プロヴァンスの海と土を少し 湘南人草間文彦

新国立劇場「神々の黄昏」

 新国立劇場の今シーズン、オープニングの「神々の黄昏」、6回ある公演のうちの4回目に行って来ました。行く前からわかってはいたのですが、長いですね。休憩2回入れて5時間55分。前回の「ジークフリート」の公演の時は、長い上演時間を耐えられるように、劇場で特製クッションの貸し出しサービスがあったのですが、今回はなかったです。残念。多分、クッションを使用している人の座高が高くなってしまうので、苦情でも出たのかと思います。

 今回が、飯守泰次郎マエストロの新国立の音楽監督として最後の公演になると思います。来シーズンからは大野和士さんになりますから。その最後の指揮から出てくる音楽、とても良かったです。今までのリング3作、何か音の分厚さが足りない、特に金管が響かない、ゆらぎがない、、と、飯守さんらしさに欠ける音だったという感想を持っているのですが、今回ははじめて読売日本交響楽団を率いて、素晴らしい音を出してくれました。雄大でスケール感がありました。金管も、時々音がずれることもあったりと、やや粗いながら、偉大なワーグナーの音楽を聴かせてくれました。昨年のウィーン歌劇場のアダム・フィッシャーや、つい最近のキリル・ペトレンコが新しい時代のワーグナーだとしたら、飯守マエストロはクラシックな、帝国ホテルのビーフシチューのようなワーグナー。正統派ですね。

 ただ、音楽のボリュームに対して、1幕目は、歌手の声が良く聞こえない。これは、どうも歌手の調子が出ていなかったようです。ジークフリートのステファン・グールドも、彼の得意とする輝きのある声が出ていない。ブリュンヒルデのペトラ・ラングも声を口先で作っているような感じ。2幕目に入ると、ヴァルトラウテ役で出てきた、名歌手ヴァルトラウト・マイヤーが、素晴らしい歌を聴かせます。2007年のベルリン歌劇場、バレンボイムと共に来日して、イゾルデを歌った頃にくらべて、年齢も重ねて(現在61歳)声のシャープさは無くなりましたが、その分、熟成された奥行きのある、素晴らしい声。声量はそれほどではないのですが、オケの音の上を飛んできます。この人の歌唱と比べると、他の歌手の歌唱が今ひとつに思えてしまうのも仕方が無いか・・・・他の歌手も一流ですが、彼女は「超」が付きますからねー。ちなみに、2004年の舞台では、この役を藤村実穂子が歌い、素晴らしかったです。

 それでも第3幕になると、グールドもラングも見違えるように声の艶が増しました。で、最後の「ブリュンヒルデの自己犠牲」は聴き応えありましたね。
 ただ、一旦白い布の下で絶命したかに見えるブリュンヒルデが最後にがばっと両手を挙げて起き上がる演出は、なんだか不思議でした。ブリュンヒルデの犠牲により、また世界が回り出すという、”to be continued”を現したものかもしれませんが、なんか、ゾンビ映画かエイリアン映画の最後のシーンみたいでした。3幕目は音楽と歌唱が見事に呼応しあって、聴き応えありました。葬送行進曲なんか、ゾクゾクしましたね。

 歌手では、マイヤーの次にハーゲンを歌った、アルベルト・ペーゼンドルファーが多く拍手をもらっていました。安定した声のバスで良かったのですが、全体に声のトーンが単調で、あまり「悪い人」という感じがしないんですね。彼につけられた演出に動きがなさすぎたせいかもしれません。古い話になりますが、トーキョーリングの初回の2004年での長谷川顯のハーゲンの「悪人ぶり」が強い印象を保っています。日本人歌手は、皆、大健闘でした。グートルーネの安藤赴美子は、芯の強い(ややリリックだったが)、しかし、確固とした自分を持っていない薄情な性格を良く出していました。演技も敢えて淡泊な動きにしていて違和感がありませんでした。これに対して、全く「淡泊」でなかった、アルベリヒの島村武雄は2010年にも聴きましたが、癖のある、しかし、舞台で重要な役柄を声と演技で見事に出していました。彼が最後に袖から出てきて動き廻る演出はなかなか洒落ていました。

 しかし、ゲッツ・フリードリッヒの演出は、4作全体通して、あまり良いとは思いませんでした。フィンランドでの公演にくらべると、トンネルも簡素化されていたようですし、何より動きが少なくて、せっかくの新国立の舞台の機能を生かし切っていない感じがします。今回の「神々の黄昏」も、おもしろかったのは、グンターに扮したジークフリートをレンズのような大きなガラスで見せるところぐらいで、あとは全体に「退屈」。特に読み替えもない演出ですから、もう少しアイデアが欲しいですね。3幕目で懐中電灯で客席側を照らしたりするのは、あまりにも陳腐で、目がチカチカしてちょっと苛つきました。僕自身としては、演出はブーイングしたい感じです。新国立のリングは、やはり、キース・ウォーナーのトーキョー・リング、それも初演の時が一番良かったと思います。新国立でこれからまた、リングをやるのなら、あの演出を研ぎ澄ましたものにしていくべきだと思います。あれは傑作演出です。

 9-10月は、なんだかワーグナーばかり聴いていました。ブログのタイトル変えなくてはならないですね。ちょうど今、イタリアではヴェルディ・フェスティバルが開催中。FBにはその様子がたくさん入って来ています。僕は11月初めにドミンゴのナブッコを見に行きますが、あとは、新国立のトラヴィアータ、と今年のヴェルディは、あと2つだけ。
そうこうしているうちに、もう年末ですね。早いものです。


指揮 飯守泰次郎
演出 ゲッツ・フリードリヒ
ジークフリート ステファン・グールド
ブリュンヒルデ ペトラ・ラング
アルベリヒ 島村武男
グンター アントン・ケレミチェフ
ハーゲン アルベルト・ペーゼンドルファー
グートルーネ 安藤赴美子
ヴァルトラウテ ヴァルトラウト・マイヤー
ヴォークリンデ 増田のり子
ヴェルグンデ 加納悦子
フロスヒルデ 田村由貴絵
第一のノルン 竹本節子
第二のノルン 池田香織
第三のノルン 橋爪ゆか
合唱指揮 三澤洋史
合唱 新国立劇場合唱団

 

ペトレンコ指揮ワルキューレ第1幕他

ブログアップが遅くなってしまいました。日曜日の公演だと、週明けが仕事で忙しくてなかなか書けないうちに印象が薄れてしまうのですが、この公演はいまだに印象が強烈に僕の体を支配しています。さて、 今回のペトレンコの初来日の公演は、都民劇場主催の「マーラー交響曲第5番」と「パガニーニの主題による狂詩曲」、そして、オペラ「タンホイザー」、最後がこのオペラ「ワルキューレ第1幕」と「マーラーこどもの不思議な角笛」と全部で3つありました。都民劇場主催の公演はチケットを取り損ねたのですが、ピアノのイゴール・レヴィットとの共演も良かったようですね。行きたかったです。

 それで、一昨日、10月1日、NHKホールで開催されたバイエルン国立管弦楽団の公演に行ってきました。これは本当に衝撃的で実に素晴らしかったです。「ワルキューレ第1幕」は今まで聴いたワルキューレでも最高の感動をもらいました。まずは序奏が凄かったです。弱音と強音を交互に持って来るのは楽譜通りだと思いますが、劇場の空気圧というか音波が伝わってくるような、強弱の繰り返し。弱音の時は一瞬音が消えて、真空になって、自分の耳が聴こえなくなったのではと思うようなインパクトがあります。森を逃走してくるジークムントの心臓の鼓動がそのまま音になったような緊迫感。ペトレンコの特徴(と僕は思っている)の、低弦をあまり響かせないで、腕力で音を劇場空間に押し出してくるような圧倒感に完全にやられました。オーケストラをコンパクトな1wayスピーカーのような塊感で鳴らし、繊細さとダイナミック感で今までに聴いたことのないワルキューレを聴かせてくれました。正直、タンホイザーの時よりも、良かったと思います。タンホイザーはやや内省的に過ぎて、テンポ感に欠ける感じがしました。(それはそれで凄く良かったのですが)ワルキューレは、音楽の塊感を歌手と一緒にテンポを緩めたり早めたり、実に緻密な指揮でした。凄いものを聴いてしまったという感じ。

 歌手の3人も素晴らしかったです。フォークトのジークムントは、昨年のウィーン歌劇場の時のクリストファー・ヴェントリスのように体全体で歌うのではなく、喉から開いた口の前に声を置いていくような美しさがあります。これが彼の魅力ですね。ルネ・コロとか、ジークフリート・イェルザレムなどの典型的ヘルデンテノールとは全く違うジークムントですね。METでバリトンに変わったばかりのドミンゴで聴いたことがありますが、それが近いかなという気がしました。ノートゥングを抜くあたり痺れました。そして、ジークリンデのエレーナ・パンクラトヴァ。タンホイザーでのヴェーヌスでも良かったですが、この日はさらに絶好調。母性を感じさせる深みのある歌いは「冬の嵐は過ぎ去り」のところで、舞台に本当に春の光が注ぐような感じがして、過去に見たその場面の舞台の演出が頭をよぎりました。そしてフォークトとの2重唱になっていくところで、こちらの感激も沸騰!このワルキューレ、今年の観劇で、ここまでで最高だったと思います。

 フンディングのゲオルグ・ペンフェルトも実に良かったです。タンホイザーでの領主ヘルマンでもびっくりさせられましたが、今回はフンディングの野蛮さ、いやらしさを良く出していました。バイエルン歌劇場を前回聴いたのは、同じくNHKホールでの2005年の来日公演でのマイスタージンガーでしたが、端役(?)の夜警の声が素晴らしかったのにびっくりしましたが、劇場付きの歌手で日本では知られていなくても、(知らないのは僕だけかもしれませんが)このペンフェルトみたいに凄い歌手がいるんですね。

 ペトレンコはタンホイザーの時もそうでしたが、歌手に歌い始めの時にキューを出すなど、オペラ指揮者として完璧な音作りに心を配っていることが良くわかりました。今回、第1幕だけだったのですが、そのうち近い将来に、ワルキューレ全幕をこのキャストで聴けるのでしょうか?そうしたら、またミュンヘンまで行ってしまいますね。

 話がワルキューレばかりになってしまいましたが、その前にマティアス・ゲルネが歌ったマーラーの「子供の不思議な角笛」も素晴らしいものでした。あまり書けないのは、この音楽を初めて聴いたからですが、ゲルネの情感がこもったピアニシモが実に美しかったです。こういう珍しい歌曲は、やはり字幕が欲しいところです。ゲルネはヴォータンを歌うには、やや声量が足りないかもしれませんが、せっかく来日したのだから、歌ってほしかったというのは、ないものねだりでしょうね。

 このシーズン、立ち上がりワーグナーが続きます。次の公演は新国立の「神々の黄昏」です。リング完結。これも楽しみです。

キリル・ペトレンコ指揮
マーラー:こどもの不思議な角笛 から
 バリトン:マティアス・ゲルネ

ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」 第一幕
 ジークムント:クラウス・フロリアン・フォークト
 ジークリンデ:エレーナ・パンクラトヴァ
 フンディング:ゲオルク・ツェッペンフェルト

バイエルン国立管弦楽団

バイエルン国立歌劇場“タンホイザー”

 9月25日のNHKホールでの公演を聴きに行きました。6月に初演劇場のバイエルン国立歌劇場で聴きましたので、2回目になります。今回、僕にとって良かったのは、何かと話題になっている“演出”が既にどういうものかわかっていたので、それに気を取られないで音楽と歌唱に集中できたことです。6月の観劇では、この挑戦的な(?!)演出を理解しようと気になってどうも集中できませんでした。ロメオ・カステルッチの演出、意欲的と褒めてあげたいところですが、褒めません。僕は現代演出けっこう好きです。先日のバッティストーニのオテロでも、友人達には大不評だったライゾマティックスのプロジェクションマッピング、けっこう楽しみました。しかし、このタンホイザーの演出はいけません。何がいけないかって、演出と歌手の演技が全く絡まないのです。第3幕の「ローマ語り」のあたりで、死体を何度も何度も入れ替えるのにどのような意図があるのでしょうか?おそらく「輪廻転生」のようなことを表しているのかとは思います。最終的に死体が砂に帰して、それをタンホイザーとエリーザベトが骨壺(?)に入れるところだけ、演出に演技が加わりますが、それ以外は全くと言ってよいほど、演出は音楽と歌手とも全く関係なくグロテスクに進行します。見ていて煩わしいだけです。視覚的に驚かせようと言うことの他に何も感じられないのです。逆に言うと、いわゆる“読み替え演出”ではないので、気にしないようにすると無視できますし、音楽の邪魔をしないとも言えます。ですので、2回目のNHKホールの観劇では、そのスタンスを取らせてもらいました。

 ペトレンコの指揮は、まず序曲のところから独特です。あまり重くなく、しかし、弦のアンサンブルは幾何学的に段差をはっきりと出して響かせて来ます。オペラの全容を予想させる序曲というよりは、交響楽のような振りです。全体的には、内省的な音作りで、2幕目の行進曲も抑え気味でコントロールされていますが、シンプルな音から盛り上がって来るところに、単に音が大きくなるだけでなく、腕力でオケを持ち上げてくる、、決して無理やりでなく、、、筋肉質な盛り上がりを生んでいます。前にも書きましたが、低い弦を強く鳴らすという趣向があまり無く、中音でひとつひとつの楽器が浮き出すように聞こえさせる、これが素晴らしいと思いました。3幕目の序奏のシンプルな始まりから塊感を持った盛り上がりに移ってくるところ、良かったですね。

 歌手ですが、まずはフローリアン・フォークト。もうかれこれ5-6回は聴いています。ローエングリン、ヴァルター(マイスタージンガー)、そして今回のタンホイザー。何より、「持ち上げる」という感じの全く無い澄んだ高音が魅力です。ウィーン少年合唱団が、そのまま声変わりしないで大人になったみたいです。おそらく、役柄としてはローエングリンが一番合っているのではないかと思いますが、タンホイザーではそれまであまり気づかなかった中低音の素晴らしさも感じさせてくれました。が、この日、一幕目、珍しく中音部で音程が安定せず、一度だけ声も割れました。こんなことは初めてです。しかし、数年前に文化会館で「美しき水車小屋の娘」を歌った時に、途中で破綻を来たして、歌い直したこともあるようで、時々安定性を欠く嫌いはあると、友人からも聞きました。ちなみに、彼の水車小屋、僕も聞きましたが素晴らしいです。いわゆる、ヘルデンテノールとしては典型的な声ではありませんが、将来はリングも歌ってほしいですね。彼とカウフマン、あまりにも違うワーグナー歌いですが、この2人を聴ける(カウフマンはキャンセルが多すぎるが)時代に居合わせるのは幸せだと思います。

 歌手陣は、他も素晴らしかったです。エリーザベトを歌ったアンネッテ・ダッシュ、清冽で強く奥行きのある声、余計なヴィブラーとや装飾歌唱がない、、、ミュンヘンではアニヤ・ハルテロスがトスカみたいに歌ったのですが、ダッシュのほうがずっと良かったです。そして、ヴォルフラムの夕星の歌は、涙ものでした。低音から高音まで(テノールのように聞こえます)本当に美しい。この役もミュンヘンのゲルハーヘルのやや古くさい歌い方よりずっと良かったです。指揮も新しいワーグナーを作っているので、今回の歌手陣はそれに合った歌唱をしてくれたと思います。それと忘れてはならないのが、合唱団。迫力ありましたね。引っ越し公演の醍醐味だと思います。

 ペトレンコ、素晴らしい指揮者だと思いますが、その素晴らしさをちゃんと解るには、僕はまだまだ聴き込みも足りないし、勉強も足りないと思います。ただ、今回の3幕目の感激だけは本当に感じられました。良かった!

 今回の3公演、すべて平日の3時からです。これは、勤めている方には厳しいスケジュールです。なんとかならなかったのかなぁ。

 さて、10月1日には同じキャストでワルキューレの一幕目をやってくれます。こちらのチケットも運良く取れたので、楽しみです。


指揮:キリル・ペトレンコ
演出:ロメオ・カステルッチ
領主ヘルマン:ゲオルク・ゼッペンフェルト
タンホイザー:クラウス・フロリアン・フォークト
ウォルフラム:マティアス・ゲルネ
エリーザベト:アンネッテ・ダッシュ
ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ
バイエルン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団(合唱指揮:ゼーレン・エックホフ)

オテロ@オーチャードホール

 いやいや、本当に久しぶりのブログになってしまいました。オペラは7月の“ノルマ”以来2ヶ月ぶり、コンサートも東フィルのミョンフンのマーラーから1ヶ月以上夏休みを取っていました。いつもなら、夏はバレエがあるのですが、今年はいまひとつ食指が動くものがありませんでした。その間、今年はオペラ仲間が多数ザルツブルグに行っていたので、クルレンツィスの”皇帝ティートの慈悲”やら、マリオッティ指揮の“二人のフォスカリ”(ドミンゴです。)そして、チケットの時価が定価の10倍まで上がったというムーティ、ネトレプコのアイーダを見たという生々しいフェイスブックが送られてくるのを、よだれを垂らしながら過ごしていました。どれも素晴らしいと思うのですが、やはりマリオッティのフォスカリ、聴きたかったです。夏休みはオペラには行かなかったのですが、そういう悪い(?)刺激があったため、11月と来年2月にまた海外での公演に行く予定を立ててしまいました。

 さて、9月10日のバッティストーニの“オテロ”。個人的なオペラシーズンがヴェルディで始まるのは素晴らしいことです。しかもバッティストーニ!“ナブッコ”、“リゴレット”、“イリス”と来て、次は欧州では良く振っている“ラ・トラヴィアータ”かな、と思っていましたが、オテロに来ましたね。彼は、ヴェルディの初期物はあまり好きでないようですから、この選択になったのでしょう。

 僕が初めて生で聴いたオテロは2003年のムーティ率いるスカラ座でした。指揮台に立つとほぼ同時に雷鳴の序奏が斬りかかってくるのに、圧倒されました。以来、指揮台に立ってオケの顔を見てからおもむろに棒を振るオテロの指揮者は嫌いです。バッティは、まさに指揮台に立つか立たないか、まだ拍手が鳴っている時に棒を振りました。かっこいいなぁ。舞台に出てくる時からオテロが始まっているんですね。一幕目、あっという間に引き込まれました。プログラムで加藤浩子さんが、「一瞬のうちに襟首を掴まれてドラマの中に投げ込まれる快感」とありますが、まさにそうでした。一幕目は大音量のオケと合唱で嵐の中、帰還するオテロがいきなりヒーローとして登場する派手な場面なのですが、この日のバッティは、その中で、テンポ感をくずさずに、くっきりオケの音を出していました。ともすれば合唱にかき消されてしまうような音もきちんと聴かせて心臓の鼓動のようにテンポを保つ。これが、素晴らしかったです。その後、ロデリーゴを説き伏せる場面で、有名な“Se un fragil voto di femmina (その女の誓いが解きほぐせるのであれば) のところ(だと思うんですよね。イタリア語に堪能な訳では無いので、間違っていたらすみません。)で、バロックの舞曲のようになるテンポ感のところまで、最初の雷鳴からつながっているんです。この一幕目、本当に素晴らしい指揮だったと思います。

 2幕目以降、3幕、4幕と行くに従って、指揮もだんだん歌手に合わせるような場面が多くなりましたが、そこがまた、実に緻密で強弱、緩急をつけるところが、素晴らしい“オテロ”の音楽を作り出していました。本当に聴き応えがありました。オテロの音楽は指揮者によって、本当に表情が変わります。2013年のミョンフンのオテロも素晴らしかったです。スピーディで軽みがあって、躍動感がありました。バッティは、テンポ感とコントロールされた重厚さでしょうか?

 歌手陣では、エレーナ・モシュクのデズデモーナが素晴らしかったです。柳の歌に拍手が集中していて、これももちろん素晴らしかったのですが、僕としては、豊かな中低音部、特に弱音からボリュームを上げていくところが、ぞくっとするほど美しいと感じました。モシュクというと、何かジルダの印象が強いですが、デズデモーナ、良かったですね。ちなみに、柳の歌のところの、クラリネットが素晴らしかったです。これは、最近東フィルに加入して、今年の東京音楽コンクール木管部門で優勝したアレッサンドロ・ベヴェラリですね。まだ若い奏者ですが、東フィルも充実しています。

 さてモシュク以外の歌い手では、オテロとイアーゴは、“悪くはない”、英語でいうと”not too bad”という感じでしょうか?ま、英国人がこういうと、結構良いというニュアンスになるんですが。。イアーゴのインヴェラルディは、声は良いのですが、毒が無い。4月の新国立で同役を歌ったウラディミール・ストヤノフほど、「細い」感じはないのですが、動作や体型も含めて、どうもイアーゴというよりは人の良いファルスタッフという感じでした。このイアーゴは、設定では28歳ですから、ヌッチをベストと考えてはいけないとは思うのですが、奸計をめぐらし裏表のある役、今回の公演のポスターの白と黒が表すような役ですから、もう少しオテロというオペラを掴みきってほしいです。アンダーの上江さんで聴いてみたいと思いました。そして、オテロのフランチェスコ・アニーレ、各所で高音まできれいにあがる良いテノールだということはわかりましたが、情感の表し方にムラがありすぎて、ト書きを歌っているような感じを覚えました。8日に聴いた方は「良かった」と言っていたので、この日は調子が悪かったのかもしれません。4月のカルロ・ヴェントレの2幕目以降が素晴らしかったので、ちょっと比較してしまいました。

 エミーリアは新国立と同じ、清水華澄さん。うーん、素晴らしい!幕が締まりましたね。

 演出は、僕の友人たちには不評のようでした。プロジェクトマッピングを多用したものでしたが、ヨーロッパとアフリカの地図を写し出し、キプロスにフォーカスしていくところなど、僕自身は、なかなか新鮮で良かったと思います。4幕目のキャンドルの影などは音楽とマッチして美しかったです。

 今回の公演の立役者、やはりバッティストーニですね。歌手の多少の粗を充分に補っていました。

ヴェルディ「オテロ」演奏会形式

指揮・演出:アンドレア・バッティストーニ
映像演出:ライゾマティクスリサーチ

オテロ:フランチェスコ・アニーレ
デズデモーナ:エレーナ・モシュク
イアーゴ:イヴァン・インヴェラルディ
ロドヴィーコ:ジョン・ハオ
カッシオ:高橋達也
エミーリア:清水華澄
ロデリーゴ:与儀 巧
モンターノ:斉木健詞
伝令:タン・ジュンポ
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団



ノルマ2回目観劇

 今年唯一、同じ公演のチケットを2回分取ったのが、この「ノルマ」です。デヴィーアのノルマは絶対良いだろうと思いましたし、これが日本で最後の彼女のオペラ出演になるかもと思ったのがその理由ですが、やはり正解でした。(最後のオペラは10月に再来日しての「ノルマ」になりましたが)

 今日の公演、全体に土曜日よりも良かったです。ただ、今日はS席、1階の10列目くらいの真ん中という席で聴いたのですが、2階と音が全然違う。知り合いで、今回アンダーを努めている歌手の人から、「日生は一階と上とで音が全然違う」と聞いていたのを思い出しました。2階が16cmの2wayスピーカーなら、1階は38cmの3wayという感じ。息づかいまで聞こえます。新国立でも1階、2階、3階で、時々によって違う場所で聴きますが、ここまでの違いはありません。今日のデヴィーアのコロラトゥーラの、玉が転がるような美しさも、高音のきらめきも、土曜よりも一段アップでしたが、席のせいもあるかもしれません。視界的には2階のほうが全然良いです。今日は前に座高の高い方がいらして、だいぶ舞台が隠れました。日生のS席は音響料なんですね。

 デヴィーア以外の歌手は、これははっきりと土曜より良かったと言えます。特にポリオーネの笛田さん、1幕目から安定した歌唱で、中高音が輝く響きを持っていました。これから期待しています。第二幕で、祭壇につながれた場面での、デヴィーアとの2重唱“In Mia Man Alfin Tu Sei(あなたはついに私の手に)”がものすごく良かったです。この曲、短いんですが、ベッリーニの美しい曲作りの才能が結晶のようになっています。なんて高貴な響きの曲でしょうか!しびれます。You Tubeにノルマ・ファンティーニの動画がありましたので、載せておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=LWg3MFS6VDg

 そして、アダルジーザを歌ったラウラ・ポルヴェレッリも、特にデヴィーアとの2重唱の時のアジリタが素晴らしく決まっていました。土曜日はちょっと抑えめだったかなと今日のを聴いて思いました。先日のブログにも書いた” Mira, O Norma”の2重唱もワンランクアップだったのですが、その後にカバレッタのように続く” Si, Fino All’Ore Estreme(最後の時まで)”が素晴らしかったですね。この曲って、ラクメの“花の二重唱”にならぶ、美しい女声二重唱だと思います。めったに“Brave!”というかけ声をかけられる時ってないですね。ちょっと古いですが、サザーランドとマリリン・ホーンの素晴らしいのを載せます。

https://www.youtube.com/watch?v=iUxI726OKvo

 今日の休憩にも、オペラ愛好家の仲間に何人か会いましたが、僕と同じくらいの歳のIさんは、生のデヴィーアを初めて聴くとのことで、「ノックアウトされました!」と言っていました。彼はフランス歌曲のことがすごく詳しいので良く話しを聴きます。そして、彼の意見ではノルマでの最高音は、僕が前のブログに書いた3点ハ(Hi-C)ではなくてEではないかとのこと。たしかにHi-Cでは男声の最高音ですものね。ちょっと調べて見ます。

 指揮とオケも、土曜より締まった感じで良くなっていたと思います。ピリオド楽器風にしている序曲は、バルトリのノルマを指揮しているアントニーニのピリオド楽器オーケストラを聴きこんでいる僕なんかはイタリアっぽくて大好きですが、それ以前のノルマのバイブルになっている、カラスの様々なバージョン、セラフィンの指揮とかを聞き慣れているひとには、ちょっと異質に聞こえるのではないかと、思ったりしました。今日は1階席で、指揮者の優雅な手の動きが見られなくて残念。。。。

 先週は、チェドリンスもリサイタルで、Casta Divaを歌ったとのこと、また、フランスのソプラノ、ナサリー・マンフィーノも武蔵野のリサイタルで同曲を歌ったとのこと、1週間にこれだけCasta Divaが日本で歌われた週はかってなかったのでは?と思ってしまいます。

 さて、来週は樫本大進のリサイタルです。

FC2Ad