プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

バッティストーニ/東フィル@大賀ホール(ビゼー&チャイコフスキー)

 東京フィルハーモニーの主席客演指揮者として、活発に活動をしているバッティストーニ来日とともにゴールデンウィークが始まりました。まずは、今日、4月29日、軽井沢大賀ホールへ遠征しました。曲目は”アルルの女“と”チャイコフスキー交響曲5番”どちらも、彼がいかにも得意そうな演目で注目していましたが、チケットを取るのが遅くなってしまい、最後の3席のうちの1席をゲット。2階の1列目(1列しかないですが)、オケの左横、コントラバスの上あたり。音響的には?ですが、バッティの指揮ぶりが良く見えるので満足なシートでした。

 序曲の「3人の王の行列」、又は「ファランドール」、「いわゆる「王様の行進だ!」は、高校の合唱コンクールで歌った覚えがあって懐かしいです。バッティストーニ得意の、彫刻的な音で建築を作っていくような、あるいは油絵を描いていくような、立体感のある指揮ぶりです。でも、これまでの、ローマ三部作、新世界に比べると、ややおとなしいスタートでした。これが、彼の今回の特徴か!いや、前進だと思います。大きな音から中音、微弱音までのつながりが、素晴らしくスムースで美しい。指揮棒の先から蜘蛛の糸が出ていて、それで音を引っ張り出してくる感じです。目をつぶると、2月に行った、アムステルダムの美術館のゴッホのアルルの絵を思い出します。しかし、今回の予習で知ったのですが、第2組曲はビゼーの死後、彼の友人のエルネスト・ギローが、追加して作曲したのだそうです。おー、びっくり。と言っても、メヌエットはビゼーの「パースの美しき娘」からの転用、第4曲は、再び「ファランドール」ですから、(こっちが「ファランドール」と呼ばれている曲そのものみたいです。)ビゼーの美しい曲の調べは全く崩れていません。バッティストーニは今回の来日で、トゥーラン・ドットもやりますが、この曲もリューが自刃したところまで書いて、プッチーニも亡くなってしまい、その後は、フランコ・アルファーノという作曲家が書いたものですから、何か偶然とは言え共通項があって面白いですね。そして、序曲に比べて、第二組曲最後のファランドールはすごいパワー。これぞバッティ!という感じでした。こういう鳴らし方はミケランジェロが音楽を彫っているような感じです。ちなみに、アバドはラファエロでしょうか?

 休憩を挟んで、チャイコフスキーの交響曲第5番。

 この曲も学校の音楽の授業で聞いた覚えがある程度だったので、ムーティー/フィラデルフィア交響楽団の盤で予習。この盤もなかなか凄い迫力ですが、今日のバッティストーニの情感溢れる、うねるような指揮には圧倒されました。正直、チャイコフスキーというとバレエ音楽のほうが得意なもんで、あまり内容のある文章も書けずにすみません。

 前述しましたが、今日のバッティストーニは「鳴らすバッティ」でもありましたが、音量の低いところでも、素晴らしくテクニックを見せてくれました。今迄がBOSEのスピーカーだとすると、今日は中音はJBL、弱音はタンノイという感じでしょうか? そのつながりが素晴らしかったです。その意味で、アンコールのチャイコフスキーの「弦楽のためのセレナーデから”ワルツ“」は、全体が中音量で流れるように奏でられ、彼の新しい面を聴いた感じがしました。

 大賀ホールの観客も素晴らしいですね。最近、演奏中に雑音が出ないのはもちろん、変なところで拍手する人も皆無。そして、指揮棒が曲の終わりを告げた正にその時に割れんばかりの拍手。本当に音楽の好きな人が来ているなぁと感じました。今回初めていったホールですが、環境は素晴らしく休憩中にはバルコニーに出て、目の前の湖のような大きな池を渡る風を受けて興奮を静められます。ホールは木の香りがして、音響も素晴らしい。また是非来たいところです。

 今回も、公演後マエストロにご挨拶する光栄な時間を頂きました。首にタオルを巻いていましたが、握手した手も、額も、リゴレットの終演直後と同じで、全く汗をかいていませんでした。これから、この若きマエストロは、どんどん進化するでしょう。40代まで、僕が生き延びて聴けるようにがんばらなくてはと思います。

 5月は、トゥーラン・ドット(演奏会形式オペラ)の他に、ヴェルディ、プッチーニ、ロッシーニ、レスピーギの序曲などを指揮します。実に楽しみです。http://www.tpo.or.jp

 そして、夏のヴェローナでは、ヴェルディのアイーダと、オルフのカルミナ・ブラーナ! これも行きたいなぁ。特にカルミナ・ブラーナは最高だと思います。

ああ、この1週間は、ポール・マッカートニーと、アンドレア・バッティストー二、祖父と孫くらいの年齢の差がありますが、二人の天才を満喫し、トラヴィアータでは才能ある若手に刺激され、充実していました!
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藤原歌劇団 “ラ・トラヴィアータ”

4月26日、気持ちの良い日曜日のマチネで、藤原歌劇団の“ラ・トラヴィアータ”を見て来ました。

この公演はダブルキャストで、昨日の土曜日のヴィオレッタは佐藤亜希子さん、今日は光岡暁恵さん。本当は、このタイプの違うソプラノを両方とも聴きたかったのですが、連休前に片付けなくてはならない仕事もあり、一昨年、その素晴らしいスピントな歌声でヴィオレッタを聞いた佐藤さんをスキップして、今日の公演に行きました。

 光岡さん、素晴らしかったですね。1幕目の途中まで、やや声がうわずったり、上がりきらない時がありましたが、”e strano”あたりからは独壇場。美しいコラトゥーラが響きます。圧巻だったのは、2幕目のフローラの夜会の最後のアリア、”Alfredo, Alfredo, di quest core~” 「アルフレード、この心がわからないのだわ。」と嘆くところ。ここで落涙というのは初めてでしたが、実に情感のこもったアリアでした。そして、1幕目も3幕目も歌が素晴らしいだけではなくて、演技が凄いのです。最後にヴィオレッタがが倒れるシーンは、舞台の斜めになった台の上で、後ろを振り向き、天に手をさしのべるようにして力尽きて、最初は前にその後、後ろにゆっくりと崩れます。今迄、デセイのヴィオレッタの最後が一番素晴らしいと思っていましたが、この日の光岡さんも鬼気迫るものがありました。

 アルフレードの小山陽二郎さんは、この日ちょっと不調だったでしょうか。音程が定まらず、せっかくの美声をコントロールできない状態が良くなったのは、3幕目でした。(3幕目はとても良かったです。甘い美声を堪能)ジェルモンの森口賢二さん、拍手もBravoも多かったです。ただ、やや声を作り過ぎている感じがしました。この二人は、歌唱力も重要ですが、演出でどのような性格付けにするかをしっかりと決めていないと、聴いていてもどかしい感じがします。特にジェルモンのヴィオレッタへの思いやりが本物か、偽物か、あるいは3幕目でヴィオレッタが死ぬ直前におっとり刀で駆けつけるのも、善意に捉えるか、わざと遅れて来たと捉えるか、そういう部分が演出でもう少し推測できる感じのほうが僕は好きです。岩田宗達さんの演出は、2年前よりも舞台装置などは格段に良くなっていましたが、この親子の立ち位置を、コンビチュニー演出まで行かなくても、もう少しはっきりさせてほしかったかなという感じです。

 1幕2場で、アルフレードが、「パリに金返しに行くぞ」と歌うカバレッタ、”oh mio rimorso”は良く省略されますが、今回は省かなかったので、アルフレードが、熱血漢ではあるけれど、やや脳天気であることがわかります。だって、かなりお金のかかる生活をパリ郊外の屋敷でしていて、そのお金がどこから出てくるのか解らないわけはないのです。実際にデュマ・フィスも父、“大デュマ”に借金を申込み、直接は借りられないまでも、保証人になってもらっていますから、このカヴァレッタがあると、アルフレードの“坊ちゃん”ぶりが暴露されます。

 同様に、1幕2場の最後の「プロヴァンスの海と土」のあとに、息子をひっぱたいてしまって、うろたえるジェルモンのカヴァレッタ“no non udrai rimproveri” 「いや責めているのではない」も、それまで威厳を保っていた父が、大変に息子をスポイルしていることがわかる曲ですが、今回は、こちらだけ省かれていました。これは、両方省くか、両方入れるかだと思います。両方のカヴァレッタが入れば、父と息子の甘えた関係がはっきりわかりますし、両方入らなければ、他の演出で威厳をもった南仏の名門の親子という設定もできるわけですから。

 余計な話が長くなりましたが、今回びっくりしたのは、フローラで藤原歌劇団正団員デビューした、メゾの丹呉由利子さん。素晴らしくゴージャスな声は、数年前に、同じヴェルディの「オベルト」のクニーツィアを清純な声で歌った時からは考えられないような変化。「すごく上手くなったなぁ!」とまずは感心!デビューで浮き足立つことなど全く無く、素晴らしい情感に溢れる歌唱を聴かせてくれました。また、演技が素晴らしいのですよ。余裕たっぷりに表情を変え、舞台を立ち回ります。2幕目で、アルフレードに札束を投げつけられて倒れたヴィオレッタを守るようにおおいかぶさった時も背中が演技していました。そこから、さっき書いたラストのヴィオレッタのアリアに来たので、感涙だったのです。

 ともすれば印象が薄くなりがちなフローラ役で、これだけの存在感を出して、まさしく2つの夜会が劇中に競い合うようにした立役者が丹呉さんだと思います。思えば、昨年2月の藤原の新人歌手のオペラアリアコンサートが新国立劇場大ホールで開催された時、ほとんど皆、緊張して直立不動で歌う中、一人舞台の上を動いて、色々な観客のところに視線を向け、余裕たっぷりに歌っていた、(これが新人か?と思いました)のが丹呉由利子さんでした。この人は大物になる予感が.......!! 是非、エヴォリ公女やマッダレーナ、あるいはファヴォリータなどで聴きたい歌手です。

 今日は、女性が優勢な公演でしたが、指揮者の田中裕子さんも良かったですね。経歴などを見ると、ドイツっぽいなと思っていたのですが、出だしから、もうイタリア丸出し!(失礼..)インテンポで、ズンパッパを暖かい音色でオケに奏でさせます。変な色つけは無し。でもちょっとずつスパイスが入っていて、特に2幕目の夜会は、実に楽しく鳴らしていました。それだけに、3幕目が悲しい。指揮の構成もとてもバランスが取れていました。藤原は良い指揮者を探して来ますね。二期会は時々ドイツが入りますけど。

 今日は、このような素敵な公演を、僕の大好きな劇場、“テアトロ・ジーリオ・ショウワ”で聴けて、非常に満足でした。

総監督:岡山 廣幸
指揮:田中祐子
演出:岩田 達宗
出演
ヴィオレッタ:光岡 暁恵
アルフレード:小山 陽二郎
ジェルモン:森口 賢二
フローラ:丹呉 由利子
ガストン:井出 司
ドゥフォール:田中 大揮
ドビニー:水野 洋介
グランヴィル:若林 勉
アンニーナ:吉村 恵

合唱指揮:須藤桂司
合唱/藤原歌劇団合唱部
振付/小山久美
バレエ/スターダンサーズバレエ団
管弦楽/テアトロ・ジーリオ・ショウワオーケストラ

ポール・マッカートニー東京公演初日

2015年4月23日、東京ドームにポール・マッカートニーが帰って来ました。僕としては、20数年ぶりの彼のライブ。「凄かった!」の一言に尽きます。もうすぐ73歳という年齢で2時間40分休み無しで歌いっぱなし。水も飲まない。こっちが心配になりました。

 ここ数年ののポール公演ではビートルズナンバーを中心にしているというだけあって、約半数の曲が昔の曲。それも、けっこうマイナーな曲もありましたねー。初期の曲の中では、僕の大好きな “I saw her standing there(Please Please me、もとはジョージが歌っていたはず)、Being for the Benefit of Mr. Kite (Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)、Lovely Rita (同),など。Magical Mystery Tourに始まって、最後の、これもマイナーだけど名曲の”Golden slumbers ~ Carry that weight (Abbey Road)まで、40曲近く熱唱!

 ライブをやらなくなってレコードでしか聴けなくなった曲が、目の前で、しかも当時よりずっと上手にパワフルに演奏されるのに感激でした。そして、Johnには”Here today”、Georgeには“Something”が捧げられましたが、”Here today”は初めて聞く曲。いや、涙無しには聴けなかったです。”If he were here today”レノンが亡くなった1980年の12月8日のことは、とても良く覚えています。まだ静かだった原宿の喫茶店でコーヒー飲んでいました。1966年にビートルズが来日した時は中学1年生、学校休んでは武道館に行けず、テレビで見ましたが、下手だったなぁ。特にリンゴの ”I wanna be your man“がおかしいほど、テンポが上がってしまっていました。実は、僕は”ビートルズ世代”ではありますけど、人気がありすぎるビートルズよりも、ホリーズ、ペースメーカーズ、デイヴ・クラーク・ファイブや、カリフォルニアロックの、ママス&パパス、アソシエーション、バーズなんかのほうが好きでした。

 本当にビートルズにのめり込んだのは、1975年から76年、そして80年に英国に住んでいたころです。向こうで車を運転して田舎に行く時など、カセットにビートルズを満載して聴いていましたし、しょっちゅう遅れたり、行き先やホームが変更になる列車に乗り損ねては、”One after 909”を歌っていました。彼等の曲は美しい。今も美しいと思います。そして歌詞はけっこう哲学的。これはジョンとジョージの影響でしょうね。

 ポールとリンゴの共演なんかできないんでしょうか? 何なら、幻のビートルズと言われ、そのスター性(とドラムが下手だったから?)からあえてエプスタインからグループを外された、ピート・ベストとの共演なんかもいいんじゃないかと思います。

 とにかく、昨日は大満足。しばらくはビートルズとウィングス関係のCD引っ張り出して聴きます。(でも明後日は、トラヴィアータ)


バッティストーニがやって来る

4月の連休から5月にかけて、アンドレア・バッティストーニが東フィルの主席客演指揮者として来日、精力的に指揮棒を振ります。

4/29:アルルの女、チャイコフスキー交響曲第5番 軽井沢大賀ホール

5/17:トゥーランドット 演奏会形式オペラ オーチャードホール

5/18:トゥーランドット 演奏会形式オペラ サントリーホール
トゥーランドット(ソプラノ):ティツィアーナ・カルーソー
カラフ(テノール):カルロ・ヴェントレ
リュー(ソプラノ):浜田 理恵
ティムール(バス):斉木 健詞
アルトゥム皇帝(テノール):伊達 英二
ピン(バリトン):萩原 潤
パン(テノール):大川 信之
ポン(テノール):児玉 和弘

5/21:オペラシティコンサートホール
ロッシーニ/歌劇『コリントの包囲』序曲
ヴェルディ/歌劇『シチリア島の夕べの祈り』より舞曲
プッチーニ/交響的前奏曲
レスピーギ/組曲『シバの女王ベルキス』

とりあえず、5/17以外は取りました。今日の情報だと、あと少しだけ席が残っているとのこと。ヴェルディが愉しみなのはもちろんですが、今回は特に、トゥーランドットとチャイコフスキーが良さそうです。

もう、ネットでは取れないとかもしれません。なかなか繋がらない東フィルのチケットカウンター、03-5353-9522に何度も電話するしかなさそう。4/29の分は大賀ホール直のほうが速く繋がります。0267-31-5555


プラシド・ドミンゴ、MET エルナーニ急遽降板を救ったのは?

4月4日土曜日のマチネ、METでのヴェルディのオペラ "エルナーニ”の開幕30分前に、ドン・カルロ役のプラシド・ドミンゴの体調が悪くなり、息子のアルヴァーロ(運命の力みたいですね)が、「」この役を出来るだろうと思われる、ルカ・サルシの携帯に電話をしました。

ルカは、ちょうどその日の夜の部の"ランメルモールのルチア”でエンリコを歌う予定で、その前に奥さんとNYのブロードウェイを歩いていたそうです。しかし、この電話で急遽METへ。彼いわく”Just go and sing"という事態に。ルカは2013年、12月にローマ歌劇場でこの役を歌ってからは、ドン・カルロを演じていなかったのです。それでも、「一度、マエストロ・ムーティとオペラをやれば、そのスコアはとても良く覚えているものだよ」と言って、無事にエルナーニの公演をつとめたとのこと。

しかし、カヴァーはいなかったんですかね??

で、もって、ルカはこの後エンリーコも歌って、ダブルヘッダーでした。40歳と若いので、エネルギーがありますね。

http://www.usnews.com/news/entertainment/articles/2015/04/05/with-placido-domingo-ill-luca-salsi-sings-met-doubleheader

ルチアのほうも、エドガルド役のジョセフ・カレヤが1日の公演を、病気のために降板するなど、けっこう事故続きの今月。

しかし、ドミンゴも、もう74歳、今年のザルツブルグの夏の音楽祭でもエルナーニに出演しますが、そろそろ、年齢のリスクが出て来ましたね。同年代(73歳)のレオ・ヌッチはまだまだそのリスクは低そうですが、75歳を超えると、ビジネスでも芸術でも、一発勝負のイベントは厳しくなってきます。

しかし、ドミンゴは昨年のLAオペラでのタイスを聴いた限り、声は素晴らしい。今年は9月のLAオペラで、ジャンニ・スキッキ(ちょっと歌が少ないが)でも聴きに行こうかなぁ。

「運命の力」の話

 先週、「運命の力」を聴いてから、どうもすっきりしません。新国立で公演したヴェルディ作品としては、相当出来が悪かったと思います。その8割方の責任は指揮にあると思います。

 僕の行った8日には、控えめにマエストロにブーイングも聞こえたという人もいましたが、定かではありません。

 いずれにしろ、このオペラは台本にはタイトルほどの力がありませんから、ストーリーに魅せられるオペラじゃないと思います。改訂前のピアーヴェの原作、つまり、ペテルブルグでの公演時には、最後アルヴァーロが自殺するのですが、イタリアはカソリックの国ですから、1869年のスカラ座のイタリア初演時には、ギスランツォーニによって、生き延びるようになるのです。これだけでも、締まりのなくなったオペラになった感じはありますが、プレツィオッジラというジプシーの娘が、戦争を賛美する不思議さ、メリトーネ神父と行商人トラブーコの不自然な陽気さあたりのストーリー展開が、1850年から59年の間に書かれて、ヴェルディが作曲した、のソンマの仮面舞踏会、ピアーヴェのトラヴィアータ、シモン・ボッカネグラ、リゴレット、カンマラーノのイル・トロヴァトーレに比べると、台本の完成度がひどく低いと思うのです。

 一方で、音楽の完成度は高いと思います!ヴェルディの音楽は、シチリアの晩鐘あたりからフランスの影響を受け(特にマイヤベーアなど)、美しい音楽に変わってはきましたが、本当にグラン・オペラ形式にのっとり、イタリアのオペラ・セリア形式を捨てたのは、この「運命の力」ではないかと思うのです。仮面舞踏会では、まだベルカントの曲が残っていますが、「運命の力」ではそれもなくなり、改訂版では、序曲も立派になりました。

 ですので、このオペラは、曲で聴衆をグーッと引きつけてしまわないと、アラばかり見えてくるのです。序曲ばかりが、演奏されるのもそういった原因があるかと思いますが、メータの指揮の時は、全くアラは見えませんでした。また、TUTTO VERDIのパルマでの GELMETTIの指揮も、ものすごく素晴らしいかというと、そうでもないんですが、それでもこの美しい曲で引っ張ります。

 その点で、ホセ・ルイス・ゴメスは力不足が甚だしかったなぁと思うしだい。元々マッシモ・ザネッティが振るはずだったのが、早い時点で「芸術上の理由」で指揮者が変更になったんです。ここらへんも何かありそうですね。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/140818_005723.html

本当であれば、飯守マエストロが、このヴェルディ中期の名作をどう振るのかを聴きたかったです。でなければ、バッティストーニの後を追う、若手指揮者を呼んで欲しかった。フランチェスコ・イヴァン・チャンパなど、今ちょうど呼び時だと思います。ダニエル・オーレンの弟子というのも、バッティストーニとのライバルみたいな感じ(バッティは弟子ではないけど、オーレンの指揮を見て育っています。)がありますし、何より、今ヴェルディを一生懸命振っている。僕は、I masnadieri(群盗)とシモン・ボッカネグラを聴きましたが、若々しくて、力強く良かったです。

 このブログを読まれている皆様には、是非、バッティストーニのCD "イタリア・オペラ管弦楽・合唱名曲集”の中の「運命の力」序曲を聴いてほしいと思います。彫刻のような立体感と美しさ、そして塊のような強さのある「運命の力」の序曲が堪能できます。 http://columbia.jp/battistoni/ このCDには他にもナブッコやトラヴィアータ、マクベス、アイーダの中から選ばれた曲に加え、ロッシーニなども聴けます。素晴らしいです!

運命の力 新国立劇場

 「運命の力」というタイトルを聞く度に、東日本大震災の2日後に文化会館の、フィレンツェ歌劇場の公演を思い出します。ズービン・メータが最初に追悼の辞を述べてから序曲に入りましたが、「メータはやっぱりすごいんだ!」と思わざるを得ない指揮でした。その前の晩に、大船渡に帰国して里帰りしていた伯母が、津波にさらわれながら奇跡的に助かったことが解ったりしたこともあって、僕自身も、また別の「運命の力」を感じていた事もありましたが、序曲にちりばめられたモチーフが、オペラの中で繰り返され、運命に弄ばれるかのような凄みのある演奏は素晴らしいものでした。忘れられない公演です。

 この序曲は、ムーティやレヴァイン、セラフィン、最近ではバッティストーニなど、多く指揮者によって演奏され、けっこう聞き込んでいることもあり、この日の新国立の若手スペイン人指揮者、ホセ・ルイス・ゴメスには期待をしていたのですが、残念ながら、彼の指揮ぶりには納得がいきませんでした。序曲前半で、自分の色を出そうとして、金管を引っ張り出したり、弦を強くならしたり、不協和音を強調したり、テンポを変えたり、色々とやってくれるのですが、テーブルの上を散らかしたような感じで、最後にそれらが、うまく元の引き出しに収まらないのです。その後も、「ここぞ!」という聴かせどころで、オペラと歌手を引っ張るような力強さが無い。何か、立体感のない、薄っぺら(とまで言っては失礼かもしれないが)な指揮という印象が最後まで付いて廻りました。ヴェルディの熱い心みたいなものを理解していないのかなぁ、と感じた次第。

 レオノーラを歌ったイアーノ・タマー、この日は、気温5度で雨という気候のせいか、あまり調子が良くないようで、中音に声が落ちると割れそうになるために、中音を弱音似せざる得ない様子でした。ただ、4幕目の、アリア「神よ、平和を与えたまえ」は、高音が綺麗に伸びて、ピアニシモも完全で、グッとくるものがありました。

 この日は、しかし、プレツィオジッラを演じた、ケテワン・ケモクリーゼのほうが、役者が上という感じで、3幕2場の営舎の場面などは、完全に自分が仕切っている感じ。スカラ座の来日公演でのリゴレットで、マッダレーナで光った歌唱は、この日も素晴らしかったです。しかし、故意にカルメンに似せた衣装と演技はやや鼻についたのと、歌唱が素晴らしすぎて、このオペラにはまっていない感じがありました。ケテワン・ケモクリーゼはオビワン・ケノービの娘?、と馬鹿なことを考えましたが…..

 アルヴァーロを歌った、ゾラン・トドロヴィッチ、2010年の新国のニューイヤー・ガラで(その頃はまだガラがありました)で、ノルマ・ファンティーニとトスカのカラヴァドッシを歌ったのを覚えています。この時は、ファンティーニに比べると、歌唱も、イタリア語も劣る感じがしましたが、それから5年、ずいぶん上手くなったなぁとは思いました。しかし、これは僕の好きなヴェルディ・テナーではないです。どうもオネーギンのレンスキーのような気がしてしまいます。高音部がヴェルディっぽく光らないんです。まあ、このオペラ自体がサントペテルブルグ歌劇場の要請で書かれたものなので、トドロヴィッチの声はオリジナルに近いのかもしれませんが。彼に比べると、同じ東欧系でもピョートル・ベチャワなどは、ヴェルディはいっているなぁ!と感じます。(スカラではブーイング喰らっていますけど)

 個人的には、ドン・カルロを歌った、マルコ・ディ・フェリーチェのほうが数段、好きでした。この人の歌い方は“Viva Verdi!”。演技も上手かったです。フェリーチェとトドロヴィッチの二重唱が各所に出て来ますが、微妙に合っていないところがあったようが感じがしました。まぁ、これは僕の耳がそんなに良いこともないので、気のせいかも。

 特筆したいのは、グァルディアーノ神父の松居 浩、妻屋さんの影に隠れて、出番が少ないですが、とても良かったです。声が安定していてモゴモゴしない。2幕2場でレオノーラを教会に迎え、合唱団と歌うところは、圧巻でした。新国立の合唱団、こういう宗教っぽい緻密な合唱は、特に素晴らしいです。

 最後に、演出ですが、これは微妙かもしれません。舞台装置や照明は、僕はなかなか良いと思いました。赤を基調にしたシンプルな舞台ですが、そこに箱のような教会と、その中にまた入る小さい箱の洞窟で、レオノーラが密かに守られていることが良くわかります。ただ、人の動きを見ると、カルメンのようなプレツィオジッラ、ハイル・ヒトラーのような敬礼をする軍人、北朝鮮のマスゲームのような女学生(家内がそう言っていました。全く…)など、演出の意図の理解に苦しむところもけっこうありました。場所がスペインですから、フランコの統治下を表しているのでしょうか? 時代を変えるなら、はっきりとした時代に変えるか、あるいは完全にいつかわからないようにするか、どちらかのほうが良かったような気がします。

もう一回聴きに行こうか、どうしようか迷う公演ですね。

【指揮】ホセ・ルイス・ゴメス
【演出】エミリオ・サージ
レオノーライアーノ・タマードン・アルヴァーロゾラン・トドロヴィッチドン・カルロマルコ・ディ・フェリーチェプレツィオジッラケテワン・ケモクリーゼグァルディアーノ神父松位 浩フラ・メリトーネマルコ・カマストラカラトラーヴァ侯爵久保田真澄マストロ・トラブーコ松浦 健

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