プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

日生劇場「後宮からの逃走」--”赦す”ということ

 「NISSAY OPERA 2016 オペラ」と銘打ったオペラのシリーズ。6月の「セビリアの理髪師」、7月の「ドン・パスクワーレ」に続いての3作目がモーツァルトの「後宮からの逃走」です。11月12日土曜日のマチネに行ってきました。「後宮からの誘拐」というタイトルでも知られているオペラです。しかし、序曲は非常に有名ですが、全幕で上演されることは少ないですね。僕もすっかりどこかで見たつもりになっていましたが、実はこの日が生では初めての観劇でした。

 最近はウィーンやプラハの国立歌劇場の来日公演で文化会館やオーチャードホールのような大劇場にばかり行っていたので、小さな日生劇場に来ると、イタリアの小劇場に来たような安堵感があります。この日も寸前まで行けるかどうかわからず、当日券で天井桟敷の席を取りましたが、それでも文化会館の1階L/R席の最前列から舞台を見るのと大して変わりありません。小さいことは良いことだ!

 このオペラの上演回数が少ないのは何故でしょうね。モーツァルトの4大オペラというと、「フィガロの結婚」。「コジ・ファン・トゥッテ」、「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」なので、そこから漏れてしまったせいでしょうか?それもあると思いますが、けっこう歌唱が難しい。一幕目のコンスタンツェの「どんな拷問が待っていようと」は大アリアと言うべきで、難しいコロラトゥーラを要求されますし、同じく一幕目のオスミンの「乙女の尻追う風来坊」は、超低音のDがあるというように、けっこう難物のようです。

 この日のコンスタンツェ役の佐藤優子さん、最初はちょっと緊張気味でしたが、天性の豪華なソプラノの声を持っていますし、技巧も素晴らしい。捕らわれの身でありながら自己を強く主張する.....その表現力に溢れていて、とても魅了されました。オスミンを歌ったバスの加藤宏隆さん、2013年にムーティのオーチャードホールの講演(“公演”ではありません。)で、声に合わない”プロヴァンスの海と土“を歌わせられて、しごかれていたのが印象的でしたが、この日も素晴らしい低音と、汗だくになりそうなコミカルな演技で拍手をもらっていました。この二人がオペラを引っ張ったと言えるでしょう。ブロンデ役の湯浅ももこさん、スブレットらしい可愛らしくも知的な歌唱と演技で、オスミンを手玉に取ります。スザンナやツェルリーナでも聴きたくなります。ベルモンテの金山さんも難しいアリアを歌いこなしていましたが、声質がややこもるために、高音が伸びていない印象がありました。そして、歌わなかったですが、太守セリム役の宍戸開さん、さすが俳優だけあって存在感抜群。まあ、ちょっとオペラの役としては目立ち過ぎという感じもありました。

 このオペラは、チェンバロやフォルテピアノで装飾される、レチタティーヴォがなくて、セリフで歌がつながるのですが、このセリフはすべて日本語になっていました。日本語訳は、実に軽妙でユーモアに溢れるもので、コンメディア・デラルッテのおもしろさが良く出ていました。ただ、以前の二期会のこうもりでやったように、むしろ歌自体も日本語にしてしまってもおもしろかったかなと思いました。セリフだけが日本語で相当量あって、その後の歌が突然ドイツ語というのが聴いている僕としては切り替えが追いつかない感じがあったのも実感です。

 そして、このオペラで圧倒的に良かったのが、舞台美術。まず、序曲のところでは舞台全面が細かい紗幕で覆われ、その中は明るい光の中で晩餐の準備をしています。これが、超大型のテレビスクリーンを見ているようで、実に新鮮です。数年前にLAのスタジオで8Kの大画面のスクリーンでワールドカップサッカーを見たことがありますが、その印象に近かったです。序曲の間に、言葉はないのですが、「昔々あるところでのお話です」という感じが出ています。18世紀末から19世紀前半に流行った”トルコ“や”異国“もののオペラのお伽話感が良く出ていて秀逸なスタートでした。しかし、オペラ本編がはじまってからは、大仕掛けは何もなく、城の壁やバルコニーになる舞台奥手の2mほどの高さの台と、4つのホイール付きのテーブル、そして多数の椅子。これらを合唱団が動かして、晩餐の場にしたり、道にしたり、船にしたりするのが、実に目を楽しませてくれます。舞台美術を担当している“幹子Sマックアダムス”という方は知らないのですが、イェール大学で美術学修士をとっているそうです。もちろん、演出の田尾下哲の意向が明確なので、日本語のセリフとあいまって、斬新な舞台を作っていると言えると思います。

 指揮の川瀬賢太郎、初めて聴きましたが、素直なモーツァルトをコンパクトに鳴らしてくれていました。ただ、あまりに教科書的な音で、軽快さ、愉快さ、ふくらみに欠ける感じがしました。序曲はちょっとピリオド楽器っぽくっておもしろい音だったのですが、後が普通でしたね。。

 さて、このオペラで一番、感動したことは、実は無料で配布された“プログラム誌”にあります。それが岡真理さんという現代アラブ文学者の書いた『「赦し」—奇跡の贈り物としての』です。彼女の文章は、「『後宮からの逃走』の舞台はオスマン帝国、イスラーム世界だ。イスラームというと、他者に対して不寛容な宗教という印象があるかもしれない。実際『イスラーム国』を名乗る集団が異教徒を奴隷にしたり、神(アッラー)の名によってロック・コンサート会場を襲撃したり、そんな出来事が頻々と起きて、私たちの印象を裏付けてしまう。」という新聞の政治論評のように始まっています。岡さんは続いて、イスラームの国、イランでは「死刑が決まった加害者に対して、被害者がその罪を赦すように判事が説得をし、被害者が考える時間が数年間与えられる。」という例や、ヨーロッパの歴史の中でのイスラーム教が異教徒に対して、比較的慣用であったことなどをあげて、このことを太守セリムの「赦し」につなげているのです。

 彼女はさらにこう言います。「ベルモンテが殺されれば、嘆き悲しむのは父親だけではない、ベルモンテの母親も、そして今、自分が愛しているコンスタンツェをも傷つけ、その魂を苛むことになる。かってロスタドス(ベルモンテの父親=セリムの仇敵)が彼の恋人にそうしたように。自分が敵と同じ存在になりはてることこそ、自らの愛を裏切り、恋人を深く悲しまさせることだ。コンスタンツェを力づくで自らのものにしなかったのも、仇敵と同じ地平には墜ちたくないという思いがセリムの中にあったからだろう。」と説きます。そして、最後に「だからこそ今、セリムの『赦し』——人間で有り続けることがもっとも困難な状況においてさえ、それでもなお赦しがたき敵を赦し、人間の側に踏みとどまり続け、そうすることで憎しみの連鎖を断ち、より良い世界を築こうとする者たちの意志———が、私たちの魂の糧として、何にも増して必要とされているのだと思う。【中略】「後宮からの逃走」を観る/聴くとは、モーツァルトの音楽だからこそなしうるこの至福に満ちた奇跡の瞬間を私たちひとりひとりが体験することにほかならない。「後宮」はモーツァルトから私たちへの奇跡の贈り物だ。その奇跡はまだ舞台の上だけのことだけど、いつかそれは現実のものとなるだろう。私たちに想像できるものは、きっと実現できるのだから。【2016年、15回目の9月11日に、おかまり/現代アラブ学、日生劇場「オペラ、後宮からの逃走」プログラムより抜粋引用。】)

 実に6頁にもわたる格調の高い文章は、普段知ることのないイスラームの考え方を垣間見るとともに、このオペラが現在の社会に対して「奇跡」を起こすことをあきらめてはいけないという強いメッセージを投げかけて来ているのです。この文章を幕間に読んでいたので、3幕目の最後、セリムが処刑台にはりつけられた4人に自由を与え、船でスペインに送り返すシーンにはジーンと目頭が熱くなりました。

 「オペラの解説を読んで、世界の平和を考える。」なんて、安易すぎるかもしれません。実際の平和を成し遂げるのは、そんな容易なことでできるとは思いませんし、僕がこれを読んだ後に実際にどのような行動を取ろうかということも、まだ考え始めたばかりです。しかし、思い出すのは昨年の11月13日にパリで起こった同時多発テロで妻を亡くしたフランス人のアントワーヌ・レイリスさんは、その3日後に自身のフェイスブックでこのようにメッセージを発信しました。「あなたたちは私に憎しみを抱かせることはできません。13日の夜、あなたたちは特別な人の命を奪いました ―― 私が生涯をかけて愛する人であり、私の息子の母親です。 しかしあなたたちは私に憎しみを抱かせることはできません。私はあなたたちが何者かを知らないし、知りたいとも思いません。あなたたちは魂を失った人間です。殺人をもいとわないほどにあなたたちが敬っている神が自分の姿に似せて人間を創造したのだとしたら、私の妻の体に打ち込まれた全ての銃弾は、神の心を傷つけたでしょう。私はあなたたちの願い通りに憎しみを抱いたりはしません。憎悪に怒りで応じれば、今のあなたたちのように無知の犠牲者になるだけです。あなたたちは私が恐れを抱き、同胞に不審な気持ちを持ち、安全に生きるために自由を失うことを望んでいる。あなたたちの負けです。(後略)」とレイリスさんは述べています。「赦す」とまでは言っていませんが、憎しみと報復をすることが、自身を「無知の犠牲者」になるというのは、太守セリムの判断のもとになっている考え方と同じです。

 オペラを初めとするエンタテイメント業界でのイベントや、僕のブログで、このような話題を持ち出すことに違和感を持たれる方もいると思います。僕も、今までそのような話題をこのブログに載せたことはないのですが、初めて「書きたい」と思いました。

 岡さんの文章には心を打たれましたが、また、オペラの解説にこのような文章を取り上げた主催者としての日生劇場の勇気にも敬意を表します。

 日生劇場の2016-2017オペラシリーズは、来週の”ナクソス島のアリアドネ”(ライプツィヒ歌劇場との提携公演でシモーネ・ヤングが振ります!)、来年は、”ラ・ボエーム”、”ルサルカ”、そしてなんと、"ノルマ”と上演されます。いや、すごい力入っていますね。日本で中規模の劇場の上質な上演が味わえる、そんなところは関東ではこの日生劇場とテアトロ・ジーリオ・ショウワぐらいです。チケットは1万円以下ということで、コストパフォーマンスも抜群。是非観劇(感激?!)お勧めします。

モーツァルト作曲 オペラ『後宮からの逃走』全3幕
(ドイツ語歌唱・日本語台詞・日本語字幕付)
指揮:川瀬賢太郎
演出:田尾下 哲
管弦楽:読売日本交響楽団
太守セリム 宍戸 開
コンスタンツェ:佐藤優子
ブロンデ:湯浅ももこ
ベルモンテ:金山京介
ペドリッロ:村上公太
オスミン:加藤宏隆

美術 幹子・S・マックアダムス
照明 沢田祐二

合唱/C.ヴィレッジシンガーズ





 
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