プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

トラヴィアータ考

そろそろ、逗子のローカルヴェルディ祭りhttp://www.ogasawara-gakuen.com/sub_a44ev.htm の準備をしないといけません。で、夜寝る前に色々な椿姫を見たり聞いたりしています。このオペラは、メロドランマとしては、本当に良くできています。ヴェルディの27作品の中では、やっぱりシモン・ボッカネグラが一番好きですけど、次に好きなのが、椿姫、一番見ているのも椿姫。

でも、僕が入っている日本ヴェルディ協会では、「椿姫」というのは、日本で昔誰かが(思い出せない)付けた名前なので、トラヴィアータと呼ばなければいけない、ということになっています。「道を踏み外した女」ということですが、オペラの中の名前は「すみれ」を意味するヴィオレッタで、デュマ・フィスの原作の中では、マルグリット・ゴーティエと呼ばれ、(映画男と女の女は、アンヌ・ゴーティエです。子孫かな?)で、本当にデュマ・フィスが恋に落ちたのはマリー・デュプレシとう実在の高級娼婦なのです。彼女のお墓はパリのデュマ・フィスの墓のそばにありますが、この頃の高級娼婦で墓があるのは珍しいことです。

で、実際にデュプレシは、自分のトレードマークとして椿の花を毎日買って服に飾って夜な夜なパーティに行っていましたが、いつも寄る花屋の親父は彼女のことを、「椿姫」と呼んでいたという説もあります。名前が多くてややこしいですねー。ロード・オブ・ザ・リングの中でガンダルフはエルフには"ミスランディア”と呼ばれますが、何の説明も無いので、この前公開されたホビットを見た人は、「何だ」と思ったでしょうね。

こんな調子で書いていたら、えらく長いブログになってしまいます。先にいきましょう。

この、トラヴィアータは小説が原作になっていますが、その小説は実話なんです。マリー・デュプレシの恋人はデュマ・フィス(小デュマという意味です。)そして、ジェルモンは大デュマ(デュマ・ペール)で、小デュマがまだ物書きとして自立していない時、既に、「モンテクリスト伯」、「三銃士」などの作品で有名になっていて、1幕2場のパリ郊外のヴィオレッタの別荘というのも、実は大デュマの別荘を、その息子(庶子)小デュマが使っていたわけです。

で、その一幕二場で、「パリに金を取り戻しに行くゾー」のカバレッタの後、実際に小デュマ(アルフレード)は、パリの金貸しのところに行きますが、「おまえの親父が担保を入れなければ貸せない」と言われ、金貸しから大デュマに、ヴィオレッタのことが知られてしまうのです。

で、別荘にジェルモンが現れるのも実話で、これは大デュマがデュプレシに、息子と別れろと言いに言ったわけです。その後、色々実話と、作った話が入り交じりますが、結局、ヴィオレッタは劇中のドゥフォール男爵、実際はドイツ人のシュタッケルベルク男爵の元に戻り、その後フランス人のベルゴー伯爵の妻になりロンドンに渡り丁重に扱われますが、結局結核で23歳の若さで亡くなります。作曲家のリストとも愛人関係にあったと言われています。これから先はまだ調べていませんが、フローラも実在の人物で、その屋敷も残っているようです。

トラヴィアータほど美しい序曲を持ったオペラは、そうは無いと思います。シモン・ボッカネグラの序曲も美しいですが、いかんともしがたく短い。トラヴィアータでスカラ座を長く沸かせたマリア・カラスの指揮はほとんど、カルロ・マリア・ジュリーニが振りましたが、彼の序曲は極端に遅いテンポで、約3分50秒かかりますが、マゼール、クライバー、メータ、トスカニーニなど、ほとんどの指揮者は3分ちょっと、一番短かったのは(僕が持っているCD,DVD)では、マゼールの2006年のベルリンオペラの2分50秒です。しかし、翌年の2007年にスカラ座でゲオルギューを迎えて振ったマゼールは3分30秒くらいの遅いペースでした。(これは、実際僕が現地で聞いて計りました。タイトルロールは、イリーナ・リングに変わりましたが)

カラスが第一線を去り、ジュリーニが指揮者としては珍しく70歳で引退した後(夫人が病気だったのです)、スカラ座では誰もトラヴィアータを指揮しませんでした。いや、カラスの亡霊の後に歌う歌手もいなかったのです。1964年12月17日に満を持して、カラヤン、フレーニのコンビでトラヴィアータの公演初日を迎えますが、一部の古きカラスファンのブーイングと罵声で、この公演は失敗に終わり、以後92年にムーティが公演を強行するまで30年近い間、スカラ座ではトラヴィアータは聴けなかったのです。

トラヴィアータの初演はヴェニスのフェニーチェ歌劇場ですが、イメージ的には上記の理由により、スカラ座のトラヴィアータという感じがあります。僕が行った時も、ゲオルギューとマゼールが初日にすごいブーイングを受け、ゲオルギューは最終日降板、マゼールに至っては初日で帰ると言いだし、支配人の数時間の説得でようやく指揮を続けたほどでした。

今、その公演の模様が、ブルーレイディスクで格安に入手できますが、それを聞くとブーイングもやむをえないかなと思います。ゲオルギューは94年のコベントガーデンでのショルティとの公演のイメージを持って聞くと、あまりにも衰えた感がありますし、マゼールの指揮はイタリア的ではないのです。つまりインテンポではない。つまり、抑揚と音の伸ばしがありすぎて、ワーグナーのようなのです。イタリア人はインテンポな演奏がイタリアの音楽だと思っています。これはトスカニーニが植え付けたものです。ですから、バレンボイムもブーイングをくらったのです。

やはり長くなりました。またこの続きはいつか。。。 
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