プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

フェニーチェ歌劇場“ラ・トラヴィアータ”

 かねてからの念願が叶って、ヴェネチアのフェニーチェ歌劇場で“ラ・トラヴィアータ(椿姫)”を見ることができました。なにしろ、フェニーチェ歌劇場がこの演目の初演劇場(1853年3月)なのですから、“トラヴィアータ大好き”を自認して、一昨年にはパリのモンマルトル墓地に彼女のお墓、(ヴィオレッタのモデルになったアルフォンシーヌ・プレシという女性のお墓です)にお参りにまで行った僕としては、いつかフェニーチェでトラヴィアータを見たいという想いを持ち続けてきました。過去国内外で15回以上トラヴィアータを見ています。もちろんオペラ演目でこんなに回数を見ているものはありません。トラヴィアータが大好きで、そこからヴェルディの作品をやみくもに聴いて行って今に至る、という感じです。あの美しい序曲を聴くと、感動で体が金縛りにあって動かなくなります。だから、運転中に聴くのは危いんです。

 しかし、実は1853年の3月のフェニーチェでの初演は大失敗に終わり、ヴェルディは失意のうちに、弟子のムッツィオに「トラヴィアータは昨晩失敗した。罪は私にあるのか、歌手にあるのか…..時間がそれを判断しれくれるだろう」と書いて手紙を出したと言います。通説では主演のソプラノのファンナーニ・サルヴィーニ・ドナッテリが太っていて、とても肺結核で死ぬようには見えなかったのが失敗の原因、などと言われていますが、実際はそうではなく、劇場側に急がされたための準備不足と、ヴェルディの音楽がそれまでの、リゴレットやイル・トロヴァトーレとはあまりに違う新しい音楽だったからだと思われます。そして、翌年の同劇場での公演では大成功を収め、今では世界で最も上演回数の多いオペラのひとつになったのです。

 さて、僕が行ったフェニーチェでの公演当日は、(5月28日)摂氏28度という暑さでした。真夏ですね!ジャケットを抱えて劇場に行くと、いきなり指揮者が降板! 前日まで劇場のウェブサイトに載っていたのは、フランシスコ・イヴァン・チャンパ。昨年初来日を果たした若手ですが、僕は今までに「群盗」と「シモン・ボッカネグラ」のヴェルディ2作品を聴いていて、素晴らしい躍動感のある指揮に感じ入っていました。ところが、この日のプログラムを入手すると“ディエゴ・マテウス”になっているのです。それもチャンパの突然の降板ではなくて、もともと15公演のうち9日はマテウスに決まっていたんですね。こりゃ、詐欺ですね。「当日降板」は当たり前のイタリアオペラ界ですが、これは、前から決まっていたキャスティングを発表していないという恣意的なものです。(あるいは単に忘れているのか?)ちなみに、このブログを書いている6月8日現在、まだ公演のウェブサイトは指揮者にチャンパだけを出しています。しかし、怒ってみてもしかたがないので、ここはマテウスに期待することにしました。ちなみにチャンパは今月来日する、パレルモ・マッシモ劇場の“ラ・トラヴィアータ”公演を指揮しますので、日本で仇が取れます。

 それで、このマテウスの指揮はチャンパのような躍動感のある指揮ではありませんでしたが、決して悪くなかったです。クラウディオ・アバドに師事したというのがわかるような、穏やかで丁寧な音作り。トラヴィアータに特有な無音部の美しさを作るのが素晴らしかったです。ちょっとした、音の“溜め”のとり方が、その次の音での感動を呼びます。また、歌手への合わせ方も絶妙。この日、歌手陣ではちょっと力の差が目立った(下手だった)、ジェルモンのルカ・グラッシは、「プロヴァンスの海と土」のところで、テンポが早くなったり遅くなったり、かなり聞き苦しかったのですが、これを実にうまく指揮で合わせて音楽で矯正していました。オーケストラボックスが良く見える位置にいたので、歌手とオケを丁寧に引っ張るこの若い指揮者に、なんか感動してしまいました。是非、日本にも来て欲しいですね。

 さて、歌手ですが、一幕目は全員が不調で、これは参ったなぁと思いました。タイトルロールのジェシカ・ヌッチョも、アルフレードのピエロ・プレッティは声がうわずってしまい、音程が怪しい。ガストーネの一声目“T’ho detto, Lamista qui s’intreccia al diletto. (言っただろう。この家では、友情と楽しみがおりあっているのだよ。)というところなど、冷や水をかけられるような下手さ。特に、ウィーン、ミュンヘンと、ともかく端役でも相当のレベルを保っているところを聴いてきたあとなので、フェニーチェの端役は本当に“端”だなぁと思ってしまいました。

 ところが、一幕目一場終了後の休憩でカツが入ったのか、二場になったら、「なんということでしょう!(ビフォア・アフター風に)」アルフレードとヴィオレッタがすんばらしくなっていたんです。プレッティの “O mio rimorso (私の後悔)“は、肩の力が入りすぎずに、若く、青いアルフレードの思いを良く伸びる高音をコントロールして素晴らしい出来でした。一幕目ではたいしたことのなかった拍手やブラボーも、このカバレッタの後は2-3分続きました。

 ヌッチョも一幕目とは別人のような安定した声で、深みのあって柔らかみがあるスピント(とっても魅力的な声です。去年マドリードのルイーザ・ミラーで聴いたラナ・コスに似たタイプです)で、ジェルモンとのやりとりを劇的に表現します。何より好感が持てるのは、“Morro!(死にます)“や、”Amami. Alfredo, quant’io T’amo….(私が愛しているのと同じくらい愛してね)”の盛り上がるところを、押さえ気味にさらっと、しかし激情がわかるような表現力で歌いきったところです。プレッティもヌッチョも若い(多分30歳前後)のですが、このようにコントロールした歌い方ができるというのはいいですね。ともすれば、(東欧系などに多い)この部分を盛り上げ過ぎて、いわゆる「三文オペラ」になってしまうケースは多いのです。これで、ジェルモンが良かったら言うことなかったのですが、まあ、このカーセンの演出自体がジェルモンに関しては淡泊で、ほとんど性格付けがされていないのも歌手が冴えなく聞こえる一因かもしれません。ちなみに、ヌッチョはなかなか体格が良くて、初演時をほうふつとさせてくれたのも良かったです。本人には大変失礼にあたるかと思いますが….


二幕目では、指揮の良さがはっきりわかりました。ジプシーの踊りの音楽のところは歌が無いので、指揮者は比較的自由に振れるのですが、これが素晴らしかった。“トラヴィアータ幻想曲”を聴いているような感じ。ちょっとレガートっぽく、実に美しかったです。この流れは三幕目にも続きます。ヌッチョはさらに調子を上げ、ピアニシモの声が実に悲しい。ジェルモンの手紙を読んだ後の、アリア、“道を誤った女の願い”は超一級でした。Bravaの嵐!

 最後に演出ですが、ロバート・カーセンのこの有名な演出は、1996年の火災から再建されたフェニーチェの2004年のこけら落としでお披露目されたもので、当時大変な反響を呼びました。至る所で飛び交い、天から降って来る黄金の札びら、それをガーターベルトにつっこむヴィオレッタ。ヴィオレッタの最期を見届けるやいなや、彼女の高価な毛皮を持って逃げ去るアンニーナ、同じく金銭を持ち去るグランヴィル医師など。それまで、あまりに美化されていたトラヴィアータをその時代の現実に合わせた見せ方をしたのです。これは、コンヴィチュニーの演出と並んで、珍しいトラヴィアータの読み替え演出の成功例だと思います。この日の演出はだいぶマイルドになっていて、ガーターベルトなどは登場しませんでしたが、それでも無数の札束はインパクトがあるものでした。

 ともあれ、終わってみれば満足感たっぷりの公演でした。しかし、ウィーンとミュンヘンの公演が準備充分で、一声目から100%のパフォーマンスで観客を魅了したのに対して、このフェニーチェの公演は、一幕目はまるで立ち稽古、ところが2幕目、3幕目に移るにうちに、奇跡が起きるという、この違いがゲルマンとラテンの違いなんでしょうか?車で言えばBMWとアルファロメオの違いみたいなもんですね。「故障は多いけど、絶好調だとチョー快感」みたいな….


 10日間の旅行もあと一日を残すあまり。明日は、オペラは無いので、ゆっくりとヴェネチアの沖のムラーノ島とブラーノ島に出かけて、昼間からワインで美味しいランチをしようと思います。そういえば、私事ですが、30年間抱えていたC型肝炎が昨年完治したので、再び飲めるようになったのです。医学の進歩は素晴らしいですね。帰国したら、又、ワーグナー。“ジークフリート”が待っています。

Conductor: Diego Matheuz
Director: Robert Carsen
Alfredo: Piero Pretti
Violetta Valéry: Jessica Nuccio
Giorgio Germont: Luca Grassi
Flora: Elisabetta Martorana
Annina: Sabrina Vianello
Gastone: Iorio Zennaro
Barone Douphol: Armando Gabba
Marchese d’Obigny: Matteo Ferrara
Dottor Grenvil: Mattia Denti


 

 
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