プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

新しいシベリウス、しかし……

11月5日、サントリーホールでのシベリウス生誕150周年記念コンサートに行ってきました。

交響詩「フィンランディア」Op.26
Finlandia Op.26
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op.47
Violin Concerto in D Minor, Op.47
交響曲 第2番 ニ長調 Op.43
Symphony No. 2 in D Major, Op.43

ハンヌ・リントゥ(指揮)
諏訪内 晶子 (ヴァイオリン)
フィンランド放送交響楽団

 フィンランディアが始まって、「あれ!」と思いました。速いのです。そして、音が迫ってくる。「フィンランドは目覚める」というもともとの曲名とそれが、20世紀初頭の独立運動の旗印になったという背景が伺えるような、雄大なフィンランディアです。ただ、僕には音が平面的すぎて、何だか楽譜がそのままのしかかってくるような感じがしました。「溜め」がまったくなく、スピードアップして進行していくフィンランディアは、リントゥの意思を反映しているのでしょうが、全体が同じように雄大に演奏された結果、ドラマチックに盛り上がるという感じがないのです。オーディオのイコライザー調整のすべての目盛りを上げてしまった感じ。8台入ったコントラバスも効果的に使われていなかったような気がします。

 続く、諏訪内晶子とのヴァイオリン協奏曲は素晴らしかったです。諏訪内さんを聴くのも久しぶりですが、中低音部の凄み、鋭い切れがオーケストラを貫きます。オペラでいったらカラスのメゾの歌い方のよう。心をわしづかみにされました。ここはリントゥもバイオリンにきれいに合わせてきて、この日一番の収穫です。
 そして、交響曲第2番、僕はこれ大好きなんですが、違和感ありました。フィンランディア同様に、最初から平面スピーカーからデジタルな音が大音量で出てくる感じ。第1楽章から、主題が繰り返し記憶が蘇るように浮き上がってきて、それが段々と大きなうねりになる、聴衆はいつその波の頭がはじけるのかを心待ちにする、というような緊張感が無いのです。多分、これがリントゥのたどり着いた彼の新しいシベリウスなのでしょう。この感覚は今年バッティストーニの「新世界」を聴いた時と似ています。僕の愛聴版のアンチェルの演奏と比べたら腰を抜かすようなものでした。シベリウスの場合、僕の愛聴する指揮者はサカリ・オラモです。バーミンガム響との交響曲1〜7番のCD、そして数年前にロイヤル・ストックホルム・フィルと来日したときには、アリス・オットー沙羅との素晴らしい共演(チャイコフスキーでしたが)と、シベリウスの交響詩「エン・サガ」の印象が強烈でした。

http://provenzailmar.blog18.fc2.com/blog-entry-173.html

 そこにも書いてありますが、「シベリウスの第2番などをやると、他の指揮者の時よりアンプのボリュームを上げなくてはいけないような、静かな入り方。」とあります。その印象は、今日再びオラモの2番を聴いて確認しました。バッティストーニの新しいドヴォルザークは受け入れられましたが、今回のリントゥの指揮は、僕には向かないようでした。
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