プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

シモン・ボッカネグラ @ ウィーン国立歌劇場

半年前から楽しみにしていた、”シモン“を追ってウィーンまでやってきました。僕にとっては”シモン・ボッカネグラ”とアバドとヌッチはひとつの輪を描くくらい、頭の中で重要な位置を占めています。今迄見た数々のシモン・ボッカネグラのうち、ヌッチのタイトルロールは2回だけですが、その2回ともに、シモンの敵役のヤコーボ・フィエスコはカルロ・コロンバラ、ガブリエーレ・アドルノは、ファビオ・サルトリで決まりでした。ところが、もう一人の重要な女声、フィエスコ家の娘と思われていて、実はシモンの娘だった、(そんなら、あんたは。。。。)アメーリアは、いつも違うキャストで、タマラ・イヴェーリ、メキシコの若手、デヴィニア・ロドリゲス、そしてタイトルロールが昨年のローマ歌劇場来日で、ジョルジュ・ペティアンの時はは、エレオノーラ・ブラット、サンフランシスコでホロストフスキーの時は、アナマリア・マルティネス、METでドミンゴの時は、エイドリアン・ピエチョンカといつも違っていたんです。だからって、何が言いたいか? 今挙げたアメーリアも皆、本当に素晴らしかったのですが、僕はバルバラ・フリットリで聴きたかったのです。

実は、フリットリのアメーリアには因縁があり、サンフランシスコに行った2010年と昨年のローマ歌劇場で、彼女ががキャストされていたのに、直前で降板の目にあっています。だから、今回ウィーンまで飛んだのは、今回こそフリットリのアメーリアが聴けるだろう、いくらなんでも、ウィーンなら盲腸にでもならない限り降板しないだろうという思いでした。

でもって、ついにこの日フリットリはアメーリアを歌い、僕の願いはやっとかないました。その詳細はキャスト表の下に書きますが、もう一人楽しみだった、アドルノ役のヴァルガスが降板。風邪でしょうか?ステファノ・セッコに変わってしまいました。
で、あキャストは次の通り

シモン:レオ・ヌッチ
アメーリア:バルバラ・フリットリ
フィエスコ:フルチョ・フルラネット
アドルノ:ステファノ・セッコ
パオロ:マルコ・ガリア
指揮:フィリップ・オーギュイン

ヌッチのシモンは、昨年の今頃にモデナで聴いて以来ですが、ますます若い!プロローグで「パオロ」と登場してくる時の若々しい輝く中音から高音域は、20年前のヌッチに戻ったようです。そして、25年経って、次の幕になると、今度は重々しく威厳のある声に変わる。彼自身がシモンになりきっているのでしょうね。何度聞いても彼のシモンは「神」です。

そして、つ.つ.遂にフリットリ登場。1幕目のロマンツァから、こみ上げて来てしまいます。凜として、張り詰めた空気をふるわせるような美しいソプラノ。その後、アドルノが去ったあとに、シモンとの重唱の中で、二人が親子とわかる時、単に2つの声が響くのではなく、心がひとつになるような情感の籠もった歌唱。僕の貧困な表現力では書き切れませんね。前から3列目の平土間で見ていたので、表情もよくわかります、二人の顔みたらもうダメですね。

いつもは、美しいイタリアンテノールボイスのファビオ・サルトリ(ビジュアル派では決してありませんが)が歌うところをヴァルガスが歌うと期待していましたが、結局若手売り出し中のセッコに。代役としては、十二分Bravo!!特に、表現力があって、良く勉強したなぁという感じがしました。ただ、残念なのは、声がイタリアンではない。宝石感がない。そして音域がやや低め。やや高めのバリトンのヌッチと歌うと、余計そこらへんが目立ちます。

フルラネットも素晴らしかったです。いつもコロンバラで聴いていると、やや平坦な歌唱に聞こえますが、この日は怒り、悲しみ、哀れみがフルに表現されていました。

しかし、ちょっと頂けないなぁと思ったのは指揮です。オーギャン(前にオーギュインと書きましたが、”オーギャン“ですね。)の音作りは、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、ミュージカルか、大河ドラマのテーマ曲のよう。アンサンブルを美しく聞こえさせることに留意しているのか、静かなところはやたらとなめらかに。(スラーの連続みたい)そして、盛り上がってくるととにかく鳴らすこと。これだけ鳴らされると、歌手も声を張り上げなくてはならず、セッコあたりはフル音量という感じでした。

バレンボイムのシモン・ボッカネグラは、必ずしも評判が高いとは言えなですし、僕も好きではありませんが、でも彼なりの曲の作り方、哲学がこもっていて、聴いているうちに「そういうもんか」と思って、あまり気にならなくなります。でもオーギャンはそうではない。ヴェルディを好きではないんじゃないでしょうか、、、と思ってしまいました。僕は、このシモン・ボッカネグラはの音楽は、シモンがリグリア海から来て、またリグリア海に帰っていく、、、だからリグリアの海のうねりのような、テンポが下地にほしいのです。これは、アバドを聴いていつも勝手に感じていることです。言ってもせんのないことですが、どうせウィーンで公演するならが、メストが残っていてくれて、彼が、トラヴィアータの時のような解釈で振ってくれていたら、また違った素晴らしいシモンが聴けたかなぁと思ってしまいました。それで、フルラネットに戻りますが、指揮者のそう言ったところが、フルラネットの歌わせかたにも出てしまっているような気がして、やたらに彼が盛り上がるのが、ちょっと気になりました。ノルマのオロヴェーソと比較しては何ですが、彼の良さはこの日のフィエスコのようなおどろおどろしい、劇画調の歌いではないような機がします。なにしろ、シモンより凄み出てましたから。フィリポⅡ世にちょっと塩こしょうしたくらいんほうが良かったかなぁ。

そして、パオロのマルコ・ガリア、良かったですね。今迄聴いたパオロではカヴァレッティに次ぐ出来か!カーテンコールでも目立たないのが可哀想なくらい。

圧巻はラスト。息絶え絶えのシモンが次の総督にアドルノを指名して亡くなっていくシーン。初めてアメーリアの腕の中で息絶える演出を見ました。シモンが最後に口にするのは、アメーリアの母である「マリーア」。ですから、だいたいの演出はアメーリアは近くに立って悲しむのです。この日の演出はフリットリとヌッチでなくては、三文悲劇になるところ。彼女だからこそできたと思います。二人の表情、倒れるタイミング。本当に息が絶えるよう。僕達の廻りのお客さんも皆涙ぐんで、、、というか泣いていました。

そして、最後に「提督が亡くなられた」と伝えるフィエスコの声の恐ろしさ。いつでも、そう思うところですが、今回は特に、その後ボッカネグラ家が、フィエスコ&アドルノ家に滅ぼされた史実を予想させるのに充分な不気味さでした。

また、書き直す部分もあるかもしれませんが、今ウィーンの空港でこれを書いているうちに、次ぎの目的地ランス、、じゃなくてアムステルダム行きのフライトが来たのでこのへんで。

動画は下記です。

http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node/home/spielplan/Spielplandetail.en.php?eventid=1400658&month=02&year=2015
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