プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

ヨーヨー・マ&キャサリン・ストット @ サントリーホール

 ヨーヨー・マのチェロの音には、彼の人間性のすべてが表れていると思います。僕がヨーヨー・マを最初に聴いたのは90年代のバッハの”無伴奏チェロソナタ“でしたが、感銘を受けたのは、” ヨーヨー・マ インスパイアド・バイ・バッハ ミュージック・ガーデン“というドキュメンタリーの3枚もののDVD。トロントに”無伴奏チェロソナタ”をテーマに大きな庭を造っていく様子を演奏とともに映像表現したものですが、90年代の後半に、ある日曜の朝ベッドから起きてテレビを付けたらやっていたのを見て、釘付けになってしまいました。幻想の世界……この頃、彼は”無伴奏チェロソナタ“ばかりを弾いていた記憶があります。それまで、ミッシャ・マイスキーと、カザルスのCDに取り憑かれていた僕には、ヨーヨー・マの伸びやかなで、知性的、クールだけれど暖かい演奏は、僕のバッハに対する思いを広げてくれました。

 さて、この日(10月26日)のリサイタルのメニューは次の通り

1.「アーク・オブ・ライフ」組曲
J.S.バッハ/グノー:アヴェ・マリア
シベリウス:夢なりしか? op. 37, no. 4
ゲーゼ:タンゴ・ジェラシー
ドビュッシー:美しい夕暮れ
シューベルト:アヴェ・マリアD839
2.ショスタコーヴィチ
: チェロ・ソナタ ニ短調 op.40
3.ソッリマ
: イル・ベッラントニオ
 4.フランク
: チェロ・ソナタ イ長調 (ヴァイオリン・ソナタ編曲版)
 アンコール: エルガー「愛の挨拶」
ガーシュイン「プレリュード」
チャイコフスキー「感傷的なワルツ」

 すべての曲で、チェロとピアノがからみつくように音色を奏でていました。ヨーヨー・マは、ここ10数年の間にポピュラー音楽とのコラボレーションアルバムを数多く出しています。”プレイズ エンリオ・モリコーネ“、”プレイズ ピアソラ“、”オブリガード・ブラジル”などなど。ストットとは”オブリガード・ブラジル“でボサノバやMPBの曲を既に一緒に演奏しており、その時も実に素晴らしかったです。チェロというのは、どちらかというと「孤高の楽器」で、バッハの”無伴奏”ソナタに象徴されるように、クラシックをチェロ一本で表現するのを好む層(僕もそうでした)が多いと思います。コントラバスが、JAZZではウッドベースと言われ、ポピュラー音楽との橋渡しをしているのとは違う位置にいます。

 ですが、ヨーヨー・マの世界は彼だからこそできる、コラボレーション、彼の人間性が異質なものを懐に入れて、マの音楽として再構成しているのです。JAZZで言うと、ハーモニカのトゥース・シールマンスが、まさに同じような位置にいると思います。

 この日、とても好きだったのは、フランク
の「 チェロ・ソナタ イ長調 (ヴァイオリン・ソナタ編曲版)」でした。ヴァイオリン版なので、高音が多いのですが、全く無理なく聴かせてくれました。

 次のヨーヨー・マの挑むテーマは何でしょうね。楽しみです。



 

 

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デジレ・ランカトーレ トークショー&ミニリサイタル

 プラハ歌劇場の「ラ・トラヴィアータ」公演で、タイトルロールとして来日中のデジレ・ランカトーレのトークショー&ミニリサイタルが、10月21日にイタリア文化会館内のアニェッリホールでありました。なんと無料!ほとんどPRしていないのに熱心なファンで370席は満席でした。

 ここでは先日もヴェルディ協会のマラソンコンサートがありました。小規模な公演には素晴らしくぴったりなホールなんですが、デジレのこの日のイベントは特に盛り上がりました!それは、トークショーの途中、20分ほど、イタリアの国営ラジオ放Rai3の人気オペラ番組“ラ・バルカッチャ”での生中継が入ったのです。デジレは日本のファンのことをとても良く言ってくれて、その後ライブでトラヴィアータ第3幕のアリアを歌い(実際にはイタリアのスタジオで録音を流したんですが)、その後デジレが僕達聴衆にマイクを向けると、みんな大拍手とBrava!!の合唱!とても楽しかったです。

 “デジレちゃん”とか呼ばれるくらい、可愛くてオペラ界のアイドル的存在になっている彼女ですが、この日のトークショーからは、その知性がほとばしりました。特に、トラヴィアータについては「ヴィオレッタの役は技巧的にも高いレベルで歌えることが条件だけど、それだけではなく、エモーショナルな部分で充分な準備ができた歌手が歌うべき」と語り、その例としてさきほどの第3幕目のアリア「さようなら過ぎた日よ」の2番は、ヴィオレッタがその職業から「私の墓には名前も記されないだろう」というところに悲しみが表れることを説明しました。この2番はよく省かれるとのこと。確かに、手元にある対訳本にも載っていませんでした。ヴィオレッタのモデルになった、実存した高級娼婦”マリー・デュプレシ“は、伯爵夫人の称号を一時的でも所有したために、お墓は出来ましたけどね。

 そんな話がたくさん彼女の口から出て来ます。素敵な人ですね。もう目がハートになりそうでした。

 この日はヴィオレッタのそのアリアと、「オテロ」の「アヴェ・マリア」、「ロミオとジュリエット」の「私は夢に生きたい」の3曲を歌ってくれました。3日間の間にヌッチとデジレ・ランカトーレを聴けて幸せでした。

レオ・ヌッチ バリトンリサイタル

 いや、昨日のヌッチはいつにも増してすごかったです!プログラムの最初がロッシーニの「セヴィリアの理髪師~私は街の何でも屋」というのは去年と同じですが、去年は、まずはロッシーニで喉をならすという感じだったと記憶しています。ところが今年は最初から全開!今年の夏、スカラ座で1ヶ月唄っていたので、僕の知人でも久しぶりのヌッチのフィガロを満喫した人が多いです。が、僕自身は行けなかったので、ここで素晴らしいカヴァティーナを聴けて幸せでした。

 ヌッチも声の調子を確かめるように、安全運転から入る時もあります。去年や2013年のリサイタルはそんな感じだったと覚えています。もちろん、それはそれで全然問題無く、後半に向かって盛り上がっていき、ヌッチリサイタルの第三部と言われる、アンコール5−6曲でピークに達するのです。

 ですが、昨日は本当に気分が乗っていたのだと思います。軽い咳は何度かしていたようですが、ベルカントな曲から重い曲までを自由に歌い分けます。マクベスの第4幕フィナーレは短いですが、圧巻でした。これぞマクベス。ROHの前に聴かなくて良かったです。そして前半最後のヴェルディの珍しい歌曲、亡命者。とにかく、昨年も書きましたが、高音が輝くように美しい。2008-2010年頃、tutto Verdiを録音した頃は、明らかに高音がくすんだ感じがありましたが、70歳を超えて、呼吸法を変えたのでしょうか?昔、ドミンゴと仮面舞踏会を唄ったレーナートのような高音が戻ってきたのです。昨年発売されたCD,“Kings and Courtiers”(王と廷臣)を聴くとそれがよく解ります。今年74歳ですから、皆「いつまで聴けるかわからない」という思いで彼のリサイタルに毎年出かけているのだと思いますが、聴く度に「まだ5年は大丈夫」と思い知らされます。今回もそうでした。

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 後半は二人のフォスカリから始まり時代を遡り、ベッリーニ、ドニゼッティ、ロッシーニと唄って行きます。最後はラ・ファヴォリータから“さあ、レオノーラよ、そなたの足許に”でしたから比較的軽く終わったわけです。でもそれからのアンコールが凄い、重い曲ばかり4曲。それも長い曲ばかり。ドン・カルロの” Per me giunto è il di supremo”の最後の”addio carlo”の歌詞や、 リゴレットの“Cortigiani,vil razza dannata”の”Ebben, piango, Marulllo, signore”の歌詞を歌った時は、全くオペラの中に飲み込まれてしまった感じです。ものすごい表現力。このリサイタルでオペラ5本分の満足感。

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今年は、2月にウィーンまで行き、初めてヌッチとフリットリのシモン・ボッカネグラを聴きましたが、この時は指揮者がオーギャンでテノールのバルガスが、セッコになって、その点が残念でした。来年はその敵討ちにリセウ歌劇場まで遠征しようかと思っています。

ラインの黄金 @ 新国立劇場

 飯守泰次郎音楽監督になって、新しい演出の「ニーベルングの指環」がシーズンに1作というペースで始まるというので、楽しみにして最終日に行きました。しかし、このチケットを取った後にデジレ・ランカトーレの「ラ・トラヴィアータ」が同日に公演されることが決まり、これなら日にちをずらせておけば良かったと後悔。

 結果として、そのプラハの「ラ・トラヴィアータ」を聞き損ねただけの甲斐のある出来だったかというと、やや微妙なところです。ワーグナーのオペラでこの「リング」とか、「トリスタンとイゾルデ」は音楽の蠱惑的な響きと、演出の夢幻感で、聴衆の僕が幽体離脱する感じになるかどうかが満足感の鍵になるんです。新国立では2004年の「神々の黄昏」がそうでした。僕としては初めて生で聴いたリングでしたが、準メルクルの指揮とキース・ウォーナーの演出(初演)はまさに、「持って行かれる」感覚を与えてくれました。そして2007年のベルリン国立劇場の引っ越し公演で聴いたバレンボイム指揮、クプファー演出の「トリスタンとイゾルデ」は最高のワーグナー体験でした。

 昨日の新国立の「ラインの黄金」は、まず演出が味気ないと感じてしまいました。ゲッツ・フリードリッヒの手になる演出は、1984年にベルリンのためにこの演出の原型を完成し、その後も細部を改良、今回使われたのは最終版である1996年のフィンランド歌劇場版でした。いわゆる「トンネル・リング」という演出だそうですが、今回の新国立版では、舞台の奥行きの無さのためかプログラムに写真が出ているようなトンネルが長く伸びるような魅力的な舞台はありませんでした。地の底から響くようなコントラバスで始まる…(でも、それほどの迫力はなかったような気がしました。)序奏部分でのレーザー光線を使った演出は、クプファーの1991年(?)の最初の部分に似ていて期待を持たせましたが、その後山場となったヴォータンとローゲが地下に降りていく場面で、予算的には大ぶるまいをして、天と地の二段舞台(さながらアイーダのように)を見せてくれたのですが、天のほうには歌手も造作も何もなく、どのような意図で二段舞台にしたのかと疑問に思いました。そして、地下のほうは、ストーリーの前後の脈絡が全く無いカジノの入り口のようなけばけばしいライトが光る狭い空間になっています。”Danger”という文字が見えるので、地下坑道なのかもしれませんが、とにかく“必然性”が感じられないのです。ウォーナー演出はやややりすぎだったかもしれませんが、神々がワルハラへの引っ越しの用意をするという設定で、段ボール箱で荷造りをしていたり、スーツケースの中からアルベリヒが出て来たり、全体を通じて「意思」があったと思います。このフリードリッヒの演出は、やはり元が70年代ということもあり、ただ「変わったこと」を入れてみましたという安直な印象があります。昨年のクプファーの新演出の「パルジファル」が聴衆に「考えさせる」舞台を作っていたのに比べ、今回のシーズンオープニングの舞台は「考えもの」の舞台という印象を受けました。

 指揮とオケについても、何か物足りない部分を感じました。さきほど書いたように、序奏からして地の底から響いてくるような重みがなく、また、巨人族のモチーフも軽いステップと言っては言い過ぎでしょうが、音楽より、実際の歌手が足踏みする音がバチンバチンと響いて興ざめでした。そして、金管が、フニャっという音を出すこと数回。

 良かったのは歌手です。特筆したいのは、フライアを初めて歌った安藤赴美子。若さと美の女神にふさわしい、ゴージャス感のある強い声で舞台を支配していました。これなら、将来イゾルデも歌ってくれるのではないかと期待感が生まれます。この日一番の出来だったと思います。そして、ローゲのステファン・グールドは演技も含めて素晴らしいパフォーマンスでした。アルベリヒのトーマス・ガゼリは初めて聴きましたが、演技も含めて舞台に引きずり込む力がありました。ヴォータンのユッカ・ライジネンはベテランで安心して聴いていられましたが、相手役のフリッカのシモーネ・シュレーダーは声質が清らかすぎて、やや役にあっていない感じもしました。それでも、14人にもなる歌手を高いレベルで揃えたことには感嘆!

久しぶりのワーグナー、いつもながら男性の聴衆が多かったです。結局は歌手の迫力で、相当の満足感を得て帰途に就きました。

[スタッフ&キャスト]
指揮 :飯守泰次郎
演出 :ゲッツ・フリードリヒ

ヴォータン :ユッカ・ラジライネン
ドンナー :黒田 博
フロー :片寄純也
ローゲ :ステファン・グールド
ファーゾルト :妻屋秀和
ファフナー :クリスティアン・ヒュープナー
アルベリヒ :トーマス・ガゼリ
ミーメ :アンドレアス・コンラッド
フリッカ :シモーネ・シュレーダー
フライア :安藤赴美子
エルダ :クリスタ・マイヤー
ヴォークリンデ:増田のり子
ヴェルグンデ :池田香織
フロスヒルデ :清水華澄


管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団


フィガロの結婚@テアトロ・ジーリオ・ショウワ

 この週末は2日続けて、僕の大好きなオペラ劇場である、新百合ヶ丘の”テアトロ・ジーリオ・ショウワ“で、昭和音楽大学の定期オペラ公演「フィガロの結婚」を聴きました。この劇場としては珍しいイタリア以外のオペラの公演です。10月10日はヴェルディの誕生日だったので、どうしようかとちょっと考えたのですが、若い人達のフィガロをどうしても聴きたくてこちらに来ました。しかし、昨年も10月11日には、新国立でパルジファルを聴いているのですね。すみません、マエストロ・ヴェルディ。(ちなみにその前の年はブッセートのヴェルディフェスティヴァルに行ってます。)

 さて、今回の指揮は劇場初出演となる“ムーハイ・タン”。素晴らしい経歴を持っていますが、主に北ヨーロッパでの活躍が多く、風貌からしてもなんとなくゆったりとした指揮を想像しました。ところが、序曲が始まった途端にびっくり。すごいテンポの速さと切れの良さ。まさに「今っぽい」音作りなのです。僕がブログで良く触れる“ペルミ国立(ロシア)オペラ劇場”の音楽監督を務めている、”テオドール・クルレンツィス“のフィガロのような立ち上がり。いや、そこまで速くはないかもしれませんが、6月のハンガリー国立オペラで、素晴らしい音作りをしたハンガリー人指揮者の” バラージュ・コチャール“のように、ぐんぐんとオペラを引っ張っていく指揮です。ここまで指揮が速いと、モーツァルトの楽曲が室内楽のようになってしまうことが多いのですが、マエストロ・タンのオーケストレーションはあくまで厚く、立体的で波のように聴衆を飲み込んで来ます。

 この公演での最優秀賞を誰かにあげるとしたら、それは学生を中心にした“昭和音楽大学管弦楽団”であることは間違いありません。この速い指揮にぴったりと付いていき、弱音と強音の素早い切り替えもものともせず、そして、常に歌手の口元を見ているマエストロの指揮棒の振りを決して外しません。プロの楽団でも、これほどの指揮なら、2日で1回や2回「おやっ?」という音を出してしまうもの。しかし、この学生を中心としたオケは本当に素晴らしかったです。「練習は裏切らない」というのはアスリートの間で良く言われますが、オケも全く同じですね。

 歌手陣も2日に渡って素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。フィガロでは1日目の小野寺光は表現力はとても良かったのですが、低音にやや迫力がなかったかも。その点2日目の“王立夫”が豊かで甘い低音で安心して聴けました。そして、伯爵夫人も1日目の宗心裕子はゴージャスな声を聴かせてくれましたが、それ以上に2日目の石岡幸恵は、素晴らしいパフォーマンス!澄んだ高音がスッと立ち上がり、ピタッと定位置で止まります。明るいイタリアっぽい声ですが、三幕目の「楽しかった時はどこへ」のアリアは情感も最大値になり、伯爵夫人の悩める内面を充分に聴かせてくれます。スザンナは初日の中井奈穂、2日目の中桐かなえともに、キュートな歌声を聴かせてくれましたが、個人的には中音部の美しかった中桐がお気に入り。ケルビーノは、目下これも個人的に注目して“追っかけ”をしている、丹呉由利子に期待をしていたのですが、あいにく2日目、往路の東名高速で大きな事故があり、2時間も渋滞してしまい、1幕、2幕目を聴きのがしてしまい、大変残念。。。

 いずれにしろ、歌手にとって良いのは、このホールの大きさが1300余席という小さいものなので、大声を出さなくて良いということでしょう。モーツァルトの繊細さを表現する場所としては最適でしょう。オケ同様に、歌手も合唱団も相当の練習をしていると思います。皆丁寧な歌い方で、ちょっとでも悪いところがあるとすぐに修正をするという真剣な態度に好感を受けました。

 そして、演出のマルコ・ガンディーニと美術のイタロ・グラッシ、僕は一昨年の「オベルト」から見ていますが、もう鉄板コンビと言えます。限られた予算の中で素晴らしい効果とイタリア的な「洒落感」を出してくれます。今回は、昨年の「夢遊病の娘」ほど抽象的ではなく、土壁の城内に仕切りや内側の幕が下りてきて観客の視点を誘導したり、スザンナが隠れている衣装部屋のドアの代わりをしたりするアイデア。3幕まで外が見えない設定ですが、次第に、青空に輝く街の風景や、夕刻の窓辺の風景などが大きく映し出されます。特に月の光がぼんやりと舞台の上の壁に映るところは素敵でした。

 いつも感じるのですが、ここのオペラ公演では、いつも芸術監督の明確な意図が感じられます。どういうオペラをどのような指揮と音楽で、どのような演出と舞台美術によって、このような歌手に歌わせる.........と言ったことです。小さな劇場で、限られた予算でオペラ公演をやる時は、特にこれがとても大事だと思います。イタリアでもスカラ座あたりなら、指揮者と歌手で客を呼べますが、パルマやもっと小さいモデナあたりになると、そうは行きません。芸術監督の力オペラ劇場の企画力が無いと、客は離れてしまうと思います。歌手のキャスティングひとつを取ってみても、最近日本に来た引っ越し公演でさえ「どうしてこの役にこの声の歌手?」というようなことが多々あったので、今回のフィガロ、おそらくはオーディションを乗り越えて歌っていただろう歌手陣の適材適所ぶりと、そのパフォーマンスにBravo!です。テアトロ・ジーリオ・ショウワはまさに、レッジョ・ジーリオショウワ劇場ですね。

 この公演は、上海音楽学院との共同プロジェクトとのことで、近く上海でも公演されるそうです。ここでも大きな成功を得ることでしょう。欲を言えば、日本でも年に2演目くらい公演してくれたら最高です!

【スタッフ&キャスト】

指 揮 : ムーハイ・タン
管弦楽 : 昭和音楽大学管弦楽団
チェンバロ : 星 和代
合 唱 : 昭和音楽大学合唱団
合唱指揮 : 山舘 冬樹
演 出 : マルコ・ガンディーニ
⭐︎10/10

Figaro
小野寺 光

Il Conte
田中 大揮

La Contessa
宗心 裕子

Susanna
中井 奈穂

Cherubino
吉村 恵

Marcellina
本多 直美

Bartolo
上野 裕之

Don Basilio
高嶋 康晴

Don Curzio
髙橋 大

Barbarina
高畑 和世

Antonio
小田桐 貴樹

10/11
Figaro
王立夫

Il Conte
程音聪

La Contessa
石岡 幸恵

Susanna
中桐 かなえ

Cherubino
丹呉 由利子

Marcellina
陆婧姝

Bartolo
杨熠

Don Basilio
工藤 翔陽

Don Curzio
髙橋 大

Barbarina
伊藤 香織

Antonio
小田桐 貴樹


 

 

オペラが「ベルヌ条約」を生んだ ユゴー、ヴェルディ、著作権    

MIP(東京理科大学大学院イノベーション研究科知的財産戦略専攻)のホームページに、「オペラが「ベルヌ条約」を生んだ ユゴー、ヴェルディ、著作権」のコラムを載せました。

http://most.tus.ac.jp/mip/

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