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プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

バイエルン国立歌劇場“タンホイザー”

 9月25日のNHKホールでの公演を聴きに行きました。6月に初演劇場のバイエルン国立歌劇場で聴きましたので、2回目になります。今回、僕にとって良かったのは、何かと話題になっている“演出”が既にどういうものかわかっていたので、それに気を取られないで音楽と歌唱に集中できたことです。6月の観劇では、この挑戦的な(?!)演出を理解しようと気になってどうも集中できませんでした。ロメオ・カステルッチの演出、意欲的と褒めてあげたいところですが、褒めません。僕は現代演出けっこう好きです。先日のバッティストーニのオテロでも、友人達には大不評だったライゾマティックスのプロジェクションマッピング、けっこう楽しみました。しかし、このタンホイザーの演出はいけません。何がいけないかって、演出と歌手の演技が全く絡まないのです。第3幕の「ローマ語り」のあたりで、死体を何度も何度も入れ替えるのにどのような意図があるのでしょうか?おそらく「輪廻転生」のようなことを表しているのかとは思います。最終的に死体が砂に帰して、それをタンホイザーとエリーザベトが骨壺(?)に入れるところだけ、演出に演技が加わりますが、それ以外は全くと言ってよいほど、演出は音楽と歌手とも全く関係なくグロテスクに進行します。見ていて煩わしいだけです。視覚的に驚かせようと言うことの他に何も感じられないのです。逆に言うと、いわゆる“読み替え演出”ではないので、気にしないようにすると無視できますし、音楽の邪魔をしないとも言えます。ですので、2回目のNHKホールの観劇では、そのスタンスを取らせてもらいました。

 ペトレンコの指揮は、まず序曲のところから独特です。あまり重くなく、しかし、弦のアンサンブルは幾何学的に段差をはっきりと出して響かせて来ます。オペラの全容を予想させる序曲というよりは、交響楽のような振りです。全体的には、内省的な音作りで、2幕目の行進曲も抑え気味でコントロールされていますが、シンプルな音から盛り上がって来るところに、単に音が大きくなるだけでなく、腕力でオケを持ち上げてくる、、決して無理やりでなく、、、筋肉質な盛り上がりを生んでいます。前にも書きましたが、低い弦を強く鳴らすという趣向があまり無く、中音でひとつひとつの楽器が浮き出すように聞こえさせる、これが素晴らしいと思いました。3幕目の序奏のシンプルな始まりから塊感を持った盛り上がりに移ってくるところ、良かったですね。

 歌手ですが、まずはフローリアン・フォークト。もうかれこれ5-6回は聴いています。ローエングリン、ヴァルター(マイスタージンガー)、そして今回のタンホイザー。何より、「持ち上げる」という感じの全く無い澄んだ高音が魅力です。ウィーン少年合唱団が、そのまま声変わりしないで大人になったみたいです。おそらく、役柄としてはローエングリンが一番合っているのではないかと思いますが、タンホイザーではそれまであまり気づかなかった中低音の素晴らしさも感じさせてくれました。が、この日、一幕目、珍しく中音部で音程が安定せず、一度だけ声も割れました。こんなことは初めてです。しかし、数年前に文化会館で「美しき水車小屋の娘」を歌った時に、途中で破綻を来たして、歌い直したこともあるようで、時々安定性を欠く嫌いはあると、友人からも聞きました。ちなみに、彼の水車小屋、僕も聞きましたが素晴らしいです。いわゆる、ヘルデンテノールとしては典型的な声ではありませんが、将来はリングも歌ってほしいですね。彼とカウフマン、あまりにも違うワーグナー歌いですが、この2人を聴ける(カウフマンはキャンセルが多すぎるが)時代に居合わせるのは幸せだと思います。

 歌手陣は、他も素晴らしかったです。エリーザベトを歌ったアンネッテ・ダッシュ、清冽で強く奥行きのある声、余計なヴィブラーとや装飾歌唱がない、、、ミュンヘンではアニヤ・ハルテロスがトスカみたいに歌ったのですが、ダッシュのほうがずっと良かったです。そして、ヴォルフラムの夕星の歌は、涙ものでした。低音から高音まで(テノールのように聞こえます)本当に美しい。この役もミュンヘンのゲルハーヘルのやや古くさい歌い方よりずっと良かったです。指揮も新しいワーグナーを作っているので、今回の歌手陣はそれに合った歌唱をしてくれたと思います。それと忘れてはならないのが、合唱団。迫力ありましたね。引っ越し公演の醍醐味だと思います。

 ペトレンコ、素晴らしい指揮者だと思いますが、その素晴らしさをちゃんと解るには、僕はまだまだ聴き込みも足りないし、勉強も足りないと思います。ただ、今回の3幕目の感激だけは本当に感じられました。良かった!

 今回の3公演、すべて平日の3時からです。これは、勤めている方には厳しいスケジュールです。なんとかならなかったのかなぁ。

 さて、10月1日には同じキャストでワルキューレの一幕目をやってくれます。こちらのチケットも運良く取れたので、楽しみです。


指揮:キリル・ペトレンコ
演出:ロメオ・カステルッチ
領主ヘルマン:ゲオルク・ゼッペンフェルト
タンホイザー:クラウス・フロリアン・フォークト
ウォルフラム:マティアス・ゲルネ
エリーザベト:アンネッテ・ダッシュ
ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ
バイエルン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団(合唱指揮:ゼーレン・エックホフ)
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ミョンフンのベートーヴェン第3番

 東フィルの定期公演、いつもオペラシティで聴くのだが、今月は所用があって、オーチャードに取り替えてもらいました。これが電話一本で出来て、しかも、元々の席と同等の席に替えてくれるのが、とても便利です。

 タイトルに「ベートーヴェンの第3番」と書きましたが、この日は「ピアノ協奏曲第3番」と「交響曲第3番」の2本立て。ピアノは、韓国人の若手、なんと16歳の女性ピアニスト、イム・ジュヒ。9歳でデビュー。10歳で、ゲルギエフと共演。ミョンフンとは過去なんども一緒に演奏しているようで、マエストロが指揮中に一度もピアニストのほうに首を振らなかったのは、信頼の証でしょう。第一楽章の劇的なピアノの登場から、明るく伸びやかな音、正確なタッチ、若いのに余裕さえ見える弾きっぷり。楽しそうに弾いていましたね。同じ、もうちょっと陰影があっても良いかなとは思いましたが、この曲を素直に味わうにはぴったりな素晴らしい演奏でした。ソロアンコールのヨハン・シュトラウスⅡ世作曲、ジョルジュ・シラフ編曲の「トリッチトラッチポルカ」の超絶技巧にもびっくり。こういう曲のほうが、若さと情熱でこなせるので合っているのかもしれませんね。韓国からは東フィルにゲストとして、同じ若手のチョ・ソンジン(華やかなピアノでした)も来ましたが、いつも新しい音を聴かせてくれるコンサートには大満足です。

 後半の「交響曲第3番変ホ長調作品55英雄」は元々はナポレオンをイメージして作曲されたもの。ミョンフンらしい、壮大で情熱的、しかし知的な指揮が素晴らしいですね。一楽章からだんだんに盛り上がり、第2楽章のフーガを抜けると、3,4楽章で頂点に達する。その中で、第3楽章のオーボエの主題と第4楽章のフルートの独奏はとても美しかったです。同じ、「情熱的」でも、バッティストーニの第5番のように、新しい解釈の抑揚や強弱を付けたりせずに、あくまで王道の中でオケを操っていました。

 さて、来週はいよいよ、ペトレンコのタンホイザー。ミュンヘンで6月に聴いた時よりは余裕を持って聴けると思います。楽しみです。

 

オテロ@オーチャードホール

 いやいや、本当に久しぶりのブログになってしまいました。オペラは7月の“ノルマ”以来2ヶ月ぶり、コンサートも東フィルのミョンフンのマーラーから1ヶ月以上夏休みを取っていました。いつもなら、夏はバレエがあるのですが、今年はいまひとつ食指が動くものがありませんでした。その間、今年はオペラ仲間が多数ザルツブルグに行っていたので、クルレンツィスの”皇帝ティートの慈悲”やら、マリオッティ指揮の“二人のフォスカリ”(ドミンゴです。)そして、チケットの時価が定価の10倍まで上がったというムーティ、ネトレプコのアイーダを見たという生々しいフェイスブックが送られてくるのを、よだれを垂らしながら過ごしていました。どれも素晴らしいと思うのですが、やはりマリオッティのフォスカリ、聴きたかったです。夏休みはオペラには行かなかったのですが、そういう悪い(?)刺激があったため、11月と来年2月にまた海外での公演に行く予定を立ててしまいました。

 さて、9月10日のバッティストーニの“オテロ”。個人的なオペラシーズンがヴェルディで始まるのは素晴らしいことです。しかもバッティストーニ!“ナブッコ”、“リゴレット”、“イリス”と来て、次は欧州では良く振っている“ラ・トラヴィアータ”かな、と思っていましたが、オテロに来ましたね。彼は、ヴェルディの初期物はあまり好きでないようですから、この選択になったのでしょう。

 僕が初めて生で聴いたオテロは2003年のムーティ率いるスカラ座でした。指揮台に立つとほぼ同時に雷鳴の序奏が斬りかかってくるのに、圧倒されました。以来、指揮台に立ってオケの顔を見てからおもむろに棒を振るオテロの指揮者は嫌いです。バッティは、まさに指揮台に立つか立たないか、まだ拍手が鳴っている時に棒を振りました。かっこいいなぁ。舞台に出てくる時からオテロが始まっているんですね。一幕目、あっという間に引き込まれました。プログラムで加藤浩子さんが、「一瞬のうちに襟首を掴まれてドラマの中に投げ込まれる快感」とありますが、まさにそうでした。一幕目は大音量のオケと合唱で嵐の中、帰還するオテロがいきなりヒーローとして登場する派手な場面なのですが、この日のバッティは、その中で、テンポ感をくずさずに、くっきりオケの音を出していました。ともすれば合唱にかき消されてしまうような音もきちんと聴かせて心臓の鼓動のようにテンポを保つ。これが、素晴らしかったです。その後、ロデリーゴを説き伏せる場面で、有名な“Se un fragil voto di femmina (その女の誓いが解きほぐせるのであれば) のところ(だと思うんですよね。イタリア語に堪能な訳では無いので、間違っていたらすみません。)で、バロックの舞曲のようになるテンポ感のところまで、最初の雷鳴からつながっているんです。この一幕目、本当に素晴らしい指揮だったと思います。

 2幕目以降、3幕、4幕と行くに従って、指揮もだんだん歌手に合わせるような場面が多くなりましたが、そこがまた、実に緻密で強弱、緩急をつけるところが、素晴らしい“オテロ”の音楽を作り出していました。本当に聴き応えがありました。オテロの音楽は指揮者によって、本当に表情が変わります。2013年のミョンフンのオテロも素晴らしかったです。スピーディで軽みがあって、躍動感がありました。バッティは、テンポ感とコントロールされた重厚さでしょうか?

 歌手陣では、エレーナ・モシュクのデズデモーナが素晴らしかったです。柳の歌に拍手が集中していて、これももちろん素晴らしかったのですが、僕としては、豊かな中低音部、特に弱音からボリュームを上げていくところが、ぞくっとするほど美しいと感じました。モシュクというと、何かジルダの印象が強いですが、デズデモーナ、良かったですね。ちなみに、柳の歌のところの、クラリネットが素晴らしかったです。これは、最近東フィルに加入して、今年の東京音楽コンクール木管部門で優勝したアレッサンドロ・ベヴェラリですね。まだ若い奏者ですが、東フィルも充実しています。

 さてモシュク以外の歌い手では、オテロとイアーゴは、“悪くはない”、英語でいうと”not too bad”という感じでしょうか?ま、英国人がこういうと、結構良いというニュアンスになるんですが。。イアーゴのインヴェラルディは、声は良いのですが、毒が無い。4月の新国立で同役を歌ったウラディミール・ストヤノフほど、「細い」感じはないのですが、動作や体型も含めて、どうもイアーゴというよりは人の良いファルスタッフという感じでした。このイアーゴは、設定では28歳ですから、ヌッチをベストと考えてはいけないとは思うのですが、奸計をめぐらし裏表のある役、今回の公演のポスターの白と黒が表すような役ですから、もう少しオテロというオペラを掴みきってほしいです。アンダーの上江さんで聴いてみたいと思いました。そして、オテロのフランチェスコ・アニーレ、各所で高音まできれいにあがる良いテノールだということはわかりましたが、情感の表し方にムラがありすぎて、ト書きを歌っているような感じを覚えました。8日に聴いた方は「良かった」と言っていたので、この日は調子が悪かったのかもしれません。4月のカルロ・ヴェントレの2幕目以降が素晴らしかったので、ちょっと比較してしまいました。

 エミーリアは新国立と同じ、清水華澄さん。うーん、素晴らしい!幕が締まりましたね。

 演出は、僕の友人たちには不評のようでした。プロジェクトマッピングを多用したものでしたが、ヨーロッパとアフリカの地図を写し出し、キプロスにフォーカスしていくところなど、僕自身は、なかなか新鮮で良かったと思います。4幕目のキャンドルの影などは音楽とマッチして美しかったです。

 今回の公演の立役者、やはりバッティストーニですね。歌手の多少の粗を充分に補っていました。

ヴェルディ「オテロ」演奏会形式

指揮・演出:アンドレア・バッティストーニ
映像演出:ライゾマティクスリサーチ

オテロ:フランチェスコ・アニーレ
デズデモーナ:エレーナ・モシュク
イアーゴ:イヴァン・インヴェラルディ
ロドヴィーコ:ジョン・ハオ
カッシオ:高橋達也
エミーリア:清水華澄
ロデリーゴ:与儀 巧
モンターノ:斉木健詞
伝令:タン・ジュンポ
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団



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