プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

フィガロの結婚@新国立劇場

 このプロダクションもだいぶ見た感じがします。アンドレア・ホモキの演出は2000年代初頭にドイツで流行った、「段ボール演出」の最たるもの。音楽の邪魔をしないし、シンプルで良いのですが、さすがにもう飽きて来ました。そろそろ新しい演出が欲しいところ。同じ低コストのフィガロ演出でも、テアトロ・ジーリオ・ショウワのマルコ・ガンディーニの演出などは、とても洒落て新しい感じがします。

 この日良かったのは、何と言ってもコンテ(伯爵)を歌ったピエトロ・スパニョーリ。日本ではあまり知られていませんし、僕も初めて聴きましたが、別格という感じでした。美声で声量もあるのに、6割の力で歌っている感じの余裕感と表現力の豊かさ。そして特にレチタティーヴォでの表現力には唸らされました。素晴らしい! コンテの下心、いやらしさが、おかしいほどに出ていました。演技も余裕でしているので、動きが華麗で、まさしく貴族に見えます。3幕目始めの「私がため息をついている間に」のアリア。いつもはブッファの中に紛れ込んでしまったセリアっぽいアリアということで、あまり感激しなかったのですが、このスパニョーリのアリアは、いやはや、本当にBravo!! 素晴らしいコンテ歌いでした。知らず知らずのうちに、コンテを中心にこのオペラを聴いていました。
 
 そして、ケルビーノを歌ったスロヴァキア生まれのヤナ・クルコヴァも出色の出来でした。ケルビーノとしてはやや甘すぎて、中性的な声ではないのですが、深みと軽みを歌い分けて聴かせます。「恋とはどんなもの」では、このオペラ中、彼女だけがベルカントしていました。素敵でした。演技もユーモラスで、この人もBrava!

スザンナ役の中村恵理も素晴らしい声でした。ただ、自分でもインタビューで言っているように、スザンヌとしては声がやや立派になりすぎてしまって、スブレット感があまり出ていなかったのが少し残念。コンテッサが口述で恋文を書かせる場面の二重唱などは、口元を見ていないとどちらが歌っているかわからないほど、声の分類から見ると、二人がかぶってしまっていました。次に歌う時はコンテッサかもしれません。

 それよりももっと残念だったのは、当初、マルクス・ウェルヴァが歌う予定だったフィガロを歌ったアダム・パルカです。声質はとても良いのですが、重い声を持てあましているように、ずっと一本調子。ブッファの感じが全然出ていません。スザンヌと若い愛し合う二人という感じが無いのです。演技もあまりうまくなく、だいたい、スザンヌの方をあまり見ている感じがしない。スザンナから“フィガレット(フィガロちゃん)と呼ばれているんだから、それなりに甘い雰囲気ださないとだめですねぇ。(ちなみに、フィガロはスザンナのことをスザネッタとやはり愛称で呼んでいます。)そういうわけで、彼が出て来ると正直、ちょっと退屈なんです。この日の公演が、随分と長く感じてしまった原因でもある、と言ったらかわいそうですかね。この日彼はカーテンコールも含めてBravoが全くなかったです。

 中村以外の日本人の歌手陣もとても良かったです。マルッチェリーナの竹本節子は、ぴったりのはまり役!実に楽しい雰囲気を出してくれていました。バルバリーナの吉原圭子、バルトロの久保田真澄も良かったなぁ。僕の好きな糸賀修平は、もっと歌う役を付けてほしかったです。

 そして、指揮のコンスタンティン・トリンクス。1幕目はかなりひどかったですね。全く歌手と合わない。半音くらい先を行ってしまっていました。初日ということを考えても、ちょっとお粗末。2幕目以降はだんだんと良くなってはいましたが、何か音がもったりした感じです。そして、どういうフィガロの音楽を作りたいかがわからない。最近は、フィガロも積極的に「意思表示」をする指揮が多く、そのすべてが素晴らしいわけではありませんが、一昨年のテアトロ・ジーリオ・ショウワのムーハイ・タン、同じくハンガリーオペラ来日でフィガロを振ったバラージュ・コチャールなどは、序曲からフィナーレまで、明確な自分の「フィガロ設計図」を持っていました。その指揮者の意志が演出と歌手とに伝わって、両者の「フィガロの結婚」の公演は本当に素晴らしかったです。トリンクスは、2008年の新国立のドン・ジョヴァンニでも、大味で音が大きかったのだけが印象に残っています。帰りの車で、クルレンツィスのフィガロを聞きながら帰りましたが、ますますそんな思いを強くしました。やっぱり、オペラは「指揮者」が最重要要素ですね。

なにか、今日のブログ、ネガティブコメントが多くなってしまいましたが、スパニョーリ、クルコヴァ、中村、それからアガ・ミコライも素晴らしかったです。やはり、最近の新国立のレベルが上がったので、こちらの望むレベルも上がってしまっていると思います。初日18:30と少し早い始まりでしたが、ほぼ満席。スパニョーリを聴くだけでも、充分お釣りが来るだけの価値があります!!

さて、次の観劇はGWの藤原の「セヴィリアの理髪師」です。

指揮:コンスタンティン・トリンクス
演出:アンドレアス・ホモキ
美術:フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳:メヒトヒルト・ザイペル
照明:フランク・エヴァン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

アルマヴィーヴァ伯爵:ピエトロ・スパニョーリ
伯爵夫人:アガ・ミコライ
フィガロ:アダム・パルカ
スザンナ:中村恵理
ケルビーノ:ヤナ・クルコヴァ
マルチェッリーナ:竹本節子
バルトロ:久保田真澄
バジリオ:小山陽二郎
ドン・クルツィオ:糸賀修平
アントーニオ:晴 雅彦
バルバリーナ:吉原圭子
二人の娘:岩本麻里、小林昌代
合唱:新国立劇場合唱団

 
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ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール デュオ・リサイタル

 4月19日のオペラシティのリサイタルに行ってきました。デセイを聴くのは久しぶり!(CDではしょっちゅう聴いていますが)至福の2時間を過ごしました。デセイの声は、オペラを歌っていたころに比べると、高音が丸くなった感じがしますが、これは「衰えた」というよりも、リートやポップスも歌って「声質が変わった」というべきだと思います。口から声が出ているというよりは、デセイの頭の周りに直径1mくらいの空気の球ができて、そこから声が響いてくる感じ。(なんか昔の球形スピーカーみたいですね。ビクターのGB-1?)実にまろやかです。しかし、表現力が素晴らしい!シューベルトのリートの落ち着いた響きや、初めて聴くプフィッナーの歌曲「古い歌」のユーモラスな表現、ショーソンからドビュッシーに至る、フランス歌曲ならではの洒落たメロディライン。声量を抑えた分、繊細なイメージを声に託して歌うデセイのなんと魅力的なこと。

 ピアノのフィリップ・カサールとのデュオももう5年くらいになりますかね。CDも一緒に3枚出しています。息もぴったり合っています。水の流れの音のように、舞台の上に音符を広げて行きます。若い頃のバレンボイムみたいですね。ドビュッシーの2曲、素晴らしかったです。デセイとのユーモアのある掛け合いも最高。そして、パミーナのアリアの最初のところでは、モーツァルトのピアノ協奏曲23番の出だしの部分を使うという、なんと洒落た仕掛けでしょう。バレエの“ル・パルク”が始まるのかと思ってしまいました。

 この日は、デセイの52歳の誕生日。ハッピーバースデイを聴衆が歌って、花束とケーキを舞台に持ち込みます。そして、4曲のアンコールのサービス。僕の大好きなドリーブが2曲もあって嬉しかったです。アンコール1曲目の「カディスの娘たち」が始まった時は興奮しました。

 今まで聴いたデセイ、いつも咳をしていました。ちょっと癖のような感じですが、明らかに風邪っぽいこともありました。この日も途中少し咳をしていましたが、喉の調子は絶好調だったと思います。また、オペラに戻らないかなぁと思ってしまいます。「マスネ」や「連隊の娘」聴きたいですよねー。

・モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』より
・スザンナのアリア「とうとうその時が来た〜恋人よ、早くここへ」 
シューベルト:
・ひめごと D719 
・若き尼 D828 
・ミニョンの歌 D877 
・ズライカⅠ D720 
・糸を紡ぐグレートヒェン D118 
・モーツァルト:歌劇『魔笛』よりパミーナのアリア「愛の喜びは消え」 
・プフィッツナー:歌曲集《古い歌》op.33 
休憩
・ショーソン:終わりなき歌 op.37 
・ビゼー:別れを告げるアラビアの女主人 
ドビュッシー(ピアノ・ソロ):
・亜麻色の髪の乙女 
・水の精 
ドビュッシー:
・未練 
・死化粧 
・グノー:歌劇『ファウスト』より宝石の歌「何と美しいこの姿」 

アンコール曲

・ドリーブ:カディスの娘たち
・R.シュトラウス:僕の頭上に広げておくれ op.19-2
・ドビュッシー:歌劇『ペレアスとメリザンド』第3幕より
・ドリーブ:歌劇『ラクメ』より「美しい夢をくださったあなた」

新国立劇場 オテロ

 久々のブログになってしまいしたが、4月12日の新国立劇場の「オテロ」に行ってきました。ヴェルディのオペラは久しぶりで、昨年10月のマリインスキーの「ドン・カルロ」以来です。「オテロ」はさらに久しぶりで2013年のフェニーチェ歌劇場来日の時以来。あの時は、ミョンフン、クンデに感激して2日行きましたっけ。

 この日の新国の公演、素晴らしかったです。まず、何が素晴らしかったかというと、「ヴェルディが素晴らしい!」と言いたい!1871年の「アイーダ」の時に、既に58歳だったヴェルディ、1873年に「レクイエム」を書いていますが、オペラとしての次作のオテロが初演されたのは1887年、74歳の時だったのですから、60歳代にはオペラは何も書いていないことになります。その間、イタリアではワーグナーの作品が続々と上演されており、特に、アイーダのイメージモデルになった、ヴェルディの愛人テレーザ・シュトルツ(ソプラノ)の前の夫で指揮者のアンジェロ・マリアーニは、ヴェルディへの当てつけのように、1867年のドン・カルロのイタリア初演を最後に、ワーグナーのローエングリンやタンホイザーのイタリア初演を指揮し、大成功をしています。ヴェルディはこれらの公演を聴きに行ったようです。ワーグナーにかなわない、と思ったわけではないでしょうが、同じ土俵に乗ろうとしなかったのだと思います。

 このヴェルディに再び火を付けたのは、詩人、作曲家のアリーゴ・ボーイト。長年の対立を経て、協力関係に至る史実は、ドラマのようで感動的です。ここらへんのことは、今回の公演のプログラムの加藤浩子氏の素晴らしい解説にも書かれています。

 そんなことを考えながら新国立まで車で行きました。もう公演が始まる前から僕はヴェルディ感いっぱいでした。加藤氏が書かれているように、ヴェルディのオペラは「一瞬のうちに襟首を掴まれてドラマのなかに投げ込まれる快感があると思うが、『オテロ』はその緊張感が2時間余にわたって続く、奇跡的なオペラ」です。番号オペラから脱し、序曲も、序奏もなくいきなり嵐の音楽で始まる一幕目。カリニャーニの指揮は、大音量で勢い良く始まるのですが、ややハウリング気味か?2009年の新国立でのフリッツァの指揮でも感じたのですが、この最初の音をトスカニーニのように鋭く研ぎ澄まされた雷のように出すのは難しいのでしょうか?なんとはなく音が散らかって聞こえるのです。その点では、2013年のフェニーチェ歌劇団来日の時のミョンフン、ちょっと古いですが2003年のスカラ来日の時のムーティは、音が刀のようになっていました。

 指揮、歌手とも、1幕目は安全運転という感じ。タイトルロールのカルロ・ヴェントレは中音の弱音で音程がやや定まらず、デズデモーナのファルノッキアも中音がはっきりしませんでした。

 ところが、休憩後の3幕目、4幕目は素晴らしかったです。指揮はグングンと歌唱をひっぱり、落とすところは落として歌唱を浮き上がらせます。楽器の音が明確になり、音楽が全体として塊感が強くなって、引っ張り込まれます。3幕目は全体が、ヤーゴの奸計が進んで行く幕で、音楽もそれを表していて、全幕中、最も長く、最も聞き応えがある(と個人的に思っている)ところです。感情に振り回されるオテロを歌うヴェントレも1,2幕とは打って変わって、中音から高音まで輝きのある声になりました。今回の主演級3人の中では、一番情感が歌に表れていたと思います。個人的には、あまりにも単純にデズモデーナへの疑惑に取り憑かれてしまうオテロには、僕の心は同調できませんが、ヴェントレは歌唱と演技でその悩みの苦しさを見事に表現していました。ファルノッキアも中低音が明瞭になり、高音は1,2幕目よりも伸びが出ました。その分ヴィヴラートもかかりましたが。スピントですが、鋼のような声ではなく、シルキーな歌声。柳の歌からアヴェ・マリアは良かったですね〜。ちなみに、ヴェルディがこの「オテロ」をボーイトと作ったイタリアの小さな村のサンターガータの邸宅には、本当に柳の木が何本もあるのです。2013年にヴェルディ生誕200年の時に、ここを訪れ、痛く感激した覚えがあります。

 繰り返しますが、休憩後の3幕と4幕目は、まるでサッカーのハーフタイムに監督と選手が気合いを入れた効果が出たかのように、良くなりました。初日はどうだったのでしょうか?

 歌手に戻りまして、イアーゴを歌った、ブルガリア生まれのウラディーミル・ストヤノフ。何かで昔聴いていてますが残念ながら思い出せません。暗めで高めのヴァリトンなのですが、イアーゴというのは、歌手自身が、相当に性格付けをはっきりとさせなくてはおもしろくないと思います。今までにヌッチ、フロンターリ、ガッロ(3回!)で聴いていますが、それぞれに、かなりはっきりとした毒々しい性格付けをして、歌唱と演技をしていました。そこらへんが、ストヤノフの場合希薄な感じを受けました。原作では28歳の役柄ということなので、それにはヌッチなどよりもずっと近いと思うのですが、「謀略を巡らせる悪い人」という感じがしなかったのは僕だけでしょうか?3幕目では、音楽が実に"ヤーゴ的”(ヤーゴの悪魔のトリルなども出てくる)なのですが、肝心のヤーゴがちょっと素直過ぎる感じが否めませんでした。

 日本人歌手陣もなかなか豪華でした。出番は少なかったのですが、最後のところのエミーリアの清水華澄さんは良かったなぁ。

 このオペラを聴く時には、1幕目、2幕目は字幕を見ますが、3幕目以降はあまり見ないようにしています。さっきも書きましたが、オテロの単純さが、あまりにも現実的ではなく、デズモデーナを殺すだけの必然性が感じられないのです。ですので、ここはそういう理屈は抜きにして、悩み抜くオテロの歌唱と演技、哀れなデズモデーナの美しい歌声に集中します。

 演出は、新国立ではもう何回目かになるマルトーネのもの。何トンもの水を使うのが美しいです。僕は好きですね、この演出。ちょっとキリコの絵のような感じがあり、まわりを石の建物で囲まれた水場と寝室は、そこからどこにも逃れられないオテロ、デズモデーナ、イアーゴの立場を際立させていると思います。

 色々と書きましたが、ヴェルディの傑作オペラを充分に堪能させてくれる、水準をはるかに超えた出来でした。ここ数年、新国立のオペラの水準は格段に上がっているので、さらに「もっと」と思ってしまうことはありますが。

 この次の中村理恵さんの「フィガロの結婚」も楽しみですね。

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イタリア、パルマ近くのサンターガータのヴェルディ邸の柳

【指揮】パオロ・カリニャーニ
【演出】マリオ・マルトーネ

【オテロ】カルロ・ヴェントレ
【デズデーモナ】セレーナ・ファルノッキア
【イアーゴ】ウラディーミル・ストヤノフ
【ロドヴィーコ】妻屋秀和
【カッシオ】与儀 巧
【エミーリア】清水華澄
【ロデリーゴ】村上敏明
【モンターノ】伊藤貴之
【伝令】タン・ジュンボ

【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】世田谷ジュニア合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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