プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

アルフォンシーヌ・プレシの白い墓石

11月14日に発刊された、日本ヴェルディ協会の機関誌"ヴェルディアーナ36号”に拙文が掲載されました。5月にトラヴィアータの実在のモデル、アルフォンシーヌ・プレシの墓参りに行ったこと、同じく5月の新国立劇場でのトラヴィアータ公演のことを書きました。どうぞご覧下さい。なお、この本には他にも多彩な投稿があります。是非ヴェルディ協会にご参加下さい。
日本ヴェルディ協会
    [メール]メール koen150612@verdi.or.jp
    [ F A X]03-5333-5899

 五月の半ば、真っ青な空のウィークデイに新国立劇場にオペラ公演《ラ・トラヴィアータ》を聴きに行きました。フランス系カナダ人指揮者のイヴ・アヴェルの指揮棒が、絹の糸を引き出すように序曲を奏で始めると、舞台にかかった紗幕にうっすらと《ラ・トラヴィアータ》の実在のモデルとなった”アルフォンシーヌ・プレシ“の墓が投影されたのには驚きました。と言うのも、パリのモンマルトル墓地にあるこの墓を、僕はこの公演のちょうど一週間前に訪れていたばかりだったのです。僕の目は紗幕に映った大理石の墓に刻まれた文字に釘付けになりました。

ICI REPOSE
ALPHONSINE PLESSIS
NEE LE 15 JANVIER 1824
DECEDEE LE 3 FEVRIER 1847
DE PROFUNDIS

“ICI”は「ここに」“REPOSE”とは「眠る」という意味、その後に「1824年1月15日に生まれ、1847年、2月3日に死す。」と書いてありますから、わずか23年余りの短い人生だったことがわかります。問題は、最後の “DE PROFUNDIS”、「深き淵より」これがわかりませんでした。(だいたいフランス語がわからない…)ですが、色々と調べて見ると、旧約聖書の「改悛詩編」の歌の一節に由来しているようです。すなわち、De profundis clamavi ad te domine, (深い淵より主よ、あなたを呼びます。) Domine exaudi vocem meam, (主よ、この声を聞き取ってください) Fiant aures tuae intendentes, (耳を傾けて下さい) in vocem deprecationis meae. (嘆き祈る私の声に)。ということになるようです。主にこの時代の葬儀で頻繁に使われた祈りの言葉で、この詩編を元にして、バロック時代の作曲家ヤン・ディマス・ゼレンカや、オルランド・ディ・ラッソらが楽曲にしてますね。

 それにしても、僕自身がその一週間前に初めてパリで墓参りをした”ヴィオレッタ“のその大理石の墓が、帰国してすぐに聴きに行った《ラ・トラヴィアータ》の序曲で舞台に浮き上がってくるとは、何か因縁のようなものを感じます。

 それは、僕がヴェルディの作品の中で一番多く生で聴いているのは《ラ・トラヴィアータ》で、かれこれ20回は公演に行ってるからそう感じるのだと思います。(一番好きなオペラはというと、《シモン・ボッカネグラ》にその座を譲りますが…..)これほど ”お世話“ になっているオペラなのですから、一度くらいは主人公ヴィオレッタの墓参りをしなくてはと、シャンゼリゼ劇場での《マクベス》の公演(ガッティ指揮)とオペラ座でのマノンのバレエ公演(オペラ座エトワール、オーレリ・デュポンの引退公演)のためにパリに行ったついでに、モンマルトルを訪れたというわけです。その墓は、墓地の入り口を入ってすぐ左手の第15区の1番にありました。訪れたのは夕方でしたが、その区画は西陽が明るく差しこんで、墓石も後の時代の墓がもっと多くある地区に比べて密集していないとても良い場所に、ひときわ目立つ白い大理石の大きな、存在感のある、そして清楚で美しい墓所がありました。

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モンマルトルのプレシの墓所


この墓地は決して大きな墓地(青山墓地のように)ではありませんが、歴史上の有名な人達が眠っています。音楽家ではベルリオーズ、オッフェンバック、ドリーブ、作家、画家ではハイネ、ドガ、荻須高徳、スタンダールなど。そして、《ラ・トラヴィアータ》の原作となった小説の『La Dame Aux Camelias(椿の女)』の作者で、プレシと実際に関係のあった、「小デュマ」こと、”アレクサンドル・デュマ・フィス“もこの墓地に眠っています。しかし、そのような「格調高い」墓地に、19世紀のパリの裏社交界(Demi-monde/ドゥミ・モンド)の花形であったとは言え、“高級娼婦”に過ぎなかったプレシが何故このように立派な墓を持てたのでしょうか?

 オペラ《ラ・トラヴィアータ》に出てくるヴィオレッタの愛人である、ドゥフォール男爵、ガストン子爵、ドビニー公爵達には、それぞれ複数名の実在のモデルがいました。実際、プレシがノルマンディーの田舎娘から、教養と美貌を兼ね備えた女性に変貌し、自身の名前を貴族っぽくグレードアップして、”マリー・デュプレシ“と名乗っていた1840年の始め頃、彼女はマドレーヌ大通りの豪華なマンション(3LDK+サロン付)に住み、そこからほど遠くない今のギャラリー・ラファイエット百貨店の近くには、愛人のペレゴー伯爵、スタッケンベルグ伯爵、デュマ・フィスの3人が偶然とは言え、同じショセ・ダンタン通りに住んでいたのです。この中で、ドゥフォール男爵のモデルとなった人物は、年齢で言えば既に老人だったスタッケンベルグ伯爵ですが、状況から見ると若く美男子だったペレゴー伯爵だろうと思われます。あるいは、その二人ともを知っていただろうデュマ・フィスが、両人を混ぜ合わせて一つの人格にしたのかもしれません。マドレーヌ大通りのマンションはペレゴーが与えたものでしたが、ペレゴーとマリーは別れたり、また仲良くなったりの繰り返しの愛憎のドラマを繰り広げていたのです。しかし、マリーの余命がいくばくも無くなった時に、ペレゴーは彼女のたっての要望を受け入れて正式の妻とします。これで、マリーは ”コンテッセ・アルフォンシーヌ・ペレゴー”になったわけです。ところが、彼女がその地位と名称を欲しがったのは、ペレゴーと一緒になりたかったわけではなく、実は彼女の人生で、ただ一人客としてではなく、男として愛してしまった ”フランツ・リスト“ のいる ”表の社交界”にデビューするためだったのです。リストはしかし、マリーにトルコへの旅行の約束だけをして、二度と戻って来ませんでした。一方ペレゴーは騙されながらも最後には彼女を許し、その死後モンマルトル墓地に自身の費用で立派な墓を作ったのです。ですが、そこにはペレゴーの名前も伯爵家の紋章も見当たらず、生まれた時の名前、“アルフォンシーヌ・プレシ“とそのイニシャルであるA.P.が家紋のように刻まれていました。彼女が愛したのがリストであったように、ペレゴーが本当に愛したのが、アルフォンシーヌ・プレシだったのかもしれません。

 このように、「ラ・トラヴィアータ」の名前は、“アルフォンシーヌ・プレシ“から、”マリー・デュプレシ“、“アルフォンシーヌ・ペレゴー “、そして裏切られたペレゴーの怒りを買ってまた”マリー・デュプレシ“に戻り、最後は”アルフォンシーヌ“として墓に入ります。その後、デュマ・フィスの小説で、”マルグリット・ゴーチェ“としてよみがえり、ヴェルディとピア-ヴェの手によって、”ヴィオレッタ・ヴァレリー“を名乗って今もなお公演されているのです。バレエの” ラ・トラヴィアータ“、(ドイツ人ジョン・ノイマイヤー振付のため、タイトルは “Die Kameliendame”)では、”マルグリット“の名前で現在も踊られています。新国立劇場の紗幕に映った墓所には “ALPHONSINE PLESSIS”の名前が見えましたが、その和訳の画面は”マリー・デュプレシ”になっていたと思います。「おやっ?」と思われた方もいらっしゃったのでは。そのくらい、彼女の名前は実際の人生でも、その後の小説やオペラの舞台においても変わっているのです。”ラ・トラヴィアータ“という名前はヴェルディのオペラでしか使われておらず、これは当時の検閲を意識して一娼婦を悲劇のヒロインと思われない響きの「堕落した女(道を踏み外した女)」を使ったものではないかと思います。

 さて、自身の小説「La Dame Aux Camelias」の中では、”アルマン“、そしてオペラ《ラ・トラヴィアータ》では ”アルフレード”になったアレクサンドル・デュマ・フィスは、オペラのストーリーの様にマリーと会ってあっという間に恋に落ち深い仲になったようですが、その後マリーにかかる費用の大きさと、彼女に振り回されることを嫌って別れています。小説やオペラのようにドラマチックな展開になるには、彼自身は現実的に過ぎたようです。旅行案内の本やウェブサイトには、「ラ・トラヴィアータの主人公のモデルとなったプレシの墓のすぐそばには、愛人だったデュマ・フィスの墓もあります」と書いてあるケースを良く見かけますが、実際に墓地内で歩いてみると、デュマ・フィスの墓はプレシの墓のある区画から6区画離れた21区にあり、徒歩で1−2分かかります。その微妙な距離に、彼等の若くして終わった関係があらわれていると感じました。二人の亡くなった時期は48年の違いがありますが、300メートルほど離れた墓と墓の間には、デュマ・フィスが亡くなった後に出来た墓所も数多くあり、彼が望めばもっとプレシに近い場所に眠ることもできたはずです。71歳で、当時としては天命をまっとうしたデュマ・フィスの場合は、彼の家族が墓の場所を決めたとは思えません。きっと彼自身がモンマルトル墓地を訪れ、昔の恋を思い出しながら、「ここかな?いや、もう少し近く。いや、近すぎる。」などと場所を探して墓所を買ったではないかと思ってしまいました。彼の父の、アレクサンドル・デュマ・ペール(大デュマ)は、パリ市内のパンテオンの荘厳な霊廟にヴィクトル・ユゴーと同じ部屋に眠っているからだと思われますが、デュマ・フィスもモンマルトル墓地の中では、精一杯頑張って立派な墓所にしています。

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デュマ・フィスの墓所

 話は五月の新国立劇場の《ラ・トラヴィアータ》に戻ります。この公演は、指揮、歌手、演出ともに素晴らしいものでしたが、そのヴァンサン・ブサールの演出では、3幕目の最後にまた紗幕が下りてきて、死に行くヴィオレッタとジェルモン親子、アンニーナ、グランヴィル医師の間を隔てます。紗幕はプレシの墓が示す生と死の世界の境をあらわし、その時点で一人紗幕のこちら側に来ているヴィオレッタはもう亡くなっているのだと思いました。そして3幕目でベッドの代わりになり、最後にはヴィオレッタを前に押し出すようにして舞台の中央に存在したグランド・ピアノは“フランツ・リスト”をあらわしていたのではないでしょうか?(実はこのピアノのことは、この公演を聴いたヴェルディ協会の複数の会員の方から聞いて、はっと気づきました。)ブサールと話す機会があれば、是非聞いてみたかったことです。

 初夏のパリで、僕は日が長いのをいいことに、何時間かプレシの墓地のあたりを散策しました。美しい墓所を見て、その雰囲気に触れてすっかり彼女に魅了されてしまったのです。そんな訳で、翌日はちょっと気分転換が必要かと考えて、大好きな映画、「男と女」(1966年封切)の撮影地になったノルマンディーの海岸沿いの保養地ドーヴィルに日帰り旅行をしました。しかし、そこへ行く列車(主人公の「女」がドーヴィルからパリへの帰りに乗った、その列車です。)の中でサウンドトラック盤の映画音楽を聴いて気づきました。「女」の名前が、”アンヌ・ゴーチェ“ なのです。まあ、そう関連づけて考えなくても良いのだろうとも思いますが、この映画では登場人物の名前にこだわりを持っていたと思われるクロード・ルルーシュ監督が、”椿の女”と同じ苗字を付けたということは気になってしまうのです。やはり僕にとってのパリはあまりにも《ラ・トラヴィアータ》の吸引力が強すぎる街のようです。また、しばらくしたらモンマルトルを訪れてみようと思います。寒いでしょうが、2月の彼女の命日に、ありきたりでしょうが、今度こそ白い椿を持って墓地の門をくぐるとしましょう。
                                       以上
<参考文献>
■「椿姫」 アレクサンドル・デュマ・フィス著、吉村正一郎訳岩波文庫 1971年
■「評伝ヴェルディ第1部あの愛を・・・」ジュゼッペ・タロッツィ著、小畑恒夫訳 草思社 1992年
■「よみがえる椿姫」 ミシュリーヌ・ブーデ著、中山眞彦訳 白水社 1995年
■「椿姫」 アレクサンドル・デュマ・フィス著、朝比奈弘治訳 新書館 1998年
■「ヴェルディのオペラ」 永竹由幸著 音楽之友社 2002年
■「パリが愛した娼婦」 鹿島茂著 角川学芸出版 2011年
■「ヴェルディ〜オペラ変革者の素顔と作品」 加藤浩子著 平凡社 2013年

                         (くさま ふみひこ)



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“オネーギン“シュツットガルトバレエ団

 オネーギン、オペラでは全幕を見ていますが、実はバレエでは全幕物を見ていなかったのです。で、昨日は、ジョン・クランコの振り付けたオネーギンの「勧進元」であるシュツットガルトバレエ団が引っ越し公演でやって来たと言うので見て来ました。ちなみに、オネーギンの3幕目か1幕目のパ・ド・ドゥは、覚えているだけでも今年8月の世界バレエでこのバレエ団のスターであるフリーデマン・フォーゲルとアリシア・アマトリアンが1幕目のパドドゥを踊ったのを見ていますし、2012年の世界バレエではルグリとマリア・アイシュヴァルトが3幕目のパドドゥを、2007年には「ルグリと仲間達」で、モニカ・ルディエールのものすごいパフォーマンスを見ています。

 昨日のオネーギン役はロマン・ノヴイツキー。ルグリやフォーゲルに比べてやはり存在感がちょっと足りない感じ。このバレエは技術で見せるのではなく、ダンサーがいかに役の情感を出せるかで決まるので、タチヤーナとほぼ同じ男性としては低めの身長というのも不利だったかもしれません。それでも3幕目は見せてくれました。速く、きびきびした動きでノヴイスキーらしさを出し、美しく魅力的になったタチアナへの想いを火花のように散らす踊りにbravoでした。タチヤーナ役の韓国人、ヒョ・ジョン・カンはこの日の白眉!1幕目の幼なさの残る娘から成熟した女性に変わる3幕目の変化を踊りでふんだんに見せてくれました。鏡の向こうに立ったのは、日本人ソリストの森田愛海だったのかもしれません。今回はロミオとジュリエットのジプシーで踊っていたようですが、次に来るときにはプリンシパルになって良い役で踊ってほしいですね。

 このバレエのあらすじは、チャイコフスキーのオペラ“エフゲニー・オネーギン”と殆ど同じです。椿姫のように、最期にアルマン(アルフレード)が立ち会うか、立ち会わないか、というような大きな違いはバレエ版とオペラ版の間にはありません。いずれも美しく悲しい最後ですが、ストーリーを良く考えてみると、実は、昔は冴えなかった女の子が今は人の妻になっていて見違えるほど美しく魅力的なので、よりを戻そうとしたオネーギンが振られるというお話なのです。彼はその間に、親友のレンスキーを殺したりしているんですから、オネーギンというのもけっこう馬鹿なのです。これが美しく見えるのはバレエでもオペラでもタイトルロールの力量によると思います。その意味では、今日23日のジェイソン・レイリーや21日のフリーデマン・フォーゲルも見てみたかったです。

 群舞も美しかったですね。プリンシパルの下のランクのソリストを揃えただけあって、実に力強く生命感に溢れた動きを見せてくれました。

 やや残念だったのは音楽です。指揮者のジェームズ・ダグルはまずまずだったと思うのですが、オケの東京シティ・フィルが良いところでホルンを始め色々と異音を出してくれました。バレエのオーケストラって2流と思われていて、実際そういうキャスティングをしたのでしょうか?でも、バレエこそ音楽が大切だと思います。その点新国立のレベルは高いですね。

この日のキャストは次の通り。

オネーギン
ジョン・クランコによる全3幕のバレエ
アレクサンドル・プーシキンの韻文小説に基づく

振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・I.チャイコフスキー
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
装置・衣裳:ユルゲン・ローゼ
世界初演:1965年4月13日、シュツットガルト
改訂版初演:1967年10月27日、シュツットガルト


オネーギン:ロマン・ノヴィツキー

レンスキー:パブロ・フォン・シュテルネンフェルス
オネーギンの友人

ラーリナ夫人:メリンダ・ウィサム
未亡人

タチヤーナ:ヒョ・ジョン・カン
ラーリナ夫人の娘

オリガ:アンジェリーナ・ズッカリーニ
ラーリナ夫人の娘

彼女たちの乳母:ダニエラ・ランゼッティ

グレーミン公爵:マテオ・クロッカード=ヴィラ
ラーリナ家の友人

近所の人々、ラーリナ夫人の親戚たち/ 
サンクトペテルブルクのグレーミン公爵の客人たち:シュツットガルト・バレエ団


指揮:ジェームズ・タグル
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団



こうしてオペラに行き着きました。

僕のこのブログも書き始めてから8年になります。最初に書いた公演は2007年の文化会館でのバレエ公演でした。オーストラリアバレエ団の“白鳥の湖”グレアム・マーフィー演出でダイアナ王妃のストーリーを下書きにした意欲的な作品でした。で、そのすぐ後に、ミラノに旅行した際に見た、スカラ座でのマゼール指揮、イリーナ・ルング、ヨナス・カウフマン主演の”ラ・トラヴィアータ“を、オペラ公演として初めてブログにアップしました。ルングとカウフマン!、なかなかのキャスティングと思われるでしょうが、2007年時点では両者ともにまだ無名、ルングは固く、カウフマンは良かったものの、今のようなもの凄さはなかったです。もう今では彼はアルフレードを唄うことなどないでしょうね。

 僕はここらへんからオペラとバレエにはまり、今日までにオペラは250、バレエは50くらいの公演に行きました。でも、もともとはオペラもバレエも喰わず嫌い。クラシックは室内楽中心でした。さらに遡れば中学生からボサノバが好きで、これは今でもオタクを自認しています。車の中で聴く音楽もボサノバが一番多いと思います。アントニオ・カルロス・ジョビンやヴィニシウス・モラエスなど。ご存じない方もいらっしゃると思いますが、今は無きこの二人は、「イパネマの娘」の作曲家と作詞家で、“ヴィニシウス&トム”の愛称で、来年のリオデジャネイロ五輪のマスコットにもなっています。そして、ボサノバという音楽は1950年代にリオの“フランク・シナトラファンクラブ”の会員だったミュージシャンが作った新しい音楽です。JAZZとサンバをミックスしたもの。と言うことで、僕の興味もJAZZに向かいました。それが20代後半のことだったでしょうか。スタン・ゲッツやチャーリー・バードから入って、結局ビル・エバンス、キャノンボール・アダレイにたどり着きます。特にアダレイとデビュー前のセルジオ・メンデスが共演しているボサノバアルバムは今も良く聞いています。それで、ロン・カーターのJAZZ風の“バッハ、無伴奏チェロソナタ”を聞いたり、友人の勧めでグレン・グールドのバッハを聴いているうちに、いつのまにかバッハだらけになりました。今では滅多に聞きませんが、その頃はカザルスのチェロソナタがお気に入り、そしてカザルスがイタリアの作曲家ルイジ・ボッケリーニ(1743-1805)のチェロ協奏曲を演奏しているのを聞いたのに大きな感銘を受けて、イタリアの室内楽に入っていきました。その頃(80年代)メロドラマで良く使われていたアルビノーニ、コレッリ、スカルラッティ、ヴィヴァルディ、そしてレスピーギあたりです。なにせボサノバに費やす時間が多かったので、室内楽のほうは上っ面だけだったのですが、ボッケリーニの次にショックを受けたのは、ロッシーニの弦楽のためのソナタでした。

 初めてオペラを聴いたのは、2001年のフィレンツェ歌劇場来日のトゥーランドット、メータの指揮でした。これで“オペラ喰わず嫌い”は治ったのですが、それでも、2007年にミラノに行くまでは年にせいぜい4-5回の観劇だったのです。盛夏の暑いミラノに行って“ラ・トラヴィアータ”を聴いて、ヴェルディが亡くなる間際に自費で建て、今でも養老院としてなお現役の“音楽家のための憩いの家”を尋ねてから、完全にヴェルディにはまりました。でも、ヴェルディだけでなく、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティなどのイタリアオペラを聴くのに、イタリアの室内楽を聴いていたのは良かったと思います。入りやすかったです。音楽として当然のことながら共通したものがありましたから。その点、ワーグナーに入るのにはちょっと苦労しました。入り口はリングでしたが、きっかけになったのは「ロード・オブ・ザ・リング」。この映画に相当入れ込んでいたので、いわゆる指環伝説からワーグナーに入った(裏口入学?)わけです。

 離れ島に持って行く10のオペラと言ったらなんでしょうかね。

1. シモン・ボッカネグラ(ヴェルディ)
2. ラ・トラヴィアータ(ヴェルディ)
3. ファルスタッフ(ヴェルディ)
4. リゴレット(ヴェルディ)
5. オテロ(ヴェルディ)
6. 夢遊病の女(ベッリーニ)
7. 連隊の娘(ドニゼッティ)
8. ナクソス島のアリアドネ(R.ストラウス)
9. 真珠取り(ビゼー)
10.トリスタンとイゾルデ(ワーグナー)
次点. ランスへの旅(ロッシーニ)

 離れ島ですから、ややブッファを多くしました。ただ、シモン・ボッカネグラは僕に取っては他のすべてのオペラより一段上の位置を占めています。ヴェルディが生涯大切にした(ファルスタッフでは馬鹿にしていますが)、“Onore”(名誉)を描き切ったオペラだと思います。このオペラは日本ではなかなかやってくれないために、海外に何度も聴きに行きました。来年もヌッチのシモンを聴きにいくつもりです。ヴェルディはこの他にも、オテロ、マクベス、ナブッコ、エルナーニ、群盗などみんな持って来たいんですが、基本的に悲劇ですから、一人で離れ島で悲劇しかなにというのはまずいですよね。ちなみにヴェルディが生涯に書いたオペラ26作品のうち、19作品は生で公演を見ました。で、あと3つくらいは見られそうですが、なかなか出くわさないのは、「一日だけの王様、あるいは偽のスタニスラオ」、「ジョヴァンナ・ダルコ」、「アッティラ」、「アルツィーラ」あたりでしょうか。

 僕はオペラを聴いてきたのはまだ15年にもなりません。もっと昔から聴いていたならなぁ、と思うこともありますが、幸いだったのはその15年の間に“先生”と呼ばれる何人かの先輩に会えたことです。今昔のオペラの楽しい話、難しい話などを教えてもらいました。オペラを知って懐は寂しくなりましたが、生活は豊かになりました。

つれづれに書いてきました。今日はこんなところで失礼します。



 

新しいシベリウス、しかし……

11月5日、サントリーホールでのシベリウス生誕150周年記念コンサートに行ってきました。

交響詩「フィンランディア」Op.26
Finlandia Op.26
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op.47
Violin Concerto in D Minor, Op.47
交響曲 第2番 ニ長調 Op.43
Symphony No. 2 in D Major, Op.43

ハンヌ・リントゥ(指揮)
諏訪内 晶子 (ヴァイオリン)
フィンランド放送交響楽団

 フィンランディアが始まって、「あれ!」と思いました。速いのです。そして、音が迫ってくる。「フィンランドは目覚める」というもともとの曲名とそれが、20世紀初頭の独立運動の旗印になったという背景が伺えるような、雄大なフィンランディアです。ただ、僕には音が平面的すぎて、何だか楽譜がそのままのしかかってくるような感じがしました。「溜め」がまったくなく、スピードアップして進行していくフィンランディアは、リントゥの意思を反映しているのでしょうが、全体が同じように雄大に演奏された結果、ドラマチックに盛り上がるという感じがないのです。オーディオのイコライザー調整のすべての目盛りを上げてしまった感じ。8台入ったコントラバスも効果的に使われていなかったような気がします。

 続く、諏訪内晶子とのヴァイオリン協奏曲は素晴らしかったです。諏訪内さんを聴くのも久しぶりですが、中低音部の凄み、鋭い切れがオーケストラを貫きます。オペラでいったらカラスのメゾの歌い方のよう。心をわしづかみにされました。ここはリントゥもバイオリンにきれいに合わせてきて、この日一番の収穫です。
 そして、交響曲第2番、僕はこれ大好きなんですが、違和感ありました。フィンランディア同様に、最初から平面スピーカーからデジタルな音が大音量で出てくる感じ。第1楽章から、主題が繰り返し記憶が蘇るように浮き上がってきて、それが段々と大きなうねりになる、聴衆はいつその波の頭がはじけるのかを心待ちにする、というような緊張感が無いのです。多分、これがリントゥのたどり着いた彼の新しいシベリウスなのでしょう。この感覚は今年バッティストーニの「新世界」を聴いた時と似ています。僕の愛聴版のアンチェルの演奏と比べたら腰を抜かすようなものでした。シベリウスの場合、僕の愛聴する指揮者はサカリ・オラモです。バーミンガム響との交響曲1〜7番のCD、そして数年前にロイヤル・ストックホルム・フィルと来日したときには、アリス・オットー沙羅との素晴らしい共演(チャイコフスキーでしたが)と、シベリウスの交響詩「エン・サガ」の印象が強烈でした。

http://provenzailmar.blog18.fc2.com/blog-entry-173.html

 そこにも書いてありますが、「シベリウスの第2番などをやると、他の指揮者の時よりアンプのボリュームを上げなくてはいけないような、静かな入り方。」とあります。その印象は、今日再びオラモの2番を聴いて確認しました。バッティストーニの新しいドヴォルザークは受け入れられましたが、今回のリントゥの指揮は、僕には向かないようでした。

ホフマン物語 新国立バレエ

ホフマン物語、良かったですねー。久しぶりのバレエの全幕物を日本で見ましたが、完成度の高さを満喫しました。

 この日のキャストは、オリンピアに米沢唯、ジュリエッタに本島美和。このキャストを選んで行きました。オペラで有名な「ホフマン物語」のバレエ版というと、ドリーブ作曲の「コッペリア」がそれだと思っていました。コッペリアは、サン・レオンやプティバの振付で何度も見ていますが、ご存じの通り、ホフマン物語の最初の部分のオリンピア(人形)の話を元にして、彼女(?)とフランツという田舎の青年のロマンのストーリーになっています。ドリーブファンの僕としては、シルヴィアと並んで大好きな作品で、悲劇ですが、なんとなくコミカルでおもしろい作品です。今回、スコティッシュ・バレエの創立者である、ピーター・ダレルの振付で、オッフェンバックの音楽を使った、かなり長い「ホフマン物語」が新国立劇場の2015/2016シーズンのオープニング作品になるということで、期待をして行きました。

この「ホフマン物語」はまさしく英国バレエ、戯曲的でドラマチックで、ダンサーに多くの演技を要求します。そして音楽も完成度の高さを求められます。3つの回想シーンを3幕に分けて踊るホフマンには、菅野秀男。正直なところ、もう少しジャンプ力があると良いと思いましたが、表現力豊かに、年齢の違うホフマンを踊り分けます。そして、アントニアの米沢唯。小野絢子とどちらを取るか迷いましたが、今が旬と言える米沢を選びました。踊りながら命を失っていくアントニアの悲しさがとてもよく出ていました。

そして、ジュリエッタの本島美和。表現力では群を抜きます。湯川麻美子がいなくなった新国立でジュリエッタを踊れるのは彼女しかいないと思いました。躍動感に妖艶さを加えた踊りは、それに振り回されるホフマンの哀れさを浮きただせます。

そして、1幕目(プロローグの後)のオリンピアを踊った奥田花純。初めて見ましたが、とても華麗で若々しく役にぴったりだと思いました。

必ずしもバレエにぴったりとは言えない、オッフェンバックの重い原曲のイメージを残しながら、ダンサーに添うように指揮したポール・マーフィーにもBravoです。リチャード・ボニングみたいでした!

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