プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

オテロ 最終日

フェニーチェ歌劇場のオテロ、水曜日に続けて最終日も家内と一緒に見て来ました。チケットが売れないとのことで、今週の月曜までテレビでパブリシティを入れていたのですが、フタを開けたら水曜日はほぼ満員。最終日は二人ならびで取れる席は2カ所しかなく、早めにオーチャードに行って良かったです。先日のB席よりワンランク上のA席は2階の真ん中。3階とあきらかに音が違いました。それでもこのホールは音が遠いホールです。

この日は2度目なので、余裕を持って聞くことができました。やはりクンデは、ベルカントの装飾技法を、この作品の歌唱でも使っています。それにより声が一本調子ではなく、あきらかに、オテロの代名詞にもなっているデルモナコN版などとは、全く違う複雑な内面性を現した役柄を作り出しています。オテロでは、モナコがあまりにも有名なので、ドミンゴはモナコの歌い方を踏襲せずに、トーンダウンをした歌い方をし、これもひとつのベンチマークになっていますが、どちらも”単純”な性格というのは一緒のイメージでした。

しかし、初演時に既に74歳だったヴェルディは、スカラ座での練習に連日顔を出し、オテロ役のタマーニョの歌い方と演技にきびしく口をはさんだ、あまつさえ、フィナーレの場面では自分自身で倒れ込み、周りの人々を驚かせたと伝えられています。そこまで、ヴェルディがテノールに入れ込んだという話しは、彼の他の作品では聞きませんから、僕は以前からオテロの"単純”さに、いまひとつ合点が行きませんでした。

しかし、クンデのオテロは知的で、悩みに悩む男で、これがヴェルディが求めたオテロなのではないかと思います。タマーニョの声はスカラ座の外でも聞こえたと言われる一方、今残っているSP盤のレコードでは(聴いた事はありませんが)比較的繊細な声だったとも言われています。どちらが本当なのでしょう?

最終日は、特に4幕の柳の歌からフィナーレの歌手のパフォーマンスが、水曜日よりも良く、オテロは悪魔が乗り移ったように、デズデモーナを糾弾し、クロチェットはこの日自信に満ちた歌唱でそれに応えました。まだ30歳という彼女。すごい声量を持ちながら、それを終始コントロールして、情感溢れたデズデモーナを演じました。エミーリアの別れの時の「叫び」だけボリュームを最大にし、鮮烈な印象を与えました。

ルーチョ・ガッロも上々の出来でしたが、この日も主役二人にくらべると影が薄い。新国でステファン・グールドがタイトルロールだった時は、格の違いを見せましたが、フェニーチェでは裏方に回った感じ。演出的にも、堂々と姑息に動き回るというよりは、こそこそと振る舞う場面が多かったので、そのにょうに感じたのでしょう。ヌッチをヤーゴに使えば、このような演出はできず、立派な悪者(2003スカラ座他)になってしまうでしょう。

ミョンフンの指揮は、この日も冴えを見せていました。ムーティーのスカラの時のような重厚さとは、全く違う軽みもあり、躍動するオーケストラ。これはフェニーチェの音でもあるようです。マエストロへの拍手は、誰よりも多かったと思います。

演出は2度見て、細かいところも納得。特に黒子の動きが効果的でした。これは演出家のミケーリが日本人に師事していたことから来ていると本人が言っていました。カーテンコールでのおじきも日本式の膝まで頭を下げるものでした。(おかげで、若ハゲがばれましたが/笑)ただ、3幕目の最後で、気絶したオテロにヴェネチアの国旗をかけるという意図だけが、ちょっと解りませんでした。

最終日ということでカーテンコールのステージにはスタッフ全員とオーケストラ全員が上がり、抱き合って公演の成功を喜んでいました。こういうのが見られるのは最終日の醍醐味ですね。

クンデは、もともとロッシーニのオペラセリア歌い。ゼルミーラあたりが素晴らしいようです。DVDで聞いてみようと思います。

チケット代は高かったけど、それに見合った満足感が充分にあったフェニーチェの公演でした。
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