プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

演出が????、バイエルンの“タンホイザー”

バイエルン国立歌劇場「タンホイザー」

 今回の旅の第2回目の観劇は、この秋に日本にも来日して公演される、バイエルン国立歌劇場の「タンホイザー」!日本公演のチケットも入手していましたが、一足お先に聴いてきました。なによりのお目当ては、来年からベルリンフィルの首席指揮者、芸術監督に就任するロシア、オムスク出身の45歳のキリル・ペトレンコ。そして日本でもおなじみのヘルデン・テノール、クラウス・フローリアン・フォークトでした。5月25日、この日はバイエルン州の休日で、お店はみんな閉店。開演の16時まで、ノイエ・ピナコテーク(新美術館)で時間をつぶしました。ミュンヘンは公演の中や街中に、美術館、博物館がたくさんあります。トラムもありますが、街の端から端まで歩いても40分くらい。天気が良かったので歩き回りました。

 さて、オペラ公演ですが、ウィーンと同様に、時間正確、ほぼ16時ぴったりに開演。登場したペトレンコは思ったよりずっと小柄でした。この日の席は、二階バルコニーの中央右よりの最前列。音楽を聴くには絶好の場所です。ペトレンコの指揮は、序曲からして実に力強く、彼自身の作りたい音楽というものがはっきりとわかる、そういう指揮です。おそらく、今回の公演は「ウィーン版」であったために、序曲(序奏?)から連続して一幕目に続きますが、弦が刻む装飾音を階段を降りるようにきっちりと鳴らして、音楽に躍動感を与えます。時には、腕力で振り回すようなところもありますが、これが又痛快です。実に筋肉質な指揮。それでいて、ひとつひとつの音が、楽器が浮き出すように繊細に聞こえてきます。意外に低い弦を強く鳴らすという趣向がなくて、中音で勝負してくる感じ。なかなか趣味の良い演奏で、僕にとっては、「新しいワーグナー」という感じがしました。歌い出しのタイミングで、歌手に向かって手を出して指示したり、合唱にも積極的に指揮をするなど、とにかく音楽でオペラをぐいぐいと引っ張っていました。(合唱も素晴らしかったです。)バイエルン歌劇場のホールは、見たところ1700−1800席でしょうか。とにかく良く響くホールです。このホールの特性をうまく使って、オーケストラを大きく聴かせていました。カーテンコールで、マエストロへの拍手と声援が一番大きかったですね。まるで地鳴りのようでした。日本のNHKホールで彼の音楽が、同じように響くかどうかは、ちょっと心配ですが、もう一度これを聴けるのは実に楽しみです。

 歌手陣では、冒頭でも触れたクラウス・フローリアン・フォークト、タンホイザーを歌うのは、これがはじめてです。僕は、日本でローエングリン、ハンブルグでヤングの指揮でマイスタージンガーのヴァルターで聴いていて、両方とももちろん素晴らしかったのですが、今回のフォークトには、今まで以上に声の熟成ぶりが伺えました。美しい高音部は、まるでウィーン合唱団員がそのまま声変わりしていないような凄さがあるのはもちろんですが、タンホイザーでは中音部に深みが出て、感情の表現力が豊かになっていました。憂いを含んだ歌声も今までになかった魅力だと思います。この人の声って、イタリアオペラで言えばバルトリのような位置にあるのではないかと思います。バルトリは超絶技巧でベルカントに脚光を浴びさせましたが、フォークトは、すくっと立ち上がる美しい高音で、今までの力の入ったヘルデンテノールとは違う新しい境地を見せてくれました。その新しさが、ペトレンコの力強い“新しいワーグナー”とはぴったり合うのですが、その分、他の歌手たちの影が薄れてしまう感じはありました。エリーザベトを歌ったアニヤ・ハルテロスは高音は美しく良く伸びるのですが、ややイタリアオペラっぽい発声で、特に巻き舌が多いのとヴィヴラートがきついのが気になりました。それでも目指しているところは、クラシックなワーグナーのソプラノの歌い方という感じ。その流れの頂点にはキルステン・フラグスタートやビルギット・ニルソンなどの往年のスター歌手が君臨する「声の殿堂」があると思うのですが、このタイプの声を目指してフォークトと並んで歌うと、ソプラノの方がなにやら古めかしく聞こえてしまうのです。この傾向はヴォルフラムを歌ったバリトンのクリスティアン・ゲルハーヘルも同様です。彼の声は悪くはなかったのですが、フォークトと、ペトレンコの新しさにやられてしまった感じです。日本で5年前にフォークトのローエングリンを初めて聴いて、雷に打たれたようになってから彼の大ファンになりましたが、今回でまたその想いはまたいっそう強くなりました。


 日本公演の前にあまり、詳細に(しかも偏った)印象を書いてしまうとネタバレにもなりかねませんが、歌手はフォークト以外は、来日するキャストはほとんど皆違うようですので、それはそれでとても楽しみです。

 そして、演出ですが、これこそネタバレなので、ここには書けないと思ったのですが、帰国したら、NBSのホームページにけっこう書かれていますね。なので、印象だけ書きます。NBSのホームページには「演出のカステルッチが登場すると、盛大なブーイングとブラボーとが入り乱れて場内は騒然。さまざまな視点を提示する新演出はコントラヴァーシャルな反応を引き起こしたものの、客席は大興奮だったとのことです。」と書かれています。この演出を面白いという人も確かにいると思います。しかし、僕としては、演出がこんなのではなかったら、もっとオペラにのめり込めたのに…という感じです。好き嫌いの前に、「邪魔」な演出でした。僕は現代演出、どちらかというと好きな方なのですが、この日の演出はタンホイザーのあらすじと音楽と全く無関係に展開しており、しかも、それにふさわしい演技を歌手がしていない。どちらかというと歌手は前を向いてクラシックに歌っている、ということで、演出がオペラ全体に溶け込んでいないのです。いずれにしろこの演出、日本でも相当な論議を呼ぶことは間違いなさそうに思います。9月の公演は、まだチケットはあるようですから、絶対にお見逃しの無いように。僕は渋谷での公演では、今度は演出に邪魔されないように舞台を見ないで、音楽と歌手だけに集中しようと思います。音楽と歌手だけで、素晴らしい充実感を与えてくれる公演であることは間違いないです。

 さて、これからフェニーチェに向かいます。

指揮:キリル・ペトレンコ
演出:ロメオ・カステルッチ
Chor
タンホイザー:クラウス・フローリアン・フォークト
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ:クリスティアン・ゲルハーヘル
エリザーベト:アニヤ・ハルテロス
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ:ディーン・パワー
ビーテロルフ:ピーター・ロバート
ハインリヒ:ウルリヒ・レス
ラインマル・フォン・ツヴェーター:ラルフ・ルーカス
ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ


 

ウィーンでの最高の“ばらの騎士”

一年に一回、春に欧州に家内とオペラを聴きに出かけることにしています。いつもヴェルディを中心にイタリアものばかり聴くので、ウィーンでもロンドンでもアムステルダムでもバルセロナでもたいていヴェルディになってしまいます。シモン・ボッカネグラなんか、5-6回聴いています。で、今年は趣向を変えて、劇場のある街で「ご当地もの」を聴くということを目的として、ウィーンで「ばらの騎士」、ミュンヘンで「タンホイザー」そしてヴェネツィアで「ラ・トラヴィアータ」という観劇を組みました。特にオットー・シェンク演出の豪華な「ばらの騎士」をウィーンで見るのは、随分前からの夢で、それがようやくかなったというわけです。

 5月23日のウィーン歌劇場での「ばらの騎士」は18時半開演でしたが、なにしろ当日の朝にウィーンに着いたばかりなので、とにかく途中で寝落ちしないようにと気合い充分で劇場に向かいました。席も 平土間の最前列中央部、これなら起きていられるだろうというところを取りました。結果、休憩を入れて4時間の長丁場、まぶたは痙攣し続けていましたが、なんとか寝ないで堪能できました。

 指揮のサッシャ・ゲッツェルはウィーン生まれで、ウィーンフィルのヴァイオリン奏者から指揮に転向したという47歳の気鋭。日本でも神奈川フィルで良く振っているので知っている方も多いと思いますが、僕は初めてでした。彼の「ばらの騎士は」しごく真面目な指揮だと思いますが、とにかく曲を美しく揺るがせます。序曲の最初のホルンからしてとびっきり美しい。その後に色々な音のモチーフがオケの色々なところから降って来るように聞こえて来るのですが、指揮者から3mくらいのところに座っていたので、音がとても分散して聞こえるのです。指揮者の耳にはこう聞こえるんだな、と思いましたが、それにしても、よくまあ、指揮者はこれをひとつの音楽にまとめあげるものだと感心します。木管金管の装飾音が退廃的でクリムトの筆の魔法にかかったような金箔の渦の中に聴衆を引き込みます。2年前に新国立でこの演目を指揮した、シュテファン・ショルテスが、あまりにもあっさりしすぎて、「揺らぎ」が全くなかったのを思わず思い出してしまいました。歌手とオケがユニゾンするところが何カ所かあるのですが、そこの積極的な鳴らし方が実にうまい。そして、何よりウィーンフィルの音が美しいこと。この劇場のオーケストラボックスは完全な開放型で、最前席だと弦の一本一本の音まで聞こえる感じですが、その弦の音の素晴らしいこと。まるで劇場の天井を突き抜けて夜空の奥まで伸びていくような美しさです。僕の貧弱な表現力ではそれをうまく表すことが出来ないのが残念です。そして、不思議なもので、序曲から30分もすると、最初は分散して聞こえていた音が、ひとつの音楽の塊として聞こえるようになるんです。この日の音楽は、本当に本当に素晴らしかったです。ともすれば、音楽にのめり込んで歌と舞台を忘れそうになりました。

 しかし歌手も素晴らしかったですね。オクタヴィアンのソフィー・コッシュが一幕目冒頭から、芯がきちんと通って、知的でかつ柔らかな素晴らしいメゾを聴かせます。ヴィブラートがほどんどない声はまさしくズボン役向きですが、元帥夫人の愛人として甘えたり、迫ったりする声、「ばらの騎士」としてゾフィーに対して凜々しく向かう時の声、女中のマリアンデルに化けた時のコミカルな声を見事に使い分けていて、完全に魅了されました。容姿も本当に美しく、男装の様は宝塚のようでした。ちょっとこれはファンになりそうですね。次はどこで何を歌うのか要チェックです。ゾフィー役のダニエラ・ファリー、昨年の来日公演でのツェルビネッタ以来です。あの時は、超絶コロラトゥーラを満喫しましたが、この日は、声量たっぷりで明るいソプラノを聴かせてくれました。高音が特に伸びるタイプではないのですが、ロシア系とは違うゴージャス、華やかな声で若いゾフィーにはぴったり。3幕目のオクタヴィアンとの2重唱で、オケも盛り上がってくるところは、僕の背中に電気が走りました。

 マルシャリン、元帥夫人を歌うはずだった、アンゲラ・デノケは残念ながら突然降板。代役のリンダ・ワトソンについてはあまり情報が無いのですが、リリックなソプラノで節回しがとてもうまい。そして中音部の声に色があって素敵です。一幕目で髪を整えてもらったのを鏡で見て「今日は年寄りに見える髪型ね。」と言うシーンでの中音の声の寂しさにはグッと来ました。三幕目で再登場して、オクタヴィアンがゾフィーと恋に落ち、自分が考えていたよりも早く彼が去ることを自分自身に言い聞かせるところ、そしてそれに続く三重唱は実に聞かせました。

 そして、この日舞台をグッと引き締めていたのが、オックス男爵のピーター・ローズ。低音になってもこもらない、はっきりとした声で、女声と見事に絡んでいました。どちらかというと軽い低音なのですが、イタリアのフルラネットやコロンバラなどとも違う声の質で、人間臭さが前面に出てくる歌い方です。三幕目は語り歌いのような(レチタティーヴォっぽい)ところが多いのですが、これが実に上手で引き込まれます。ともすれば、この役は、鼻を赤くしたりして、俗物っぽさを強烈に出す演出が多いのですが、この日の男爵は姿も語りも貴族然としていて、元帥夫人の従兄という役柄がぴったりです。こういう上品で下品なオックスが好きですねぇ。彼の好色漢ぶりは、実に細かいところまで気を配っている演技でうまく出していました。オックス男爵でいつも不思議に思うのは、「ばらの騎士」の中で最も優雅なワルツは、彼のテーマなんですよね。何故でしょうか?ワルツは時代考証的に合わないという批判もあるようですが、シュトラウス独特の不協和音からワルツがわき出てくる瞬間の幸せ感と言ったら、ちょっと他のオペラにはないものです。

 ファンニナルやテノール歌手、執事、酒場の主人、警官などそれ以外の歌手も粒ぞろいで、さすがウィーン歌劇場と思わされました。

 オットー・シェンクの演出は、実にクラシックで美しかったです。第一幕の元帥夫人の寝室は、天蓋のついた豪華なベッドがどんと構えています。第二幕のファンニナル家の邸宅は空に登るような階段が美しい。歌手たちの衣装も素晴らしいです。特にばらの騎士のオクタヴィアンのシルバー(アルマーニシルバーか!)の衣装はため息もの。

 ウィーンでの「ばらの騎士」は200%満足。本当に素晴らしかったです。家内と興奮してしゃべりながらの帰り道、定宿への道に迷ってしまいましたが、ウィーンの春の夜の散歩が楽しめました。

CONDUCTOR Sascha Goetzel
DIRECTOR Otto Schenk
SET DESIGN Rudolf Heinrich
COSTUMES Erni Kniepert

Feldmarschallin Linda Watson
Baron Ochs auf Lerchenau Peter Rose
Octavian Sophie Koch
Sophie Daniela Fally

セビリャの理髪師、藤原歌劇団

4月30日のテアトロ・ジーリオ・ショウワでの藤原歌劇団本公演、「セビリャの理髪師」に行ってきました。今年は、2月のミンコフスキの公演に続いて2回目のセビリャです。昨年も日生劇場の公演に行っているので、世界的なロッシーニブームに僕も影響されていると言えそうです。

 今回の公演は、29日、30日の2日間、2つの違ったキャストで行われましたが、30日は若手中心のBキャスト。ロジーナの丹呉由利子がプリマデビュー、伯爵に黄木透が藤原でのデビューと、話題には事欠きません。

 まず、良かったのは主役級の歌手3人の声質が素晴らしく、且つ声がきちんとコントロールされていたこと。若い人にありがちな、声質だけに頼って声を振り回すことがないのです。これは、ベルカントのなんたるかを皆さんが、とても良く(僕なんかより、もちろん)勉強されて練習をしているからだと思います。黄木の声は甘く、まろやかなレッジェーロで、聴くものをとろけさせるものがありました。カーテンコールでは、”Bravo”に混じって、前のほうの席からは“キャー!”という女性の歓声も!おそらくはミュージカルのファンの方々でしょうが、こういうのもなかなか良いものです。(ロサンジェルスオペラの観衆みたい!)前日の公演で大アリアが聴けたということでしたので、期待をしていましたが、なかなか、なかなか、素晴らしい大アリアを歌ってくれました。音程がちょっと不安定になるところもありましたが、多くのテノールがスキップしてしまうこのアリアを立派に歌ってくれて大満足。新国立劇場での公演も、昨年末の公演で初めてマキシム・ミロノフが大アリアを歌いました。これがあるとないとでは、最後のフィナーレの感動が随分と違います。

 そして、フィガロ役の押川浩士、Bravissimo! 最初の登場のカヴァティーナで実力を見せました。軽く、しかし声の色を充分に出して、早口で観客をわしづかみにします。アジリタもすごい。伯爵との二重唱も若い頃のヌッチのフィガロを彷彿とさせる声の使い方。彼はミュージカルでも活躍しているとのこと、演技も俳優並でした。今回、舞台を一番締めていたのは押川さんだったと思います。フィガロという役は、フランスの18世紀の劇作家、ボーマルシェの3部作(セビリャの理髪師、フィガロの結婚、罪ある母)中で生まれた役柄で、明るく、機敏で、なにより幸せ感いっぱいな男なんですが、押川はこれを見事に表現していました。今月新国立で見た“フィガロの結婚”は、ブログにも書きましたが、フィガロにそういう感じが全く無かった。ここらへん、演出が、ボーマルシェの作品の流れをちょっと考えればフィガロの役作りをどうすれば良いか解ると思うのですがね。。あれはちょっと残念でした。
 
 で、もって本公演に戻ると、ロジーナ役の丹呉由利子、彼女も美声です。聴くたびにうまくなってきています。今回も、声の表現力、表情が素晴らしい。1幕目の“Una voce poco fa”も良かったですが、2幕目の、ドン・アロンゾ(実はコンテ)との歌の稽古で、ロジーナが歌う、アリア” Contro un cor che accende amore”(愛に燃える心に対して) は、ブッファでありながら、切なく燃える彼女の心を本当に良く表していました。

 歌手陣は、バルトロの田中大揮も、バジーリオの上野裕之、ベルタの吉田郁恵もとても良かったです。歌も素晴らしかったですが、皆、演技のうまいこと。これは、相当の練習をしているからこそ出来たのだと思います。演出の松本重孝は藤原ではもうおなじみですが、今回のセヴィリアはブッファのブッファたるところ、王道を示してくれました。

 最後に指揮ですが、序曲から、かなり“上品”で、テンポが遅い感じがしました。丹念に計算されて音の効果を狙っているのですが、全体にレガートに過ぎる感じがして、ブッファの楽しさを出し切れていないイメージがありました。最後のフィナーレは良かったですが、最初からあのくらいの明るさ、跳んでいる感じを出して欲しかったというのが本音。そして、オケですが、プログラムに“テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ”とだけあり、詳細は書かれていません。これは、学生(大学院生と大学生)を中心にした“あの”オケですよね。いつもながら、このオケには感動させられます。この日も、一度も「おや?」と思うような音を出さずに、指揮の示す音楽を美しく奏でていました。本当にこれも練習の賜ですね。

 何度も同じことをこのブログに書きましたが、テアトロ・ジーリオ・ショウワは大好きな劇場です。ここで、若い優秀な人の公演を聴くと1週間くらい、気分が良いです。今回もとても満足でした。

指揮:佐藤正浩
演出:松本重孝

ロジーナ:丹呉 由利子
アルマヴィーヴァ伯爵:黄木 透
フィガロ:押川 浩士
バルトロ:田中 大揮
ドン・バジーリオ:上野 裕之
ベルタ:吉田 郁恵
フィオレッロ:田村 洋貴
隊長:小田桐 貴樹
管弦楽:テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
合唱:藤原歌劇団合唱部

フィガロの結婚@新国立劇場

 このプロダクションもだいぶ見た感じがします。アンドレア・ホモキの演出は2000年代初頭にドイツで流行った、「段ボール演出」の最たるもの。音楽の邪魔をしないし、シンプルで良いのですが、さすがにもう飽きて来ました。そろそろ新しい演出が欲しいところ。同じ低コストのフィガロ演出でも、テアトロ・ジーリオ・ショウワのマルコ・ガンディーニの演出などは、とても洒落て新しい感じがします。

 この日良かったのは、何と言ってもコンテ(伯爵)を歌ったピエトロ・スパニョーリ。日本ではあまり知られていませんし、僕も初めて聴きましたが、別格という感じでした。美声で声量もあるのに、6割の力で歌っている感じの余裕感と表現力の豊かさ。そして特にレチタティーヴォでの表現力には唸らされました。素晴らしい! コンテの下心、いやらしさが、おかしいほどに出ていました。演技も余裕でしているので、動きが華麗で、まさしく貴族に見えます。3幕目始めの「私がため息をついている間に」のアリア。いつもはブッファの中に紛れ込んでしまったセリアっぽいアリアということで、あまり感激しなかったのですが、このスパニョーリのアリアは、いやはや、本当にBravo!! 素晴らしいコンテ歌いでした。知らず知らずのうちに、コンテを中心にこのオペラを聴いていました。
 
 そして、ケルビーノを歌ったスロヴァキア生まれのヤナ・クルコヴァも出色の出来でした。ケルビーノとしてはやや甘すぎて、中性的な声ではないのですが、深みと軽みを歌い分けて聴かせます。「恋とはどんなもの」では、このオペラ中、彼女だけがベルカントしていました。素敵でした。演技もユーモラスで、この人もBrava!

スザンナ役の中村恵理も素晴らしい声でした。ただ、スザンヌとしては声がやや立派になりすぎてしまって、スブレット感があまり出ていなかったのが少し残念。コンテッサが口述で恋文を書かせる場面の二重唱などは、口元を見ていないとどちらが歌っているかわからないほど、声の分類から見ると、二人がかぶってしまっていました。次に歌う時はコンテッサかもしれません。

 それよりももっと残念だったのは、当初、マルクス・ウェルヴァが歌う予定だったフィガロを歌ったアダム・パルカです。声質はとても良いのですが、重い声を持てあましているように、ずっと一本調子。ブッファの感じが全然出ていません。スザンヌと若い愛し合う二人という感じが無いのです。演技もあまりうまくなく、だいたい、スザンヌの方をあまり見ている感じがしない。スザンナから“フィガレット(フィガロちゃん)と呼ばれているんだから、それなりに甘い雰囲気ださないとだめですねぇ。(ちなみに、フィガロはスザンナのことをスザネッタとやはり愛称で呼んでいます。)そういうわけで、彼が出て来ると正直、ちょっと退屈なんです。この日の公演が、随分と長く感じてしまった原因でもある、と言ったらかわいそうですかね。この日彼はカーテンコールも含めてBravoが全くなかったです。

 中村以外の日本人の歌手陣もとても良かったです。マルッチェリーナの竹本節子は、ぴったりのはまり役!実に楽しい雰囲気を出してくれていました。バルバリーナの吉原圭子、バルトロの久保田真澄も良かったなぁ。僕の好きな糸賀修平は、もっと歌う役を付けてほしかったです。

 そして、指揮のコンスタンティン・トリンクス。1幕目はかなりひどかったですね。全く歌手と合わない。半音くらい先を行ってしまっていました。初日ということを考えても、ちょっとお粗末。2幕目以降はだんだんと良くなってはいましたが、何か音がもったりした感じです。そして、どういうフィガロの音楽を作りたいかがわからない。最近は、フィガロも積極的に「意思表示」をする指揮が多く、そのすべてが素晴らしいわけではありませんが、一昨年のテアトロ・ジーリオ・ショウワのムーハイ・タン、同じくハンガリーオペラ来日でフィガロを振ったバラージュ・コチャールなどは、序曲からフィナーレまで、明確な自分の「フィガロ設計図」を持っていました。その指揮者の意志が演出と歌手とに伝わって、両者の「フィガロの結婚」の公演は本当に素晴らしかったです。トリンクスは、2008年の新国立のドン・ジョヴァンニでも、大味で音が大きかったのだけが印象に残っています。帰りの車で、クルレンツィスのフィガロを聞きながら帰りましたが、ますますそんな思いを強くしました。やっぱり、オペラは「指揮者」が最重要要素ですね。

なにか、今日のブログ、ネガティブコメントが多くなってしまいましたが、スパニョーリ、クルコヴァ、中村、それからアガ・ミコライも素晴らしかったです。やはり、最近の新国立のレベルが上がったので、こちらの望むレベルも上がってしまっていると思います。初日18:30と少し早い始まりでしたが、ほぼ満席。スパニョーリを聴くだけでも、充分お釣りが来るだけの価値があります!!

さて、次の観劇はGWの藤原の「セヴィリアの理髪師」です。

指揮:コンスタンティン・トリンクス
演出:アンドレアス・ホモキ
美術:フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳:メヒトヒルト・ザイペル
照明:フランク・エヴァン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

アルマヴィーヴァ伯爵:ピエトロ・スパニョーリ
伯爵夫人:アガ・ミコライ
フィガロ:アダム・パルカ
スザンナ:中村恵理
ケルビーノ:ヤナ・クルコヴァ
マルチェッリーナ:竹本節子
バルトロ:久保田真澄
バジリオ:小山陽二郎
ドン・クルツィオ:糸賀修平
アントーニオ:晴 雅彦
バルバリーナ:吉原圭子
二人の娘:岩本麻里、小林昌代
合唱:新国立劇場合唱団

 

ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール デュオ・リサイタル

 4月19日のオペラシティのリサイタルに行ってきました。デセイを聴くのは久しぶり!(CDではしょっちゅう聴いていますが)至福の2時間を過ごしました。デセイの声は、オペラを歌っていたころに比べると、高音が丸くなった感じがしますが、これは「衰えた」というよりも、リートやポップスも歌って「声質が変わった」というべきだと思います。口から声が出ているというよりは、デセイの頭の周りに直径1mくらいの空気の球ができて、そこから声が響いてくる感じ。(なんか昔の球形スピーカーみたいですね。ビクターのGB-1?)実にまろやかです。しかし、表現力が素晴らしい!シューベルトのリートの落ち着いた響きや、初めて聴くプフィッナーの歌曲「古い歌」のユーモラスな表現、ショーソンからドビュッシーに至る、フランス歌曲ならではの洒落たメロディライン。声量を抑えた分、繊細なイメージを声に託して歌うデセイのなんと魅力的なこと。

 ピアノのフィリップ・カサールとのデュオももう5年くらいになりますかね。CDも一緒に3枚出しています。息もぴったり合っています。水の流れの音のように、舞台の上に音符を広げて行きます。若い頃のバレンボイムみたいですね。ドビュッシーの2曲、素晴らしかったです。デセイとのユーモアのある掛け合いも最高。そして、パミーナのアリアの最初のところでは、モーツァルトのピアノ協奏曲23番の出だしの部分を使うという、なんと洒落た仕掛けでしょう。バレエの“ル・パルク”が始まるのかと思ってしまいました。

 この日は、デセイの52歳の誕生日。ハッピーバースデイを聴衆が歌って、花束とケーキを舞台に持ち込みます。そして、4曲のアンコールのサービス。僕の大好きなドリーブが2曲もあって嬉しかったです。アンコール1曲目の「カディスの娘たち」が始まった時は興奮しました。

 今まで聴いたデセイ、いつも咳をしていました。ちょっと癖のような感じですが、明らかに風邪っぽいこともありました。この日も途中少し咳をしていましたが、喉の調子は絶好調だったと思います。また、オペラに戻らないかなぁと思ってしまいます。「マスネ」や「連隊の娘」聴きたいですよねー。

・モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』より
・スザンナのアリア「とうとうその時が来た〜恋人よ、早くここへ」 
シューベルト:
・ひめごと D719 
・若き尼 D828 
・ミニョンの歌 D877 
・ズライカⅠ D720 
・糸を紡ぐグレートヒェン D118 
・モーツァルト:歌劇『魔笛』よりパミーナのアリア「愛の喜びは消え」 
・プフィッツナー:歌曲集《古い歌》op.33 
休憩
・ショーソン:終わりなき歌 op.37 
・ビゼー:別れを告げるアラビアの女主人 
ドビュッシー(ピアノ・ソロ):
・亜麻色の髪の乙女 
・水の精 
ドビュッシー:
・未練 
・死化粧 
・グノー:歌劇『ファウスト』より宝石の歌「何と美しいこの姿」 

アンコール曲

・ドリーブ:カディスの娘たち
・R.シュトラウス:僕の頭上に広げておくれ op.19-2
・ドビュッシー:歌劇『ペレアスとメリザンド』第3幕より
・ドリーブ:歌劇『ラクメ』より「美しい夢をくださったあなた」

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