プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

僕は、このブログの他に、仕事関係のブログ「湘南人のライセンス日記(brandog.exblog.jp)」も運営しています。僕の本職はこちらのほうで、これなくてはオペラ観劇の費用が出ないわけです。

で、ライセンスとオペラって、全く関係が無いようですが、実はあるんです。

著作権は15世紀にグーテンベルグが印刷機を作った時に、コピーライツとしてはじめて発生したと言われていますが、これはその言葉通り、コピーする権利であって、著作者の権利(オーサーズライト)ではなかったのです。だから、モーツァルトなどのその後の大作曲家も宮廷の庇護がなければ暮らして行けなかったのです。作家もそうで、本が売れても、実際に儲けるのは出版社だったんです。

で、モンテヴェルディが1607年に「オフェリオ」作ったのが、オペラの発祥と言われています。この人もマントヴァ公の庇護を受けていたんですが、彼は、音楽、小説(あるいは戯曲)、歌唱、劇が一体化するオペラという総合芸術を作り上げたのです。

当然、このオペラは宮廷、貴族の間で大人気になりました。そりゃそうですよね。室内楽を聞くよりはよほどおもしろい。で、イタリアを中心にオーストリア、フランスなどで、17世紀から18世紀にかけて、モーッアルト、ドニゼッティ、ウェーバー、ロッシーニなどがどんどん、オペラを作曲していきました。でも、この作曲家のオペラは、まあベルカントオペラといわれるように、音楽と歌唱が中心で、筋書きは単純なものだったのです。

ところが、19世紀の中盤になって、ヴェルディが有名な作家の小説や戯曲をもとにオペラを作ったのです。特にシェークスピア、ヴィクトル・ユゴーの作品です。シェークスピアのマクベス、オセロは「オテロ」と一字変えてオペラになりました。ユゴーのエルナーニ、王は愉しむは「リゴレット」になりました。

しかし、この頃、題材を選んでオペラ用にアレンジするのは、劇場支配人の仕事でした。劇場支配人は勝手に小説を選び、それを脚本家に、決まった金額で脚本に書き直させ、それを作曲家に見せます。誰かが手をあげて作曲をすることになると作曲代金を払うのです。これも定額でした。ですので、オペラが成功しなければ、劇場は赤字になるわけで、リスク回避のためにもたいした金額は払っていないのです。かと言って成功したからと言って、作曲家や作詞家に余分にお金を払うこともなく、オペラが成功すれば、楽譜は印刷されて、そのフィーも劇場に入りますし、他の劇場でも公演すれば、このフィーも初演劇場に入ります。往々にして、劇場支配人の他に、インプレサリオというオペラ興業主がいて、この人が投資をし、儲けを多くとることもありました。

それは、それでこの時代のシステムなんですが、問題はオペラの筋書きのもとになる、小説の原作者には、許諾権もなければ、著作料も入らなかったことです。しかも、検閲を通すためとか言われて、作品の名前や登場人物の名前、筋書きも変えられてしまったりしていたのです。

ユゴーの「王は愉しむ」はパリで初演された時に、論議を呼び、劇場で騒動が起きたために、以降50年間上演禁止を政府から言い渡されました。ところが、しらないうちに、その「王は愉しむ」がイタリアで、「リゴレット」とタイトルを替えてオペラ化されて大成功していたのです。おまけに、ヴェルディにこういうことをやられるのは、エルナーニに続いて2度目。ユゴーは怒って、劇場を相手に(作曲家ではありません)、著作権料を求める訴訟を起こしましたが、この時点では著作権は権利としてはありましたが、その権利を守る法律が無かったために敗訴しました。

そして、訴訟が終わったころ、ようやくオペラ”リゴレット”はパリで初演されました。この招待状がユゴーにも届いたんですね。ユゴーは、はっきり言って「けったくそ悪い」気分だったのですが、一応見に行きました。それで、不覚にもオペラに感激してしまったんですね。ここらへんの理由とかは、説明すると長くなるので省略します。(既に長い)
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ヴェルディの肖像画と僕、2007 ミラノのグラン・ホテルにて(晩年、ヴェルディが住んでいたホテルです)


で、その後、ユゴーは、オペラの劇場や作曲家とケンカをするのではなく、きちんとした著作権の法律を完備して、著作権料が皆に配分されるようにしようと思ったのです。そして、以降世界初の著作権の国際条約になるベルヌ条約の起草にかかりきりになるのです。オペラは、いわばライセンスビジネスのかたまりです。原作をライセンスして脚本家、劇化、オペラ化する。劇場は他の劇場にオペラをライセンスする。(ヴェルディ以降、この権利も作曲家に移ります。)

ベルヌ条約が150年近く、今でも改訂を続けながら、世界唯一の著作権の国際条約としてワークしているのは、オペラという総合芸術の構成が、今の映画制作、テレビアニメ制作、ミュージカル制作などと、ほぼ同じ構成だからです。

実際に、ヴェルディとユゴーの接触があったかどうか、これは今、僕も大学院で調べています。しかし、ヴェルディもその後、イタリアの国会議員になるので、その影響力は強く、ヴェルヌ条約の成立前に、慣習として音楽著作料ががっぽり作曲家に入る構図を作り上げました。

このため、ドニゼッティはヴェルディの前の世代で、70曲以上のオペラを書きましたが、まずしく亡くなりました。一方、ヴェルディ後の作曲家プッチーニは10作のオペラしか書かなかったのに、著作権料で大富豪になりました。

ですから、ライセンシング・ビジネスの基礎ができあがったのは、ベルヌ条約の発効、それを推進したユゴーの功績、ユゴーをそこに向かわせたオペラとの関わりがあるのです。

こうしたことを、より詳しく、著作権に重きを置いて、昨日の東京理科大学大学院の講義「著作権とライセンシング」で学生達に話しをしました。キイになった、リゴレットの4重唱の場面も5分ほど見せました。

でも、ベルヌ条約には作曲家の著作権は盛り込まれなかったんですよ。これは決してユゴーが意地悪をしたわけではありません。それよりも、フランス人主体で作られたこの条約がスイスのベルンで調印されたことと関係があります。

でも、そこまで話してしまいますと、高い授業料を支払って頂いている、理科大大学院の学生さんたに、申し訳ないので、今日はオペラとライセンスの関係のサマリーだけ書きました。それでは。

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