では決してありませんが)が歌うところをヴァルガスが歌うと期待していましたが、結局若手売り出し中のセッコに。代役としては、十二分Bravo!!特に、表現力があって、良く勉強したなぁという感じがしました。ただ、残念なのは、声がイタリアンではない。宝石感がない。そして音域がやや低め。やや高めのバリトンのヌッチと歌うと、余計そこらへんが目立ちます。

フルラネットも素晴らしかったです。いつもコロンバラで聴いていると、やや平坦な歌唱に聞こえますが、この日は怒り、悲しみ、哀れみがフルに表現されていました。

しかし、ちょっと頂けないなぁと思ったのは指揮です。オーギャン(前にオーギュインと書きましたが、”オーギャン“ですね。)の音作りは、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、ミュージカルか、大河ドラマのテーマ曲のよう。アンサンブルを美しく聞こえさせることに留意しているのか、静かなところはやたらとなめらかに。(スラーの連続みたい)そして、盛り上がってくるととにかく鳴らすこと。これだけ鳴らされると、歌手も声を張り上げなくてはならず、セッコあたりはフル音量という感じでした。

バレンボイムのシモン・ボッカネグラは、必ずしも評判が高いとは言えなですし、僕も好きではありませんが、でも彼なりの曲の作り方、哲学がこもっていて、聴いているうちに「そういうもんか」と思って、あまり気にならなくなります。でもオーギャンはそうではない。ヴェルディを好きではないんじゃないでしょうか、、、と思ってしまいました。僕は、このシモン・ボッカネグラはの音楽は、シモンがリグリア海から来て、またリグリア海に帰っていく、、、だからリグリアの海のうねりのような、テンポが下地にほしいのです。これは、アバドを聴いていつも勝手に感じていることです。言ってもせんのないことですが、どうせウィーンで公演するならが、メストが残っていてくれて、彼が、トラヴィアータの時のような解釈で振ってくれていたら、また違った素晴らしいシモンが聴けたかなぁと思ってしまいました。それで、フルラネットに戻りますが、指揮者のそう言ったところが、フルラネットの歌わせかたにも出てしまっているような気がして、やたらに彼が盛り上がるのが、ちょっと気になりました。ノルマのオロヴェーソと比較しては何ですが、彼の良さはこの日のフィエスコのようなおどろおどろしい、劇画調の歌いではないような機がします。なにしろ、シモンより凄み出てましたから。フィリポⅡ世にちょっと塩こしょうしたくらいんほうが良かったかなぁ。

そして、パオロのマルコ・ガリア、良かったですね。今迄聴いたパオロではカヴァレッティに次ぐ出来か!カーテンコールでも目立たないのが可哀想なくらい。

圧巻はラスト。息絶え絶えのシモンが次の総督にアドルノを指名して亡くなっていくシーン。初めてアメーリアの腕の中で息絶える演出を見ました。シモンが最後に口にするのは、アメーリアの母である「マリーア」。ですから、だいたいの演出はアメーリアは近くに立って悲しむのです。この日の演出はフリットリとヌッチでなくては、三文悲劇になるところ。彼女だからこそできたと思います。二人の表情、倒れるタイミング。本当に息が絶えるよう。僕達の廻りのお客さんも皆涙ぐんで、、、というか泣いていました。

そして、最後に「提督が亡くなられた」と伝えるフィエスコの声の恐ろしさ。いつでも、そう思うところですが、今回は特に、その後ボッカネグラ家が、フィエスコ&アドルノ家に滅ぼされた史実を予想させるのに充分な不気味さでした。

また、書き直す部分もあるかもしれませんが、今ウィーンの空港でこれを書いているうちに、次ぎの目的地ランス、、じゃなくてアムステルダム行きのフライトが来たのでこのへんで。

動画は下記です。

http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node/home/spielplan/Spielplandetail.en.php?eventid=1400658&month=02&year=2015

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