プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

「セヴィリアの理髪師」の憂鬱−2

昨日のブログ、ちょっと過激すぎたかなぁ、ウジウジしています。だって、コンスタンティネスク、プラティコはとても良かったのですから、もう少し書き方があったなぁ、と反省。ベルタの与田朝子も良かったし(2005年も彼女でしたね)、出番は少なかったですが、フィオレッロの桝貴志もなかなかでした。彼は、研修所の時から知っていますが、良いバリトンです。だからこそ、アルマヴィーヴァ伯爵を、研修所の後輩(10期)の糸賀修平にやってほしかったなぁ。昨日、ポテリョの名前を、タイポして「歩手リョ」と書きましたが、あえてそのままにしてあります。

で、演出について書かなかったのですが、各ブログともボロクソです。たしかに、1幕目の終わりなど、騒音が多くて音楽の邪魔になっていたところはありましたが、僕は、この演出はなかなか良いと思っています。それで、再演を見に行ったんです。フランコ時代のスペインに置き換えているところがおもしろいですし、その状況が、電柱やスクーター、交換所という看板で(Cambio)、実は女郎屋をやっているところなどが歴史検証良くできていると思います。いつでも、舞台の進行以外のところで、アイロンかけたり、絵のほこりをはらったりしているのが、アンダルシアのゴタゴタした感じと、ロッシーニの「ランスへの旅」的な喜劇性を強調していて、良くできた演出だと思います。芸術的には,,,,,,,,,

しかし、とても気になるのは、フランコ政権下というのは1930年代から1975年代まで続いた、欧米で一番最後まであったディクテーターシップで、多くの罪の無い民間人がスペイン内戦に続く抑圧政治で、命を落としたのです。ナチスなどよりもっと最近のことで、今でもスペインではフランコ政権下に獄中で無くなった夫の未亡人や家族がたくさんいるのです。フランコの話さえ嫌がります。

これは、カンボジアでオペラブッファをやって、劇中にポルポトやクメールルージュの兵隊が出す演出をするのと同じような感じだと思います。

僕は、スペインに思い入れがあり、フランコの生存中、死んだ直後、そして、その後ファンカルロス王が民政に移行する時代、何度も現地に行っています。スペイン人がこの演出を見たら、決して笑わないと思います。ケップリンガーがオーストリア人の若手演出家というのも、うがった見方をしたくなります。

数年前、リヒャルト・シュトラウスのカプリッチョが日生劇場で公演された際も、置き換えでジョエル・ローウェルスという若手演出家が、ナチスに弾圧されるユダヤ人という設定で暗さを強調していましたが、正直なところ、不愉快な気持ちがしました。

カルメンや、仮面舞踏会のボストンバージョンみたいな時代まで行けば、それはもういいと思いますが、まだ、悲しみが癒えない人々が多くいるような歴史のネガティブな事実、特に軍政などをオペラの演出に安易に持って来る、ヨーロッパの若手演出家の考え方には疑問を持ちます。あるいは意図的なのでしょうか?だとすれば、ネオナチ?と思ってしまいます。僕が敏感すぎるのですかね。

僕のブログは、匿名でなく、名前からプロフィールすべて丸出しにしてあります。ですから、こんな過激なことを言っても許してください。
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